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日本反核法律家協会2001年度総会特別報告
米国の21世紀戦略と核兵器

弁護士 井 上 正 信


一,米国の21世紀戦略の特徴
  現在形成されつつある米国の21世紀戦略を理解するキーワードは、恐らく「RMA(軍事における革命)」と「非対称的脅威」であろう。「RMA」については核兵器・核実験モニター誌2001年1月15日号に詳しい。

90年代から米国ですすめられてきた。高度に発展しつつある情報通信技術、コンピュータ・ネットワークを軍事技術に応用し、長距離精密攻撃兵器、レーザー兵器などの新兵器技術を組み合わせて、グローバルな情報・監視網を作り、紛争を早期に発見し、敵を速やかの捕捉し、敵に対して遠方から正確に攻撃しようとするものである。
「RMA」は米国が圧倒的に優位に立つ技術分野であり、軍事戦略、軍事作戦、兵力構成、軍事態勢全般にわたり大きな変革をもたらすものである。10月1日発表された「QDR(4年毎の国防見直し)レポート」では、このことを次のように述べている。
 「米国にとって、軍事における革命は巨大な利点をもたらし、現在の米国の軍事的優位の期間を更に延長してくれる可能性を秘めている。軍事における革命を活用するためには、技術革新だけでなく、作戦概念の進展、組織的適応の実行、一つの国の軍隊を変革するための訓練及び実験を必要としている。」

 21世紀の中期的な(2020年まで)米国の軍事戦略の基本を策定した「JOINT VISION 2020(統合参謀本部作成 2000年5月30日)」は21世紀の米国の安全保障を脅かす脅威として「非対称的脅威」を挙げている。引用すると「合衆国の力量を回避し、顕著に異なった作戦の方式を用いて潜在的弱点を突くことで敵は合衆国の戦闘能力の適用を効果的に遅延させ、抑止し、これに反撃を加えることを企てるであろう」「このような非対称的アプローチの持つ潜在的な意味は恐らく合衆国にとって極近い将来の極めて大きな危険である−そしてこの危険は長距離ミサイルやその他の直接的な合衆国市民と領土への直接的な脅威を含む」。今回のテロ事件を予言しているような記述である。「非対称的脅威」の主体は、ならず者国家であり、テロリスト集団である。QDRレポートは9.11テロ事件を随所で引用し、これこそが米国が直面している21世紀の新しい脅威であると強調している。QDRは、非対称的脅威に対抗するための米国軍の軍事ドクトリン、戦力構成、戦力規模、軍事態勢を決定しようとしているのである。

 ではこのような21世紀軍事戦略の中で核兵器の役割はどの様に位置付けられるのであろうか。実はQDRレポートは、第二章「防衛戦略」において「米国の利益に対する脅威と抑圧を抑止する」非核戦力について述べているが、核戦力の位置づけについては2001年12月に完成する「核態勢の見直し(Nuclear Posture Review NPR)に委ねているのである。同じ関係は、クリントン政権下で軍事戦略の見直しがされた際、ボトム・アップ・レビューレポートでも見られた。93年のレビューでは核戦力については「核態勢の見直し」に委ね、94年9月にNPRが策定されたのである。従って、米国の21世紀核戦略の分析は12月に策定されるNPRを待つしかない。94年9月NPRはレポートとしては公表されず、国防長官の記者会見と、議会証言からその内容を推測するしかなかった。今回のNPRが公表されるのかは不明である。
 そこで事務局から与えられた主題に答えるため、現在までの米国の核戦略を振り返り今後予想される米国の核戦略について言及する。


二,米国の21世紀戦略における核兵器の役割
 QDRレポートは、「米国の利益に対する脅威と抑圧を抑止する…最後の側面は米国の攻撃的な核対応能力に関したもの」と述べているように、核戦力は米国の軍事戦略上で重要な柱であることは変化がないであろう。この点を確認するため90年代以降の米国の軍事戦略・核戦略の変化をたどってみよう。21世紀戦略はこの変化の連続的な延長線上にあるからである。

