▲▽▲▽▲コスタリカの集い 「軍隊のない国 コスタリカ」▲▽▲▽▲
講師:竹村卓さん(駿河台)

カルロス・ヴァルガスさんが来日できず、急遽、講師を駿河台大学の竹村卓先生にお願いし、コスタリカでヴァルガスさんに師事したアメリカ人学生レイチェル・ゴッテスフェルドさんにも参加していただきました。
また、主催者の皆さんのご案内で大阪国際平和センター「ピースおおさか」を訪問しました。

T 8月1日 東京 @18:30- 懇談会 日民協会議室 主催:コスタリカ訪問団(昨年9,10月)
U 8月3日 大阪 @15:00−懇談会 
          A18:30−講演会 ドーン・センター5階会議室
          B21:00- 懇親会

主催: カルロス・ヴァルガスさんの話を聞く会:呼びかけ団体 民主法律家協会、非核の政府をつくる大阪の会、平和問題懇話会、HAP大阪連絡会、あごら大阪、大阪憲法会議、自由法曹団大阪支部、新婦人の会中央支部、大阪労連他  
お問い合わせ: 梅田弁護士 電話:06−6942−7860


●日本の友人たち、東京、大阪、広島会議参加者の皆様へ●
カルロス・ヴァルガス (Carlos Vargas)コスタリカ  2001年8月02日


  はじめに、参加者の皆様が、国際的な市民社会の大多数が心に描く全面的な核軍縮を完結する約束の審議に挑んでおられる歴史的な会合に欠席しますことをお詫びいたします。私は美しい日本での会議や集会に心から参加したかったのですが、私のコントロールを越えた理由で参加できなくなりました。日本反核法律家協会の友人の皆様、IALANAの同僚、昨年コスタリカでお会いした代表団の皆様に、ご理解とご寛容をお願いする次第です。
  
  不幸にも、核兵器が戦争で初めて日本で使われ、壊滅的な結果と何千、何万もの罪のない人々の命が奪われ、56年が過ぎ去りました。今日、人類はすべてこの恐ろしい不幸、核兵器が私たちに向けられるかもしれないという脅威に苦しみ続けています。事実上、市民社会全体にこの脅威を維持することへの理解が広がっているにせよ、瞬く間に考えられない結果を人類にもたらす核兵器は、まさに、平和の達成と相いれるものではありません。

  38年前に日本で初めて、武力紛争に関する人道法が核兵器と戦争を禁止していることを確認した歴史的な「下田判決」が東京地方裁判所によって出されたにもかかわらず、文明全体を脅かす武器として核兵器が存在するという事実は、依然としてあります。
「....ヒロシマと長崎の爆撃は、一般に国際法、および特に戦争法(jus in bello)に違反する」という、基本的かつ本質的な結論に達したことを思い起こしましょう。
  先に述べたことに照らして、私はもう一度、男性、女性および子どもたちを生存の危機にさらす兵器の存在は、どうしても人間性または平和とは相容れないものだと断言できます。

