朝鮮戦争での原爆使用の危機
米国の軍人マッカーサーは、朝鮮戦争(1950年から1953年。ただし、現在も休戦状態)での核兵器使用を考えていた。「30発から50発の原爆(※1)を満州の頚状部に投下すれば、10日以内に勝利できる」、そうすれば「少なくとも60年間は北から朝鮮を侵攻する余地がなくなる」という発想である(※2)。広島と長崎への原爆投下の最終決定者であった当時の米国大統領トルーマンは、「アメリカの所有するいかなる兵器も使われうる」と核兵器使用をほのめかしていた(1950年11月30日)。トルーマンとマッカーサーの思惑は重なっていたのである。けれども、翌年4月、トルーマンはマッカーサーを解任している。米国の核廃絶運動指導者ジョセフ・ガーソンは、その解任理由について「マッカーサーが無鉄砲に核兵器の使用を望んだからではなく、それが確実に使われるとの確信をトルーマンにもたせたからだ」としている(※3)。沖縄・嘉手納に核兵器を集結させていたトルーマンが、その使用をためらったのは、当時の英仏首脳が、もし朝鮮半島で原爆が使用されれば、ソ連が西側に原爆を使用する可能性があるとの危惧を表明したからだといわれている(※4)。結局、マッカーサーは解任され、核兵器の応酬はなかつた。
マッカーサーはなぜ使用しようとしたのか
マッカーサーは、「現在生きている人で、私ほど戦争とそれが引き起こす破壊を経験した者はいないだろう。…原子爆弾の完成で、私の戦争を嫌悪する気持ちは当然のことながら最高に高まっていた」と述懐している(※5)。その彼も「北からの侵攻」阻止のために核兵器の大量使用を考えていたのである。「北からの侵攻」阻止とはソ連と樹立されたばかりの中華人民共和国の脅威との対抗を意味している。
マッカーサーは反共主義者であることを自認していた。その理由は、共産主義は独裁であり無神論だということにあった。マッカーサーのその信条は、当時も今も、米国社会を覆っている「アカに支配されるくらいなら死んだほうがましだ」という心象風景と共通している。当時、この風潮は、思想・良心の自由など全く無視する「マッカーシズム」といわれる反共産主義の嵐をもたらしていた。そういう時代背景のもとで、原子爆弾の威力を知り、戦争を嫌悪していたはずのマッカーサーも、朝鮮半島での核兵器使用を画策していたのである。
反共主義者の共産主義理解
私は、共産主義を好きか嫌いかは各人が決めればいいと思っている。ただ、人間の大量虐殺を禁止しない神様は怪しい神様だと思う。そして、反共主義者が、共産主義が嫌いだという理由で核兵器使用をためらわない感性には吐き気を覚える。他方、共産主義者の暴力にも反対であるし、いわんや核兵器使用など論外である。核兵器が使用されれば、その対立する陣営だけではなく、人類社会の破滅をもたらすからである。核兵器禁止条約は「壊滅的人道上の結末」という言葉で表現している。核兵器は、革命や社会進歩のためであれ、またそれを阻止するためであれ、使用してはならないのである。もし使用されれば、勝者は存在しえず、累々たる墓碑銘が残るだけだし、最悪の場合、墓碑銘を刻む人もいなくなるからである。共産主義に賛成か反対かで、核兵器の応酬などしてはならないと心の底から叫びたい。けれども、共産主義理解は決して簡単ではないようである。
ガルトゥングの姿勢
「平和学の父」といわれるヨハン・ガルトゥングは、「共産主義を好まない」としている。
けれども、その彼は、1970年、教育調査団の一員として日本を訪問した時、文部省(当時)の担当者が日本教職員組合と日本共産党には会わないでくれとしていたにもかかわらず、共産党幹部と面会している。その時の感想は「彼らは博識で教養があり、しっかり私の質問に答えてくれた。彼らの話の中に、共産主義を思わせるものは何もなかった。私が『共産党』という名前に疑問を呈したのはその時であった」というものである。そして、共産党は理にかなった主張をしているのに、日本人全体の声を代弁する勢力になっていないのは「共産党」という名前のせいだとしてその変更を進言したそうである(※6)。
一方、彼は、誰かが「私たちは広島に原爆を落とさなくてはならない。それは神が私たちに与えた使命だ」と主張すれば、ほとんどの人がその正気を疑うだろう。しかし、その主張が無害な表現に形を変えたら、同じ考えを持つ人々が増え、一気に間違った方向に動き始める危険を秘めている、と警告している。彼は、核兵器使用にも、それを煽り立てる狂気にも反対なのである。「反共主義も好まない」としている彼は、無知で無謀な反共主義者とは明らかに違うのである。
二つのエピソード
ここで二つのエピソードを紹介する(※7)。
一つは、自民党のブレーンを30年間勤めていた憲法学者の小林節さんが、「ぼくは善意から『日本共産党の名前を変えたほうがいい』と言いました。しかし、党大会の文書を読んで、『共産主義はこれからの日本の希望だ』と思うようになりました」と言っていることである。もう一つは、1970年代から文部省に勤務していた寺脇研さんが少し後輩の前川喜平さんと「私は、教職員組合の人としょっちゅう酒を飲んでいたので、自民党のタカ派から『あいつは共産党だ』と言われていましたよ」、「あの人たちは自分に反対するものはみんな『共産党』と言うんですよ」と対談していることである。
共産主義や共産党は知性ある人々の間でも様々な理解がなされているようである。
むすび
私は、共産主義とは①人間は自己保存的行動だけではなく、自由な選択に基づく発展が可能である。②その発展を阻む社会を変革し、人間の可能性を全面開花できる社会の実現は可能である。③そのためには、生産手段を資本家の私的所有から社会による掌握へと転換する必要がある。④それは必然の国から自由の国への人類の飛躍である、という思想であり運動であると理解している。そして、その未来社会では、すべての人々が恐怖と欠乏から免れ平和のうちに生活する物質的・社会的条件を保障され、各人はそれぞれの「自分探し」をしているであろう。
他方、そんなことはさせない、そんなことは無理だ、としている勢力は決して小さくない。自分のすべてが奪われるかのようにこの思想を恐れる「勝ち組」やそれを忖度する「太鼓持ち」や「茶坊主」はいつの時代にも存在している。そして、日々の労働に追われて考える時間を奪われている人々もまだまだ多いのである。
そんな時代にあって、断言できることは、共産主義者であれ、反共主義者であれ、他人の思想が気に入らないからといって、核兵器使用などは絶対にしてはならないということである。それは、すべての人間の生存条件を奪うことになるからである。
(2020年3月1日記)
※1 1948年6月には約50個であった原子兵器の備蓄は、1950年6月までに300個近くへと急増する。カイ・バード他著・河邉俊彦訳『オッペンハイマー』下
※2 ジョセフ・ガーソン著、原水爆禁止日本協議会(日本原水協)訳『帝国と核兵器』
※3 同上
※4 水本和美「被爆地の訴えは核軍縮を促進したか」『平和をめぐる14の論点』所収
※5 ダグラス・マッカーサー著、津島一夫訳『マッカーサー大戦回顧録』
※6 ヨハン・ガルトゥング著、御立英史訳『日本人のための平和論』
※7 しんぶん赤旗日曜版2020年3月1日付