 米国は90年代に入りその安全保障戦略を大きく変化させてきた。それを規定した出来事が、冷戦体制崩壊、WATO・ソ連崩壊であった。米国の軍事戦略、核戦略を規定してきた、ソ連とその同盟国との間の大規模な戦争という可能性がなくなったのである。冷戦時代の米国の膨大な核・通常戦力と米国を盟主とした軍事同盟網の存在理由が問われることになった。米国が膨大な核・通常戦力と軍事同盟網を存続させようとする限り、ソ連とその同盟国に変わる新たな敵が必要であった。

 ヨーロッパでは、EU統合・拡大と西欧同盟(WEU)を統合されたEUの軍事機構化する動き、フランスの核戦略を「欧州の核」と位置付けようというフランスの提案、東南アジアでは、域内の経済の結びつきを強め、軍事同盟によらない独自の多国間安全保障方式を生み出そうとする試み(APEC,ARF,東南アジア非核地帯条約)、わが国では日米関係からアジアへ軸足を移し、二国間安保から多国間安保へと安全保障政策の重点を移そうとする試み(94年8月防衛問題懇談会答申)と沖縄問題を契機とした日米安保体制の動揺、中国の台頭があった。西欧・アジアでのこのような動向は、これらの地域の諸国が米国の関与を不要だと自己主張しているように米国には映ったであろう(拙稿「核兵器廃絶と反核法律家協会の役割−NATO拡大・安保再定義と核抑止政策について」反核法律家誌1998年2月28日第23号所収)。

 91年湾岸戦争は、米国にとって新たな敵探しの格好の対象を与えたのである。反米的地域大国(「ならず者国家」)である。クリントン政権は、93年9月新たな国防政策である「ボトム・アップ・レビュー」を発表した。これは今後米国はイラクと北朝鮮を主要な敵として、中東と朝鮮半島において大規模地域紛争(MRC)を闘い勝利する(二正面戦略)ための軍事戦略と戦力規模・戦力構成・軍事態勢を定めたものである(90年代の米国の軍事戦略の変化について「冷戦後の米軍事戦略−新たな敵を求めて」マイケル・クレアー著南雲和夫・中村雄二訳 かや書房出版を参照)。

 またこの戦略の特徴は、大量破壊兵器と運搬手段(弾道ミサイル)の脅威を強調しその拡散を阻止することを安全保障戦略の重点にしている(拡散対抗戦略)。94年朝鮮半島危機は、北朝鮮の核開発疑惑と弾道ミサイルの開発配備を口実として、拡散対抗戦略を実行に移そうとしたもので、第二次朝鮮戦争の瀬戸際まで事態は進行したのである。
 米国が国家安全保障にとって最大の脅威とする「ならず者国家」とは具体的には、イラク、北朝鮮、イラン、シリア、リビアである。これらの国は軍事力において米国の敵ではなく、旧ソ連に代わる米国の敵としてはあまりにも見劣りがして、説得力に欠けるものであった。その上、湾岸戦争後イラクに対する国連経済制裁と米・英による軍事的封じ込め、94年10月の米朝枠組み合意とその後の米朝関係、朝鮮半島南北関係の改善から、クリントン政権末期には「ならず者国家」ドクトリンは根拠を失っていた(「ならず者国家」ドクトリンの形成とその破綻の経過について、「『ならず者国家』ドクトリンの適用と撤回−クリントン米政権の対北朝鮮政策の帰結」菱木一美 立命館国際地域研究誌2001年1月第17号参照)。そのため米国は大量破壊兵器とその運搬手段へと脅威の重点を移していく。

