1.核兵器の非人道性と新たな視点-核兵器使用への対処の不可能性
(1)国際人道法と核兵器禁止
1996年の国際司法裁判所の勧告的意見において、核兵器の威嚇・使用が一般的に国際人道法に反するとされた後、2010年NPT再検討会議の最終文書において「会議は、核兵器のいかなる使用も壊滅的な人道的結果をもたらすことに深い懸念を表明し、すべての加盟国がいかなる時も、国際人道法を含め、適用可能な国際法を遵守する必要性を再確認する。」と述べられたことを受けて、核兵器使用の非人道性から核兵器を非合法化しようという動きが強まっている。
こうした動きが、国際人道法の観点から核兵器を禁止しようとする動きを後押ししている。
(2)国際人道法に反することの内容
核兵器の使用について国際人道法から、最初に公的判断が示されたのは、日本の原爆被爆者が、原爆を投下したアメリカに対する国際法上の賠償請求権を放棄した日本政府を相手に起こした下田訴訟である。この訴訟の意義については、この提言集の松井芳郎論稿で詳しく述べられているので、ここでは、下田訴訟で、原爆投下が軍事目標主義に違反する無差別攻撃であるということとともに、戦闘員に戦闘終了後も持続的で不必要な苦痛を与えるということが国際法違反とされたことを指摘するに止める。1996年の国際司法裁判所の勧告的意見では、下田訴訟と同様の論点で論じつつ、より広範囲に核兵器使用全般にわたる主権の維持を含む軍事的必要性と人道上の考慮のバランスが議論された。そして、2010年NPT再検討会議後のオスロ、ナジャリット、ウィーンという3回にわたる「核兵器の人道的影響」に関する国際会議では、以上の論点に加えて国際人道法の基本的精神も踏まえて議論されたのが、核兵器使用に対する対処可能性をめぐる議論である。
(3) 広島市の「核兵器攻撃想定専門部会提言集」と対処不可能性
核兵器使用に対する対処可能性については、2007年11月9日の広島市による「核兵器攻撃想定専門部会提言集」においても、議論がされている。
核兵器使用後の対処については、対処のための情報収集、これに基づく対処措置の決定、そして具体的な対処措置の実施の各段階に分けられるが、核使用後には、核爆発による熱線・爆風による壊滅的破壊と合わせて外延の見えない放射線被害により、そのいずれもが大きな困難を強いられ、核兵器使用の対処の不可能性を強めるものとなっている。
2.原爆症認定訴訟と対処不可能性の原因としての未確定性
そこで、本原稿では、外延の見えない放射線被害の観点から核兵器使用に対する対処不可能性を念頭に置いて、日本で進められている原爆症認定訴訟について紹介する。
(1)原爆症認定制度と原爆症認定訴訟の経過
まず、原爆症とは、原爆の放射線により引き起こされる疾患である。次に、原爆症認定制度は、法的な被爆者が病気に罹った場合に、①その病気が原爆放射線の影響によるものであり、かつ、②医療が必要と認められた場合、「原爆症」と認定し、原爆症と認定された被爆者には、月額13万円余(約$1000)手当が支給されるものである。
ところが、長い間、原爆症と認定された被爆者は、法的な被爆者全体のごく僅かであった(全国にいる法的な被爆者のうち、0.7%ほど)ために、全国でこれを改めるための訴訟が日本被団協の提唱により提起され、2003年以後、各地で訴訟が係属し、最終的な全国での原告数は307名、全国17地方裁判所に及んだ。
訴訟での大きな争点として、原因面の放射線については、残留放射線の影響評価が問題となり、結果面では放射線による影響の認められる疾患の範囲が問題となった。
当時の行政が採っていた認定基準では、初期放射線(爆央からのγ線と中性子線)の線量(爆心地からの距離に相関する)のみを基準に、影響があるとされる疾患もきわめて限定がされていたため、原爆症認定の対象が実質初期放射線が強い近距離(最大限2km)で被爆した被爆者の悪性腫瘍と白内障に限られていた。これらについて、原告ら被爆者は被爆の実態(被爆直後に入市した被爆者や2km以遠で被爆した被爆者にも放射線の影響としか考えられない身体症状―脱毛、紫斑、下痢等―が認められた事実)を示し、さらに原爆症認定の基礎となっている世界最大の放射線影響データであるABCC―放影研の疫学データが初期放射線しか考慮していない問題点等を指摘し、合わせて多くの医学データを証拠として提供することによって、多くの勝訴判決を勝ち取ってきた。その結果、2009年8月には、総理大臣麻生太郎(当時)と被爆者の代表との間で、原告側勝訴(当時ほぼ9割が原告勝訴であった)後に上級審に係属していた事件につき、国側が上訴を取り下げて終結させ、敗訴原告にも解決金を支給するとともに、「定期協議の場を設け、今後、訴訟の場で争う必要のないよう、この定期協議の場を通じて解決を図る」という合意の上、訴訟を終結させた。
(2)その後の行政の対応と新たな訴訟
しかし、これでは争いの終結とはならなかった。とりわけ、2011年3月11日の東日本大震災に伴う福島第1原発事故後は、放射線影響の評価が福島の被災者へつながることをおそれた行政庁は原爆症認定に参加する専門家と結び、強い抵抗を示すようになった。
