ハーグ平和集会の成功

 2.ハーグ平和会議と日本国憲法

  浦田賢冶  早稲田大学教授、国際反核法律家協会副会長

 

  1999年6月5日(土)世界連邦東京都連合会総会(武蔵野コミュニティ・センターで開催)での浦田先生の講演「ハーグ平和会議と日本国憲法」の第一部「ハーグ平和市民会議の成果と課題」を抜粋させていただきました。(編集部)

 

 


1 「憲法9条の理念」盛る

 

 私たちハーグ平和アピール日本連絡会の代表団は、「日本国憲法第9条を世界に広げる」という目標を掲げて出かけました。ところが、この目標が文字通りアジェンダの文書に書きこまれました。5月15日最終日の全体会議で、国連事務総長アナン氏や、オランダの首相などに、「アジェンダの基本原則10項目」が手渡されました。その原則の第1番に「日本国憲法第9条にみられるように、各国議会は、各政府が戦争に訴えることがないようにルールを定めることにしよう」ということが書きこまれました。これにより、日本から参りました私ども日本代表団400名余りが大変面目をほどこしたと思っております。

 

 13日と14日と2日間、「ジャパンデー集会」を設けました。私も、この日のために、講演草稿を持ってまいりました(その題は「ハーグ平和アピールと日本国憲法:平和憲法を世界に広げるために」です)。

 

    NATO軍のユーゴ空爆と

キュッヘン・ホーフ

 

 私は5月9日にアムステルダムに入りました。ホテルに着いてすぐテレビでBBCワールドリポートを見ると、NATO軍がコソボ問題でユーゴに対して空爆をしているという報道をしていました。オランダは19カ国が加わるNATOの1員で、ユーゴに対して空爆をしている側です。空爆に参加しているオランダの都市アムステルダムやハーグに、世界の平和運動家たちが集まる。空爆国と平和運動家たち、これは一つのコントラスト(対照)状態が生まれているなと、強く感じました。

 

 翌10日は観光バスに乗りました。いつも国際会議に出る時は、会場とホテルを繋ぐ専用バスや車で往復して終わるのですが、今回は、こうした行動スタイルを反省しました。丁度4月と5月だけ、チューリップの花園(キュッヘン・ホーフ)が開園しているというので訪れました。広大な庭に様々なチューリッブが咲いており、ユーゴの空爆の地獄絵を想像しながらそこに立つと、非常に複雑な思いが致しました。

 

    ハーグ国際司法裁判所での

空爆差し止め審理

 

 午後、ハーグに入りました。ハーグの国際司法裁判所では、5月10日、11日、12日と続けて、ある裁判が行われておりました。それは空爆を受けているユーゴがアメリカ・イギリス・ドイツなど10カ国を相手に、差し当たり空爆を止めるように命令を出して欲しいという裁判です。これは4月29日に起していたもので、この日は仮決定を認めるかどうかを審理していました。これに対して各国は、そもそもこの問題は国際司法裁判所の管轄権外であると一致して主張しておりました。これに対してユーゴ側は今回の空爆は、第一に国連憲章に違反する、そればかりか国際人道法違反である、特に平和に対する罪にあたる(武力行使は人権尊重にはならない)。第二にこれはジェノサイド(ユーゴの民族の抹殺)にあたる。第三にこの空爆は「人道介入」に当たるとはいえない、と主張しているのです。

 

 BBCは、イギリスの国際法学者であるイアン・ブラウンリーは、次のように語ったと紹介していました。コソボにいる凡そ200万人の内の9割、180万人の人間の人権問題に対処するといって、実は膨大な難民を生み出し、更にはユーゴの人々の生命、生活条件等々も奪っている。これはバランスを欠くものであって、国際人道法に反する。しかもユーゴ空爆は純粋に人道的な目的を有するものではない。というのは、ランブィエでユーゴ政府とコソボの独立闘争部隊とに、NAT0首脳たちは合意文書を突き付け、これに合意しなければ武力行使をすると、実に7ヵ月にわたり威嚇を続けた。その時以来NATO軍の目的は人権保護ではなくて強制的な解決をすることであった、と報道していました。後にオックスフォード大学教授になったイアン・ブラウンリーは、たまたま私がロンドン大学で国際法の講義を受けた先生でした。ですから、ブラウンリー教授の見解は、とりわけ私の心に残りました。その晩会った朝日新聞の記者にその話を伝えました。日本の朝日新聞でもユーゴによる国際司法裁判所への提訴のことは記事になったそうです。