 他方で、80年代から米国を標的にしたテロ事件が増加し、米国はテロとの闘いを低強度紛争(LIC)として位置付け軍事作戦の対象とするようになる(戦争以外の軍事行動Military Operation Other Than War略称MOOTW)。1983年10月ベイルートの海兵隊宿舎爆破事件では、241名の海兵隊員が爆死した。
 このような米国の戦略の変化から、米国の核戦略も変化した。元々米国の核戦略は、ソ連とその同盟国との全面戦争を想定してたてられていた。即ちソ連の核兵器を抑止し、抑止が破れた場合にも核戦争で勝利するというものである。ところが90年代になり、「ならず者国家」との2正面での大規模地域紛争を闘い勝利するという戦略と大量破壊兵器の拡散抑止(拡散対抗戦略)に対応した核戦略が形成されるのである。「ボトム・アップ・レビュー」後の93年10月から「核態勢の見直し(NPR)」作業にかかり、94年9月に議会へ報告されるに至った。「核態勢の見直し」は、ロシア・中国を核兵器の標的に残しながら、他方で核兵器に対して「ならず者国家」と大量破壊兵器を抑止する任務を新たに付与したのである。核兵器の役割の拡大と呼ばれているものである。但し「核態勢の見直し」は国家に支援されないテロリストに対しては核兵器の抑止力は効かないことを承認している。この結果米国の核政策は、核兵器の先制使用と非核兵器国に対する核攻撃を容認するようになる。米国が「ならず者国家」と呼称する国はいずれもNPT加盟の非核兵器国である。しかし「核態勢見直し」で核兵器の抑止力は効かないとしたにもかかわらず、米国は更に核兵器に大量破壊兵器で武装したテロリストを抑止する役割を与えるようになった(90年代の米国の核戦略の変遷については、ハンス・クリステンセン著「核の将来−大量破壊兵器の拡散と米国の核戦略」1998年4月英米安全保障情報評議会BASICレポート参照)。

 1996年2月9日統合参謀本部は作戦文書「統合戦域核作戦ドクトリン」を作成した(文書番号Joint Pub 3-12.1)。この作戦文書は「第1章米国核作戦の役割」において冒頭で、「米国の核戦力の目的は、大量破壊兵器の使用を抑止することである。」と述べ、「作戦計画は敵による大量破壊兵器の使用の可能性を含まなければならない。」と戦域統合軍司令官に命じている。大量破壊兵器の脅威について、「ならず者国家への大量破壊兵器の拡散に加えて、拡散は非国家的主体まで巻き込んでいる。」という認識を示している。そして「第3章作戦計画と核兵器の使用」では核兵器の標的として以下の6種類の標的群を挙げている。

・ 大量破壊兵器とその投射システム及びそれに関する指揮・管制、生産、
 兵站部隊
・ 地上軍部隊とその関連の指揮・管制、支援部隊、
・ 防空施設と支援陣地
・ 海軍基地、戦闘艦とその関連支援施設、指揮・管制能力
・ 地下施設
・ 大量破壊兵器を所持する非国家的主体(それらの施設と作戦センター)

このように米国はテロリスト集団に対しても核攻撃することを計画しているのである。現在行われている「不朽の自由作戦」では米中央軍司令官が作戦の指揮を執っているが、この作戦計画の中には統合戦域核作戦ドクトリンの下で、核兵器使用計画も立てているはずである。
 クリントンは97年11月大統領決定指令(PDD)60に署名した。これはレーガン大統領時代の核戦争指令から18年ぶりの改訂である。レーガン指令はソ連との長期間(6ヶ月)の核戦争を闘い勝利するという戦略であった。PDD60はこの戦略を放棄した。その代わり、敵が大量破壊兵器で攻撃した場合合衆国は核兵器で攻撃するという内容を含むといわれる(ワシントンポスト紙1997年12月7日記事)。

 米国はこのような地域紛争での核兵器を使用するため、1997年5月核爆弾B61-11を実戦配備した。これは地中貫通核爆弾と称されており、爆発威力は最低300トンから最高300キロトンである(可変威力)。「ならず者国家」の地下司令部や地下施設を破壊する目的で開発されたといわれる。しかしこれでも核爆発の威力が大きすぎて地域紛争での小さい標的を攻撃するには適さない。B61-11は地中貫通といっても、乾燥地面では20フィートしか貫通しないといわれる。そのため核爆発の際のフォールアウトが広範囲に拡散する。米国は更に実戦で使用しやすい超小型兵器の開発を計画している(ワシントンポスト紙2001年4月15日付け記事、全米科学者連盟FAS論文「Low-Yield Earth-Penetrating Weapons」参照)。そのため米国は核爆発実験の再開を検討しており、その障害となりうるCTBTの批准を店晒しにするつもりである。ミサイル防衛は、地域紛争で核兵器を先制使用した場合の敵からの弾道ミサイルを防衛する盾の役割を果たす。