そこでノーモアヒバクシャ訴訟と呼ばれる新たな集団訴訟が提起されるに至り、現在、原告数は100名を超えている。
(3)訴訟の争点と残留放射線影響評価の困難性
ここで争点となっている残留放射線の問題について述べる。
日本に投下された原爆は、広島では上空約600メートル、長崎では約500メートルで炸裂した。起爆されて臨界に達し連鎖反応が起こると核爆弾の中心部には、火球と呼ばれる高温高圧のプラズマ状態が生まれ、これが急激に膨張することによって熱線と爆風、さらに中性子線やγ線といった放射線を発する。この火球の大きさは爆発力によって異なり、広島の場合の火球半径は約280メートル前後であると推定され、そのため広島、長崎ともに火球は、地面に接触していない。
そのことから、従来、火球の中にあった核分裂性生成物は大気中へ飛散し、また、土壌の誘導放射化も大きくはなく、従って、残留放射能は少ないとされてきたのである。しかし、被爆後入市した被爆者、あるいは遠距離にいた被爆者にも放射線によるとしか考えられない脱毛、紫斑、下痢、喉頭咽頭病変等が出現し、さらに戦後もこれらの被爆者も体調不良等に悩まされた。そこで、遠距離、入市の被爆者について生じたこれらの身体変化が放射線によるものか否かが争われ続けてきた。訴訟においても、核分裂生成物の降下(黒い雨や黒いすす、放射性微粒子)による説明がなされたが、最近では、核爆発によって地上の誘導放射化物質が巻き上げられ、これがキノコ雲にどの程度、巻き込まれるかという点も争点となっている。
そして、前記の合意確認後国の対応に納得できない被爆者が全国で116人が提訴し、これまで(2015年1月30日)に下された地裁判決の対象となった原告32人中、26人が勝訴の判決を得ている。
3.核兵器への対処可能性と国際人道法―原爆症認定訴訟を通じて
(1)科学の進展と規範の変容
人類は自ら作り上げた技術の進展、それに伴う社会の変化に合わせ、社会構成員が従うべき規範の内容を変容させてきた。現在、人類はあらゆる意味で、自ら作り上げた文明にどのように対応すべきかをめぐって、社会、そして、その行動のありようが問われている。
(2)対処の前提としての予測可能性
今、このような意味で人類に科せられた最大の課題の一つが、核、そして、核エネルギーへの対処、とりわけ、核兵器への対処の仕方の問題である。
人間の行動、そして社会では、相手の行動予測を含め、情報の正確性がきわめて重要である。そして、情報については、多くを技術に依存しながらこれを踏まえ、最終的に感情を踏まえた価値判断によっている。こうした中で武力攻撃に対して採られる対処の一つが反撃であり、もう一つが救援である。
ところが、核兵器使用の対処については、予測が非常に困難となる。原爆では、相手の使用する爆弾がどの程度の爆弾であるか、およそ判断できず、攻撃を受ける側は反撃しない限り、自らの社会が消滅させられると考えるであろう。また、その際、その後、大きな放射線影響を受けると考えるか、そうでないか、その時点では、およそ予測が不可能である(なお、軍事目標主義を前提にした軍事効果を考えたとき、他の兵器ではなく核兵器を使用する必要性があるのは、地下のサイロ破壊以外考えにくいが、そうすると大量の放射性物質を生成することになる)。
さらに核兵器が使用された後の救援も大きなジレンマを抱えることになる。広島、長崎では、当時「新型爆弾」と呼ばれた原爆が核兵器であることを知ったのは、ごく一部の科学者だけでであった。そのため、救援に入った人々の少なからぬ人々が残留放射線の影響で命を失い、あるいはその後の身体に影響を受けてきた。そして、子供を連れて入った親たちはそのときの行動を悔い続けた。このような放射線影響の未確定性は、救援について重大な影響を及ぼす。東日本大震災に伴う原発事故では、原爆と異なり放射性物質が放出されたことが分かっていた。そのため、地震、津波で生き残った人があることが分かりながら、放射線のため救援ができたかも知れない人々の救援を断念し、また、放射線の影響を避けるために、病院に入院している人々を無理に移動させ、そのために命を失ったりした。混乱した状況の中では、最も適切な行動をとることは不可能である。
特に核爆発後にどの程度の汚染があるか、適切な判断は不可能である。
原爆被爆者の中には、自ら生き残ってしまったことに強い自責の念を持っている人々が少なくない。それは被爆当時、業火の中で生き延びるために見捨ててきたことへの自責が強く働いている。次の核兵器使用においては、放射性物質による汚染が分かるために、より強いジレンマに陥ることになるであろう。
(3)人道の基礎を破壊する核兵器
国際人道法の基礎は、人間らしい行動を保障することにあると考える。赤十字が兵士の救援に入ることから始まったのもこのような人間らしい行動を保障することにあるのであろう。ところが、核兵器はこのような意味での人間的行動を不能にする。反撃が功利的、人間的ではあり得ないし、また、救援についても、救援をするか、見捨てるか非人間的な判断を迫られることになる。このように考えるといかなる意味においても、核兵器の使用は国際人道法とは両立しないと言わなければならない。