核兵器の廃絶をめざす日本法律家協会
 
 
 
 
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特集:「核兵器の非人道的結末」に関する国際会議(オスロ会議)
オスロ会議に向けての提言集

日本反核法律家協会(JALANA)の活動
   ―被爆者に寄り添い,たたかう弁護士の一人として―

日本反核法律家協会会長
弁護士 佐々木 猛也

日本反核法律家協会
 1945年8月6日,広島に,9日,長崎に投下された原爆は,街を廃墟にし,多数の市民の生命を奪い,健康を奪い,財産,生活を奪い,人間そのものを奪ったというのに,今もなお,この地球には,人類を破滅に連れ行く2万発を超える核兵器があります。
 1989年秋,国際反核法律家協会(IALANA)の創立総会に参加した私たちは,関東反核法律家協会を創立し,核兵器の使用及び威嚇は違法とする国際司法裁判所(ICJ)の勧告的意見を求める国際法廷運動(WCP)の高まりのなか,1994年8月,「核兵器の廃絶をめざす日本法律家協会」を結成し,核戦争は,法の支配の否定であり,法律家は核戦争を阻止するため,法律家の立場から核兵器の廃絶と被爆者の援護に寄与することを取り決め,三たび被爆者をつくらないで欲しいとの被爆者の願いを実現するため核兵器全廃条約の締結をめざし活動を続けて来ました。
 2011年3月11日の福島第一原発事故を受け,原発依存社会からの脱却をめざす新たな目標を設定し取り組んでいます。

世紀の実験―あれは戦争ではない
 1945年8月6日,澄み渡った夏の青空の朝8時15分,のどかな空気をいきなり突き破り,この世のものとは思えない強烈な橙色の光がピカッーと波打って走り,地を割らんばかりのドカーンと響く音。西の空には,異様な形の,まっ黒な不気味なキノコ雲が立ち上がり,空に留まって動きもしない異様な情景が目の前に現れました。
 広島から32キロ離れた場所にありながら,4キロ先の隣町で起きたと思わせるほど巨大なキノコ雲が立ちはだかったのです。あの光と音で,何もかも全てが変わってしまったのです。人口35万人の広島は,瞬時にして,焼き尽くされて野原となり,7万人が殺されたのです。その年の終わりまでに14万人が殺されたのです。
 爆心地から2.5キロの母の実家に住んでいた祖父と2人の叔母が被爆しました。爆心地から0.8キロの満員電車のなかにいた叔母は,2年後,30歳の若さで,1.3キロの距離で防空壕を掘る指揮をしていた叔父は,19年後,心筋梗塞のため52歳で亡くなりました。
 広島市在住の弁護士40名中23名が,9名の裁判官,1名の裁判官試補と35名の裁判所職員が,医師298名中60名が爆死しました。
 広島への原爆投下から74時間47分後の8月9日11時2分,27万人が住む長崎に投下された原爆は,その年の終わりまでに7万人を殺したのです。
 ニューメキシコ・アラモゴードに続く広島へのウラン爆弾の投下は2度目の実験,長崎へのプルトニウム爆弾の投下は3度目の実験でした。叔父や叔母を含む多数の市民,都市と文化,自然その他すべてのものが,「世紀の実験」の対象となったのです。
原爆は,被爆者に重篤な負傷を与え,財産を失わせ,生活全体を破壊し,病気で苦しませ,心に傷を与え,苦難に満ちたその後の人生を強いたのです。
 病気,貧困,差別,放射線障害,生きることへの不安を背負いながら生きて生きて生き抜いて来た被爆者たちは,「核兵器は人類と共存することはできない!」と訴えます。
 地獄のヒロシマ,煉獄のナガサキのあの瞬間は,まさに国際法違反の許しがたい瞬間でした。人道を無視した1発の兵器の使用による残虐,残酷な壊滅的悲劇は,「戦争」の一部ではありません。「戦争」の定義の範疇をはるかに越えています。
 原爆投下の「違法性と犯罪性」に眼をつぶることはできません。生きることを許さない被爆の実相を私たちは広く世界に伝える責務があると考えています。