●コスタリカについて
  コスタリカは農夫(現地住民およびイベリア半島からの移民)によって形成されました。今日のコスタリカの基礎を築いた女性、および男性は、肥沃な谷と高原で成長した単純な「心の貧しき人々」(spirits高ぶらない人々の意)でした。
  私たちの祖先は世界の出来事の主流から隔てられて生きていた森林の息子、および娘でした。
しかし、貧しく遠く隔てられているにもかかわらず、また、恐らく、だからこそ、私たちは、自由を愛し、寛容であることの素晴らしさを理解するようになりました。
・私たちは無知の中で知恵を育て、
・私たちは絶望の中で希望を見出し、
・私たちは弱さの中で連帯の鋭い感性を磨き、
・孤独の中で1人の限界を多数の貢献で克服できることを学びました。
  コスタリカは、世界の国の中でも、国際法の優位性を高める措置や民主主義的・多元的発展という考え方で個人の権利を保障する措置を第一に採用する国のひとつに数えられています。
  コスタリカは1869年に無料の義務教育制度を定め、1881年には死刑を廃止しました。
  コスタリカは中央アメリカ裁判所の所在地でした。1907年に設立されたこの裁判所は、国際法の原則を適用する世界初の国際裁判所であり、第一次大戦後、ジュネーブの立法府に恒久国際裁判所(Permanent International Court)の考え方が既に成熟し育成可能だったことを示す先駆的な機関です。
  サンホセ(コスタリカの首都)は、私たちの地域の最高裁判所として1978年のサンホセの協定によって創設された米州人権裁判所( the Inter-American Court of Human Rights )の所在地でも
あります。
  ほぼ1世紀経った今、フルタイムの就学率は高く、学生の3分の1以上を女子が占めており、代議制民主主義はコスタリカで滑らかに進められています。これは社会の立法化を進め、人々は強い市民感覚を賦与されています。
1949年の軍隊の廃止、および恒久の機関としてはその存在を禁じるという憲法上の規定は、わが国の紛争の平和解決への関与と、わが国の人々の国際法および多国間機構に対する信頼を際立たせるものです。
  実際、コスタリカは政権にある人々が実行する積極的中立という賢明な政策を常に追求してきました。
  コスタリカは中央アメリカの和平プロセスの原動力として、平和の達成のために必要な条件を評価し理解しています。平和とは単に武力紛争がないことではなく、協力と共通の価値および核兵器の使用と威嚇を含むことができないという考え方と現実に、本当にコミットすることです。
  総じて、コスタリカは、その歴史を通じ、豊かな創意工夫と他者を尊重することで、力不足を補ってきました。
  1995年にコスタリカが他の国々と共に、全ての国々が必要とする安全保障を考えるオルタナティブな安全保障の概念という脈絡で、国際司法裁判所に核兵器の使用と威嚇の適法性について判断を求めたのには、理由がありました。
  まだ鮮明に覚えていますが、1995年11月に、私はコスタリカの国際司法裁判所代表として、国際司法裁判所でこう陳述しました。"核兵器による威嚇は、ただ単に人道法および慣習法に一般的に反しているだけでなく、核兵器の使用と威嚇は、国連の目的を実現しすべての人々に基本的人権を提供する共通の安全保障を包摂するグローバルな秩序の達成と共存しえない」。
 この経験とその後1996年7月に国際司法裁判所によって出された勧告的意見の結果として、私は、核政策法律家委員会の要請で交渉に参加する機会を持ちました。コスタリカは国連に加盟国に配布するための文書「モデル核兵器条約草案」を提出しました。この草案は弁護士・科学者・軍縮問題の専門家の国際チームが作成したもので、一連の段階的なステップによって核兵器を禁止し廃絶するための計画を提示しています。
  6年後の今、私は市民社会のメンバーとして、特に軍隊も核兵器もない小さな国の民間人として、国連事務総長にモデル核兵器協定(Model Nuclear Weapons Convention)を提出する際に、コスタリカが核軍縮アジェンダに歴史的に貢献したと言明できます。

  私は、ちょうど日本の友人たちが今この場で行っているように、私たちが第一にやるべきことは、核兵器の危険に関ついて国際社会の市民を教育することだと強く確信しています。
  同時に、私たちは、核兵器およびそれらを構成するものの使用および製造を禁止している憲法の規定に基づき、自国内でもこうした活動をしなければなりません。
  私たちは、世界の核兵器をなくす運動にダイナミックに関わる者として、自分たちの地域の政府に、方向転換し核兵器の廃絶に向けた地域的、国際的な合意に積極的に参加するよう、活発に提言していかなければなりません。
  核兵器廃絶のための明確なコミットおよびステップなしに、今年を終わらせてはなりません。
今や、政府と市民社会が参加する共同の規範のもとに核軍需物資廃絶を導くフォローアップのメカニズムと手続きを決定するときです。