 

4 国際反核法律家協会の臨時総会

 

 翌11日にはオランダ会議センターへ行き、登録をしました。

 

 午後(3時半から5時まで)、世界連邦運動の方々の集まりがあり、日本からは加藤先生と私の2人が参加しました。50名ほどの集まりで、今回の市民平和会議にどう取り組むかが話し合われました。一人ひとり自己紹介をしました。ビル・ペース氏(世界連邦運動事務局長)を含むアメリカ勢がとりわけ優勢だなという感じがいたしました。勿論オランダの世界連邦の方々も活躍しておられました。

 

 夕食のあと午後8時から10時半頃まで、私が所属します国際反核法律家協会(IALANA)の臨時総会が開かれました。ここでもユーゴ空爆間題について声明を出すかどうか、出すとすればどうするかについて、議論が1時間半ほど続きました。この会議の最初に、カナダの元軍縮大使であり、現在上院議員のダグラス・ロシエ氏が挨拶をされました。が、氏は特に中堅国家構想というグループ(MPI)をつくっており、これがアイルランドなどの新アジェンダ連合を支援する形になっております。カナダではダグラス・ロシエ氏を中心として、政府と市民たちの間で核兵器政策の在り方について、おおいに議論し、市民運動(市民社会)が政府や国際機関をひっぱって行く新しい外交方式をつくっていこうとしています。IALANAでは、会長が声明の案をつくり翌々日に改めて議論することを決め、11時過ぎに終わりました。

 

    世界連邦運動の指導者

ビル・ペース

 

 翌12日(水)午前9時半から、開会総会が開かれました。

 

 この会議では,毎日のように,どういうことが話合われるか、そしてどう話し合われたのか、こうしたことを書いた一種の会報が出されます。12日の会報を見ますと、会議に登録した人数は、昨日(11日)現在4000人以上であり、催しは400を越えるなどと書いてありました。

 

 会報に、次のように書かれていました。国際司法裁判所が入っている建物「平和宮」(アメリカ人アンドリュウ・カーネギーの寄付で建てられた建物)は、ロシア皇帝ニコライニ世の思いを受けて、オランダの女王ヴィルヘルミナが「恒久平和を探求すると共に現存する武器の開発を制限する方法を探求する」ということを決めた会議を開いた所である。しかし、それから15年後にバルカン半島に於ける紛争が契機となって第一次世界大戦が開かれてしまった。その後20年間、平和宮はさしたる仕事をして来なかった。しかし今やこのハーグに平和運動の代表たちが集まっている。この人々は核兵器反対のキャンペーンをするために、戦争の廃絶または平和の文化の創造を呼びかけることにしている。この呼びかけは、対人地雷・小火器(ピストルなど)を規制する場合と違う困難さがあることがこの会議でわかるであろう、などと書かれていました。自前で出している会報に、この会議は大変難しい課題に取り組む、必ずしも効率を挙げるわけではないなどと予め書いたりしているのです。一方的に運動を煽り立てるのではなく、かなり最初からブレーキをかけているという印象をもちました。

 