ヒバクシャ援護
 ガン,白血病その他の病で健康を害した老齢化した被爆者たちは,2003年,全国一斉に各地で原爆症認定集団訴訟を提訴しました。
 「被爆者援護法」は,被爆者の病気が原爆放射線の影響によること(放射線起因性),かつ現に医療を要すること(要治療性)が認められると,原爆症と認定され,医療特別手当月額約13万円を支給されますが,国は,放射線起因性を認めようとしません。
 爆裂の瞬間,高線量の初期放射線で被曝した者が,特定の限定された疾病を発症した場合以外は認定対象外とされてきました。
 被爆者が罹患する病気は,非被爆者に比べ特異なものではなく,ガン等の疾病が放射線の影響により発症したと証明することは困難極まりなく,不可能に近いのです。
 あの日のヒロシマは,もうもうと舞い上がる灰神楽のなかを逃げ惑う被爆者たちで溢れていました。空を舞い,地に落ちた放射性降下物,放射性物質を含んだ埃や塵を呼吸して吸い込み,汚染された水や食物を摂取した人たちがいました。2キロ以遠の被爆者たちがいました。放射性降下物を含んだ黒い雨に濡れた人たちがいました。救護のため,身内を探すため,残留放射線に照射される爆心地に入った入市被爆者たちがいました。祖父も祖母もそのひとりです。
 体内に入った放射性物質は,身体の奥深く息を潜め,気づかれることなく牙を剥き出してα線,β線を発し,内臓諸器官を被曝し続け,今,様々な病気を引き起こさせています。原爆は,過去のものではなく,今も体内で悪の営み,内部被曝を続けているのです。
 言い渡された29の勝訴判決は,国の認定基準の誤りを指弾し,初期放射線による外部被曝のみならず放射性降下物を体内に取り込んでの内部被曝,放射化された物が発する残留放射線による被曝を認めました。癌性疾患のほか肝疾患などの非癌性疾患にも起因性を認め,高線量・直接被爆だけではなく,2キロ以遠の低線量被爆者や入市被爆者らの疾病の起因性を認めたのです。
 広島訴訟弁護団長として参加したこの壮大な闘いの結果,2008年4月,国は「新しい審査の方針」を作りましたが,原爆症認定に消極的であることに変りはなく,新たな訴訟を提起し闘いを進めています。

救済されないヒバクシャ
 1954年3月から5月までの間,中部太平洋上で,広島原爆の1000倍の威力を持つ水爆実験ブラボーを最初とするキャッスル作戦が行われ,延べ992隻の漁船が水揚げしたマグロなどの放射能汚染魚は廃棄され、「死の灰」を浴び、汚染魚を食した乗組員は、原爆症を発症して若くして死亡し、あるいは後障害に苦しんできました。第5福竜丸を除き何の補償もなく、全く救済されていません。一連の核実験の実相は,未だ明らかではありません。