 現在米国とロシアは、戦略核戦力の削減とABM条約修正(ないし廃棄)の交渉をしている。両国間ではABM条約修正(廃棄)に関しては隔たりが大きいが、戦略核戦力の削減には合意しそうである。合意の形式即ち双務的(バイ・ラテラル)な条約形式を採るのか、一方的(ユニ・ラテラル)な削減方式になるかの違いはあるものの、両国とも戦略核弾頭の数を2000発前後まで(現有の3分の1)削減することでは事実上合意していると見てよい。ロシアは財政上の理由が大きいとされている。米国は、ミサイル防衛により敵の第一撃により破壊され戦略核戦力が少なくなるので報復用の戦略核を削減しても核抑止力に影響がないとの読みである。

 米国が大幅に戦略核を削減するという意味を、核軍縮の進展として評価することは早計である。「非対称的脅威」を核戦力の標的とするのが米国の21世紀戦略の特徴といっても、それは主として非戦略核戦力の役割である。戦略核戦力の標的には、依然としてロシアと中国が含まれていることは冷戦時代と変わらないのである。2001年12月に策定される新NPRを待たないと確定的なことはいえないが、米国の核抑止力を構成する、核の三本柱(地上発射ICBM,戦略原潜、戦略爆撃機)と核先制使用政策を変更する可能性は少ないであろう。また米国は大規模核戦争から核兵器を使用した地域紛争まで統合した核戦争計画を持っている。SIOP(単一統合作戦計画)である。SIOPに関して2001年6月に米国の天然資源保護会議(NRDC)から、驚くべき研究成果が発表されている。「米国の核戦争計画;変革の時」と題する論文である。米国の文字通り最高機密であるSIOPを2年間にわたり様々な情報を総合し、SIOPとほぼ同じくらいの内容をコンピューターでシュミレートできるようになったというのである。ウィリアム・アーキン、ロバート・ノリスなどの80年代から活躍している研究者が取り組んだものである。この論文で、SIOPは冷戦時代から変わってなく、SIOPを維持する限り核軍縮は進展しないので米国はSIOPを廃棄すべきであるという結論である。ロシア国内にある核攻撃の標的(軍事基地や政治中枢、産業基盤など)に対して米国がどの様な種類の核兵器をいくつ割り当てているかを、各標的毎にその強化度と攻撃に使う核兵器の爆発威力を計算して、更に「付随的被害」としてどのくらいの数の市民が犠牲になるかを、核攻撃の季節により推計している。米国の核攻撃の標的化政策(ターゲッティング)がどの様なものかが具体的に理解できるのである。
ウィリアム・アーキンらの勧告にも関わらず米国はSIOPを廃棄しないであろう。それどころかSIOPを軍事戦略・核戦略の変化に対応して変革しているのである。SIOPは米ソの大規模な核戦争を想定して策定されていた。そのため膨大な数の標的データベースにより核攻撃のシナリオを策定するため、内容の変更には93年春に完成したSIOP94でさえ17ヶ月かかった。ところが90年代以降米国はならず者国家や大量破壊兵器の拡散抑止更には非国家的主体をも核兵器の標的にするようになった。そのため米国の核戦力は、グローバルな範囲で何時どこでどの様な「不測の事態」に対応するかもしれない「不確実性」という脅威に対応しなけれならなくなった。90年代までの硬直したSIOPでは対応できなくなり、事態の進展に対応できるより短期間に修正可能な柔軟なSIOP(適応可能な計画、Living SIOPと呼ばれている)に変革してきている(ハンス・クリステンセン 前掲論文)。

 米国は今後一層核兵器の小型高性能化を目指して研究開発配備をするであろう。その一方で実戦では使用しにくい冷戦時代の巨大な威力のある戦略核兵器を削減する。これは実戦で通常兵器と同じように使用できる核兵器を目指すことであり、核戦略は一層先制使用政策に傾斜するであろう。またNPT加盟非核兵器国に対して核兵器使用しないという消極的安全保障の誓約を投げ捨てるであろう。21世紀は20世紀以上に武力紛争下で核兵器が使用される危険性が高い時代に突入しようとしている。

 オサマ・ビンラディンが核兵器を取得しようとしていた、という報道が駆けめぐっている。米国がアフガン攻撃で核兵器使用を正当化するための伏線として意図的に流していると考えるのは穿ちすぎであろうか。反核運動にとっては、テロリスト集団が核兵器を取得する可能性ということも視野に入れなければならなくなっている。核兵器使用の敷居が低下していることとあわせ核兵器廃絶は20世紀以上に重要で且つ緊急の課題となっていることだけは確かであろう。