核兵器の廃絶をめざす日本法律家協会
 
 
 
 
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「原爆投下は国際法に違反する」との判決を想起しよう

大久保賢一

「原爆裁判」・「下田事件」とは何か
 1955年4月、広島と長崎の原爆被害者が、国を被告とする裁判を提起した。請求の趣旨は、原爆投下による精神的損害に対する慰謝料(数十万円)を支払え、である。請求の原因は、「米軍の原爆投下は、国際法に違反する不法行為である。したがって、原爆被害者は米国に対して損害賠償請求権がある。その賠償請求権をサンフランシスコ講和条約によって放棄してしまった日本政府は、原爆被害者に補償・賠償すべきである。」というものである。
 1963年(昭和38年)12月7日、東京地方裁判所は、原告の請求を棄却したが、米軍の広島・長崎への原爆投下は、国際法に違反すると判決した。国際法(戦時国際法・国際人道法)は、原則として、非戦闘員や非軍事施設への攻撃を禁止している(軍事目標主義)。また、不必要な苦痛を与える兵器の使用を禁止している。原爆投下は、そのいずれにも違反すると判断したのである。これが、「原爆裁判」である。別名、原告のひとり下田隆三氏にちなんで「下田事件」といわれている。
 50年前、裁判所は、原爆投下を国際法違反だとしているのである。

「原爆裁判」の論点
 この裁判は、多くの法律上の難問を抱えていた。(@)米軍の原爆投下は国際法に違反するかどうか、(A)違法だとされた場合、被害者個人が米国に対して損害賠償を請求することができるか、(B)それを米国裁判所が受け容れるかどうか、(C)請求権があるとしても、サンフランシスコ講和条約によって放棄されているのではないか、(D)日本政府がその賠償請求権を放棄することは違法なのか、(E)放棄が違法ではないとしても、放棄するのであれば国は損失補償をすべきではないのか、などなどの論点である。
 これらの論点を突破して原告の請求を実現することは容易なことではない。協力を求められた米国の弁護士たちは、このような裁判は「日米関係にとって好ましくない」、「弁護士費用として25000ドル(当時、1ドルは360円)を用意したら考える」などとして協力を拒否した。日本の多くの弁護士たちも、「蟷螂の斧だ」、「山吹の花と同じで、実を結ぶことはない」などとして尻込みをした。結局、この裁判を実質的に遂行するのは、たった二人の弁護士であった。岡本尚一と松井康浩である。岡本亡き後は、松井だけであった。お二人ともすでに鬼籍におられる。

裁判所の判断と松井弁護士の感慨
 東京地裁は、原爆投下は国際法に違反するとしたが、原告の請求は棄却した。国際法の法主体は政府だけである。米国は軍の行動に対しての賠償請求権を認めていない。日本の裁判所は米国政府を裁くことはできない。結局、原爆被害者は請求権をもたない。従って、原告は、サンフランシスコ条約で何も失っていないので、賠償も補償も請求できないという論理である。ただし、裁判所は、「被爆者が十分な救済策をとられなければならないことはいうまでもないが、それは裁判所の職責ではない。政治の貧困を嘆かざるを得ない。」と付け加えたのである。
 この判決に対して、原告下田隆一は、「国が少しでも親心を出してくれるのではないかと淡い希望を抱き8年間も頑張り続けてきた。とても残念だ。」との感想を述べている。松井康浩弁護士は、「この言葉は、私の肺腑をえぐる。」、「判決が被爆者の権利を否定したことは、多くの学者がやむを得ないところとし、裁判所も被爆者に深甚の同情を示し、政治の貧困をぶちまけてはいてもなお遺憾と言わざるを得ない。」、「政治の貧困を嘆かれても現実の救済にならない。」と振り返っている。原告のために孤軍奮闘した松井弁護士は、判決を評価する見解があるとしても、「なお遺憾である」としたのである。

「原爆裁判」の成果
 けれども、岡本弁護士や松井弁護士のたたかいは実を結んでいるのである。
まず、国内法制である。1957年に「原子爆弾被爆者の医療等に関する法律」が、1968年には「原子爆弾被爆者に対する特別措置法」が制定されている。これらの法律は、1994年に「原子爆弾被爆者の援護に関する法律」(被爆者援護法)となり、原爆被害者への医療や福祉の根拠となっている。原爆被害は特殊な被害と位置付けられ、原爆症認定訴訟の根拠法として機能しているのである。この「原爆裁判」が、原爆被爆者行政に寄与していることは間違いない。
 また、この「シモダ・ケース」は国際法の分野でも着目され、「核兵器の使用、使用の威嚇は国際法に違反するか」についての勧告的意見を求められた国際司法裁判所においても、参照すべき先例として位置付けられている。1996年、国際司法裁判所は、「核兵器の使用、使用の威嚇は、一般的に、国際法に違反する。ただし、国家存亡の極限状況においては、違法・合法をいえない。」としているが、その判断枠組みは、「武力紛争に適用される国際人道法の原則及び規則」であって、これは東京地裁の判断枠組みと共通しているのである。ここに、「原爆裁判」の影響をみることができよう。

核兵器の非人道性への注目
 最近、核兵器使用の非人道性に着目して、核兵器廃絶を実現しようという潮流が形成されている。国家安全保障のためであっても、非人道的結末をもたらす核兵器の使用は許されないとする言説である。日本政府は頑なにこの発想を拒否しているが、核兵器依存政策を転換する上で有効な立論であろう。
 核兵器使用が、非人道的であるというにとどまらず、国際法に違反するとした東京地裁判決から50年が経過している。しかしながら、国際社会では、未だ核兵器廃絶の具体的スケジュールは形成されていない。この判決の現代的意義を再確認する意味は大きいといえよう。
 日本反核法律家協会は、この12月、「原爆裁判」50年を記念するイベントを予定している。ご理解とご協力を心から期待したい。

2013年7月1日記