核兵器全廃条約締結をめざして
 核兵器の廃絶は,原爆の悲劇を味わった被爆者の切実な願いです。それは,人類全体の課題です。当協会は,「核兵器全廃条約」という法的枠組みの創出により「核兵器のない世界」の実現をめざしています。
(1) 下田原爆判決
 「下田原爆判決」(東京地方裁判所1963年12月7日判決)は,勧告的意見が出た1996年7月8日までの間,原爆投下を司法判断の対象にした唯一のものでした。
 判決は,第1に,原爆投下の合法性の問題を審査し,第2に,禁止が条約上明確でない原爆投下について,当時の慣習国際法や条約の解釈,類推適用,国際法の諸原則に照らして解釈し,第3に,国際人道法の基本原則に照らし判断するという,核兵器使用の国際法上の評価基準を示した意義は大です。判決50周年の今年,当協会は,原爆投下と国際人道法を考える催しをします。
(2) 勧告的意見
 当協会は,世界法廷運動が進むなか,日本センターを立ち上げ,「核兵器は国際法違反」の地方自治体決議や「公的良心の宣言」署名を呼びかけ,短期間に330万人の署名を得て国際司法裁判所に送り,受理させ,判事たちの面前で直接,広島市長,長崎市長が被爆の実相,非人道性を訴え伝えることができるよう最大の努力を払い,政府を動かし実現しました。
 勧告的意見は,自衛権をつまずきの石として重大な問題を含んでいますが,「核兵器の特殊な性格」に言及し,「とりわけその破壊力,筆舌に尽くしがたい人間の苦しみを引き起こす力,そして将来の世代にまで被害を及ぼす力という兵器の独自の特性を考慮に入れなくてはならない」との認識を示し,その使用が人道法の基本原則とは「ほとんど両立しがたい」ことを認め,核兵器の使用と威嚇は,「一般的には」違法とする判断を示し,「厳格かつ効果的な国際的コントロールのもとで,核軍縮をめざす交渉を完結させ,努力をする義務がある」としたことは,その後の運動の大きな力になり,核兵器の非人道性の理解は世界中に広がりました。
(3) 国際民衆法廷
 2006年7月,私が共同代表として「原爆投下を裁く国際民衆法廷・広島」を開催し,当協会員らがアミカス・キュリエとなり,また検事団に加わり,国際法を専門とする3名の大学教授(IALANA副会長カルロス・ヴァルガス(コスタリカ)は,そのひとりでした)を判事とし,1年後の7月,原爆投下は,人道に対する罪,戦争犯罪を構成し,無防備都市への無差別爆撃であり,その犯罪性を認定し,被告人ローズベルト大統領,トルーマン大統領ら13名を有罪と断罪しました。
(4) 核兵器全廃条約にむけて
 1997年,IALANAなどが勧告的意見を受け起案した,時間を区切り段階的に核廃絶を実現する「モデル核兵器条約」をもとに,政府に「核兵器全廃条約」の締結を求めています。
 2010年,ニューヨークの国連本部で開かれたNPT再検討会議に代表団を派遣し,即時条約締結交渉の開始を求める意見書を提出しました。
(5) 北東アジア非核兵器地帯の設立
 長年にわたる朝鮮半島の戦争(休戦)状態は未だ続き,北朝鮮は核実験をし,ロケット(政府はミサイルと呼ぶが,衛星は今地球を周回中)を発射し,中国,ロシアは核兵器を保有し,日本は,北朝鮮や中国の核の脅威を口実にアメリカの「核の傘」に依存する政策にしがみつくなど,北東アジアは,政治的に極めて不安定です。
 当協会は,「先制不使用」に始まる信頼醸成を基に,「北東アジア非核兵器地帯」を創り核に依存しない安定と平和の安全保障体制の構築をめざしています。
(6) 非核三原則の法制化
 「核兵器をつくらない,持たない,持ち込ませない」という確定した国の施政方針である非核三原則が,核の傘・核抑止政策のもとで崩れようとする今,政治的宣言にとどめず,法制化による法的枠組みに取り込む運動を進めています。

原発に依存しない社会
 当協会は,原発事故を踏まえ,「新たなヒバクシャ」を生み出さない「原発に依存しない社会」を求め,「ノーモア・ヒロシマ,ノーモア・ナガサキ,ノーモア・ヒバクシャ」の訴えの重要性を再確認し,フクシマのヒバクシャ救済に取り組んでいます。

おわりに
 憲法前文は,「恐怖と欠乏から免れ平和のうちに生きる権利」があると宣言しています。核兵器も原発も恐怖であり,その使用や事故は,人間のいのちや健康を奪い,人間の破壊に導く,平和的生存権を脅かすものです。人類と核は共存できません。
 当協会は,核兵器も原発も,いのちの尊さ,人間の尊厳の思想を持ち合わせていないことを確認し,人類は自然を制御できない,核廃棄物処理の方法を知らない,それゆえ,核と手を切ろうと訴え,国の核政策の転換を求める活動を進めています。