 また、この会議の事務局長ビル・ぺ一ス氏の談話として「軍縮、特に核廃絶を含む軍縮について国際連合が取り組まないので非政府組織(NG0)がやらざるを得ないのである。国連の安全保障理事会がこの間題について分裂の状態である。とりわけ5つの常任理事国の意見が一致しない。例えば昨年12月アメリカとイギリスがイラクを空爆した。また今はNAT0軍によるユーゴの空爆がなされている。国運安全保障理事会の決定を待たずに一方的に空爆を行っている、そのアメリカは国運に15億ドルの会費滞納をしており、国連の財政は大変厳しくなっている。更にワシントンは自分の都合の良い時にブロジェクトを組んで、都合が悪くなったらそれから降りる。例えば、クリントン大統領は最初国際刑事裁判所の創設をおおいに進めると言っておきながら、都合が悪くなると後から降りてしまった」という談話が載っていました。ニューヨークに本部がある世界連邦運動の事務局長が談話として述べているのです。これもおもしろいことだと思いました。

 

    ノーベル平和賞の

ジョディ・ウィリヤム

 

 このハーグ平和アピール市民会議の参加者の中には、非常に多数のNG0の運動家たちに混じって、ノーベル平和賞を受賞した5名の人達がいました。ごく最近では地雷間題で認められたジョディ・ウィリヤム女史も来ておりました。彼女は真っ黒いドレスを着て、地雷で両足を失った,車椅子の子どもと一緒に現れました。また会場には各団体が発行したパンフレットやチラシ、書物などを広めるブースがあり、そこによく来て対人地雷のキャンペーンをしている人たちと一緒に行動しておりました。ついこの間NHKテレビでも彼女の活動について報道しておりましたが、彼女はインターネットを駆使し、政府の会議や政府間会議のくわしい情報を毎日全世界の草の根のNGOに伝え、また各地からインターネットで対人地雷規制運動の情報が本部に入って来るようにする、そういう方法をとりました。こうして対人地雷条約づくりの運動は飛躍的に進んだのです。これをカナダ政府などがバックアップしまして、「市民運動が政府をリードする」というテーゼの基礎をつくることに成功したのです。このようにノーベル賞の受賞者も、草の根の運動をした人々の中から現れている、こういうところにも、今日的な新しさがあると思います。

 

 他方ハーグのまわりではロシアを含む8カ国外相会議が始まっており、国連事務総長も来ておりました。ハーグ平和アピール運動の組織者たちは、政府関係の会議に参加した人たちなどとイーメールや電話で連絡を取り合って、毎日毎日の対策を作っていくのです。それだけに組織者たちは,草の根の運動家たちやその道の専門家たちを一方で受け止めながら、他方では政府首脳たちや国際機関の首脳たちと連絡を取り、また毎日記者会見をして、今何をやっているか何をしようとしているか、参加者に情報を提供しました。このような市民会議の作り方が私には,新しい方法のように思われました。

 

 

7 HAP市民社会会議の作り方

 

 私がこの会議に本格的に取り組むようになったのは,一昨年(1997年)の11月です。日本反核法律家協会から求められまして,IALANAのロンドンで会議に出ました。そにで,再来年(1999年)5月、ハーグで行われる平和市民会議について、日本で広めて欲しいと言われました。それ以来,日本の世界連邦運動や反核法律家協会の指導的な方々とご相談しながら、広めることに努めてきました。

 

 この会議の作り方ですが、まず開会式と閉会式は市民運動の調整委員会(WFMを含む4団体)と組織委員会(調整委員会の元に主だった70ほどの団体で組織された委員会)が担当します。普段はイーメールで連絡致します。組織委員会の主要メンバーが全体総会(開会式・閉会式)と100余りの中心となる「コア・プログラム」(中心となる企画)をつくります。そして4本の柱がありますから、それぞれについて全体会議をつくることにしました。

 

 4つの柱とは,(1)核兵器を含む軍縮、(2)紛争の平和的解決、(3)国際人道法、(4)戦争の根源と平和の文化の創造です。その回りに「グローバル・フォーラム」(全世界から集まる会議)をつくりました。全国各地で活躍している団体が自由に集会や展示活動をする場です。これが200余り出来ました。

 

 私たちは,グローバル・フォーラムの1つとしてまず「ジャパンデー集会」を持つことにしました。日本から10数団体まいりましたが、その中にはコア・プログラムに加わりたいという団体もあり、そちらに入った団体もあります。こうして各参加団体が自主的に思い思いに企画を作っていくという会議づくりになりました。

 

 12日午前9時半から午後1時まで開会総会が開かれました。

 

 ここでは会長のコーラ・ヴァイスが開会演説をいたしました。この模様は朝日新聞にも書かれております。コーラ・ヴァイスは、今日の世界平和市民会議の成功を宣言するとともに、それが世界での悲劇の上に築かれたことに言及しました。そして彼女が心を痛めながら訴えたのは、この会議に集まった人々は平和の実現を目指すという点では団結しているが、しかし現実の問題としてNATO軍によるユーゴ空爆についてどう対応するか、コソボ問題については分裂をせざるを得ないという悩みでした。

 

 例えば開会式に出たオランダの外務大臣ロチヤスバーン・アークセントは、ユーゴの大統領ミロシェヴィッチは国際社会の要求を受け入れなければならないという態度を表明しました。これは政府当局者としてNAT0軍に加わる国としての当然の主張でしょう。それに対し核戦争防止を求める国際医師の会共同代表の1人、マリー・バンヌ・シュッフォルト女史は「ロシアは今後数カ月空爆が続くことを認めない。もしこの危機が続けば核兵器による威嚇に訴えることさえしかねない。直ちに空爆を止めるべきである」という立場をとりました。多くの平和運動家たちが同様の立場をとったわけであります。

 

 この総会の後、午後3時から5時まで、(2)紛争解決の全体会議に出ました。その後、グローバリゼーションの影響を取り上げた会議、即ち世界経済が地球規模で展開し地球全体が一つの市場になる状況が各国各地域の市民の暮らしにどのような影響を与えるのかを話し合う会議に出ました。400名位入る会場がびっしりでして、4人のパネラーが15分位話しをして、終わるとすぐに、マイクの前に大勢並んでいた質間者が次々に質間をするという会議が続けられました。グローバリーゼーションの会議では、多国籍企業が立地した国で公害などが起きており、そのために規制が必要であるという議論が出ておりました。この規制を受諾しない企業の進出は認められなかったという報告もなされていました。

 

8 ジャパンデー集会

 

 翌日がジャパンデーでした。13日午前9時から1時まで第1部が開かれました。ジャパンデーについては朝日新聞でもいろいろと書いております。まずはこの市民社会会議の発起人団体である4つの団体すべてから、その会長や事務局長に当たる方が出席してくださいました。世界連邦運動では、サー・ピーター・ウスチノフ会長が出席してくださいました。前日12日は、午後8時過ぎ以降も、サー・ピーターは若者と共に歌を歌っていたのです。それなのに,翌日のジャパンデーには朝早くからお出ましいただき,感激いたしました。サー・ピーターは大俳優であり、劇作家であり、コラムニストであり、しかも高い理想を掲げて地道に活動をする今世紀で最も傑出した人の一人だと思います。日本の政治家にも参加をいただきました。植木先生をはじめ、土井たか子前衆議院議長,太田前沖縄県知事、現広島・長崎両市長が出席されました。土井さんが、座長をしていた池田真規弁護士に「こういう会がなぜ日本で出来ないのでしょうね、日本でもやりましょう」と言ったそうです。今度植木先生の呼びかけで日本でも開いていただければ、と期待した次第です。

 

 この後13時から軍縮問題の全体会議があり、これには広島の秋葉市長が出て英語でスピーチをされました。

 

 軍縮問題の全体会議の後、コソボ問題の会議に出ました。コソボ問題については11・12・13・14・15と連日開かれていまして、組織する団体によって立場の違う会もありました。アフリカから来た人は、なぜヨーロッパやその周辺に起きたことがこんなに問題になるのか、アフリカではもっと大変なことが起きているのにと、覚めた見方をしておりました。こうした雰囲気の影響を受けまして日本の法律家代表団の中でも声明を出そうということになり、その決議案について2時間も議論をいたしました。結局、個人署名の決議にすることになり、翌日には200名余りの署名が集まりました。

 翌日14日は午後1時から国際反核法律家協会のオランダ支部が主催した会議に出ました。この会議はマスコミも注目している会議の1つです。国際司法裁判所は、核兵器の使用及び使用の威嚇は一般的に国際法に違反するといっておりますが、それに続けて核兵器の完全軍縮に向けて交渉を徹底的に行ってこれを完結すべきであるという意見も書いております。これは核兵器をもっている国も持っていない国も、すべての国に対してこういう条約を締結する義務を定めたもので、この義務を遂行しているかどうかを国際司法裁判所は審査することが出来るし、審査しなければならない。オランダ支部は、そういう裁判を起こそうというアイデアを出し、検討を続けてきたのでありました。これについて分科会で話し合いが続いておりました。

 

    ジャパンデ―集会 第2日目

 

 午後3時半から開始されたジャパンデー集会第2日目の最初に、私が「人道的介入論とNATO軍による空爆の問題」に絞って講演しました。その後日本の被爆者の方々、基地が抱えている問題、沖縄の問題等々についての報告がありました。その後30名でリレートークをいたしました。2時間の枠で計算したら1人3分ということになります。しかし3分ではとても無理なので少し長くしました。ずっとリレートークを続け、終わったのは結局午後8時でした。その内容は録音してありますので、テーブ起こしをして報告書を作ろうということになっております。

 15日午前10時から閉会集会が行われました。ここでは国連事務総長アナン氏の演説などがありました。

 

 ここでいわゆる基本原則10項目が示されました。この10項目はアフリカの少年たちがグルーブをつくりまして、1項目づつ大きな声で訴えかけるという形式をとりました。例えば最初の子どもが「各国議会は、日本国憲法第9条のような、政府が戦争をすることを禁止する決議を採択すべきである」と言うと、2番目の子どもが「すべての国家は、国際司法裁判所の強制管轄権を無条件に認めるべきである」と言いいます。3番目の子どもが「各国政府は国際刑事裁判所規程を批准し、対人地雷禁止条約を実施すべきである」と言うと、次ぎの子どもが「すべての国家は“新しい外交”を取り入れるべきである。新しい外交とは、政府、国際組織、市民社会のパートナーシッブである」と言います。次ぎの子どもが続いて「世界は人道的な危機の傍観者でいることはできない。しかし、武力に訴えるまえにあらゆる外交的な手段が尽くされるべきであり、仮に武力に訴えるとしても国連の権威のもとになされるべきである」と言いました。そして次ぎの子どもが「核兵器廃絶条約の締結をめざす交渉がただちに開始されるべきである」と言いました。続いて「小火器の取り引きは厳しく制限されるべきである」と次ぎの子どもが言い、「経済的権利は市民的権利と同じように重視されるべきである」と次ぎの子どもが続け、また次ぎの子どもが「平和教育は世界のあらゆる学校で必修科目であるべきである」と言います。最後の子どもが「‘戦争防止地球行動’の計画が平和な世界秩序の基礎になるべきである」と結びました。その後、その10項目を書いた文書が、コーラ・ワイス会長からアナン国連事務総長らに手渡されました。

 

 更に21世紀に向けて出される平和と正義のための「ハーグ・アジェンダ」(会議版)が提出され、この文書はIALANA事務局長であるフォン・ヴァンデン・ビーセンからオランダ首相らに手渡されました。ここに集まっている各国の代表は、国に帰ってそれぞれの国の総理大臣、政府に手渡すことになっています。

 

 この市民会議の基本文書は2つです。その1つが「ハーグ・アジェンダ」(会議版)でして、これは、この会議の大義名分を示し,4つの柱を掲げ、その4つの柱ごとにどういう行動計画が立てられたかということを50項目にわたって挙げております。これは会議版といいまして会議に参加した者に示された文書です。4日間の会議で様々な提案がなされました。私もジャパンデーのレポートを出しました。これからこの会議の成果をニューヨーク本部でまとめ、11月に国連総会に提出する予定だと言っておりました。これが基本文書の1つであります。

 

 もう1つの基本文書は、この「市民社会会議のブログラム」です。当日補充版が入っておりましたが、700程の企画が入っているのだそうです。閉会総会ではこの2つの文書が基本文書であって、そのほかには無いと言っておりました。「ハーグ・アジェンダ」と並ぶ各地あるいは各国の「アジェンダ」を、それぞれの団体や市民たちが自主的に作ることが期待されていると思います。

 

10            ハーグ平和アピールの課題

 

 午後4時から組織委員会が開かれました。これから新しい国際委員会をつくること、そして我々のアジェンダを実施すること、こういう申し合わせを致しました。アジェンダの実現を目指すことがこれからの我々の仕事であります。

 

 例えば5月16〜26日にかけて「各兵器廃絶を目指す2000年運動」は、国際司法裁判所からNAT0本部まで行進しました。

 

 18〜19日にかけてハークで政府専門家会議が開かれます。

 

 6月に入りますと,ロシアのセントピータスバーグで政府主催の専門家会議が開かれます。

 

 更に今年9月に始まる国連総会で「国連国際法の10年」の最後の取りまとめが行われます。

 

 アジェンダの実践は全地球から各国や地域にわたりますが、全地球的な規模で申しますと,来年6月国連決議に基づく「千年紀会議」があります。それに先立って今年10月にはソウルでNGO世界会議があります。そういうところでもアジェンダの実践をすることに決まりました。

 

11  世界連邦運動の課題

 

 そのことを世界連邦運動の重点課題との関連で考えて見ましょう。先ずはハーグ平和アピール運動の課題に取り組むということが,世界連邦運動の第1の課題だと思います。以下課題を挙げて行きますと、2つ目は紛争防止及び平和と安全の確保です。3つ目は国連を民主化することです。4つ目は地球環境を保護し、持続可能な発展をはかることです。5つ目は法の支配を強化し人権を保護することです。6つ目は国連安全保障理事会を改革することです。最後の7つ目は国連の財政を確保し,グローバルガバナンス(地球統治体)という制度を進めることであります。

 

 NATO軍によるユーゴ空爆が始まってから、私のまわりにいろいろな見解が伝わってまいりました。ヨーロッパやアメリカの知識人たちが言うには、先ずはミロシェヴィッチの民族浄化が悪い。これが行われている以上はどうしようもない。我々にとっては人権が1番大事だ。ところが、彼等にとってはユーゴの主権が第1である。したがって、解決はなかなか難しいという見解でした。だが、空爆が続くにつれて論調が変わってきました。 特に4月23日からワシントンで開かれたNATOの50周年式典に於けるコソボに関する見解では、かっては人道的介入でいこうということでありましたが、このワシントン宣言の中には人道的介入という言葉は出てきません。私がスキポール空港で手にした『フォーリン・アフェヤーズ』誌の最新号には、ミカエル・グレノン(カリフォルニア大学国際法教授)の論文が載っています。そこでは、新しい介入しかもアメリカ首脳を中心とした多数国による介入が必要であり、国連憲章による戦後支配の法的ルールは変えるべきであり、軍事優先で行くべきだといっておりました。そちらの方向に揺れる論調と、やはり国連憲章の目指している国家主権尊重を維持していくべきであり、人道的介入には十分警戒すべきであるという見解との、二極に別れてきています。

 

 そのような状況の中で1つの見解として、世界連邦運動のある指導者の見解があります。すなわち「一致できるのは戦争犯罪を犯している指導者たちを個人的にも追訴することである。そのために国際刑事裁判所を活用すべきである。コソボ問題で民族浄化ばかりでなく、空爆を指揮した指導者たちについても、その事実を、現在ユーゴの問題に取り組んでいる国際刑事裁判法廷の場で明らかにすべきである。この点では一致できるのではないか」。こういう見解を慎重に検討しながら、その方向で考えていきたいと思った次第です。