核兵器の廃絶をめざす日本法律家協会
 
 
 
 
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書評
核抑止の理論−国際法からの挑戦
(浦田賢治編著、憲法学舎叢書第4号、日本評論社、2011年12月)
城 秀孝(神田外語大学)

はじめに
 先頃北朝鮮の後継指導者となった金正恩は、就任後初めての弾道ミサイル発射(北朝鮮自身は人工衛星打ち上げと称する)と、核実験を行うことを目指している。その一方で、核兵器のない世界を目指して大演説を吹聴することでノーベル平和賞まで受賞した米国オバマ大統領は、一向に核廃絶に取り組む姿を見せていない。また、わが国では鳩山総理が抑止力についての迷走発言を行って大きな社会問題となった。現在、東アジアという緊張の高い地域において平和問題を考える上で、核兵器や抑止力についての正しい理解が不可欠になっているといえよう。
 こうしたなか出版された本書『核抑止の理論』は、核による抑止力とはいかなるものかを体系的に明らかにしたものであり、現代世界が抱える核兵器の問題を正しく理解するための必読書となるものである。

本書の構成
 本書は全体を二部構成に分け、第一部を核抑止の理論的検討に充て、第二部を核抑止という行為がもたらす影響を国際法との関連から批判的に検討している。
 第一部「核抑止の理論」では、核抑止論を歴史的に分析し、それが現在に至るまでに如何なる変遷を遂げたかを明らかにする。そして、核軍縮実現のための政策提言としての核兵器の「脱正当化」の試みを紹介する。
 第二部「国際法からの挑戦」では、核兵器の保有・使用を明文で禁止した国際法規則が存在しない現状において、既存の国際法規則の集成から、核兵器・核抑止の合法性を丁寧に読み解いてゆく。とくに国際人道法と核兵器の関係を、国際司法裁判所・英国高等法院の判例や米国の実践などを通じて分析し、核兵器の保有・威嚇・使用が国際法上禁止されるかについて明らかにしてゆく。
 最後に巻末資料として、@サイモン財団と国際反核法律家協会(IALANA)が開催したバンクーバー会議で出された、核兵器のない世界を求める宣言と、Aフクシマ事故を経てIALANAから出された核兵器・核エネルギーのない世界を求める宣言、を収めている。

各章の概要
第一部
 第1論文「核抑止の理論」(浦田賢治)は、核抑止論を理解するうえで必要な歴史的検討を行い、それが現状にどのように繋がっているかを明らかにする。1945年7月のトリニティ核実験によって開かれた「核時代(nuclear age)」において、核保有国を支える理論的支柱となってきたものは、経験則にもとづく理論基盤というよりも「神話」に近いものである。それは、実証的データを駆使して明らかにされた概念によるというよりも、抑止以外に防衛策がないと感じてしまう我々の「こころ」の問題が重要視されているというのである。それ故、核抑止を理論的に明らかにするうえでは、経験に即した実証的な研究態度が必要であって、核抑止理論の仮象性を暴露するという意味での批判を受ける契機が核抑止理論には本質的に内在しているのである。
 第2論文「NATOの核戦略」(小倉康久)では、北大西洋条約機構(NATO)がこれまでどのように核抑止を考えてきたかが明らかにされている。NATO成立当初において核兵器は抑止のための兵器ではなく、実戦での使用が検討されていた。こうした背景から、状況に応じて核兵器の使用もありうるという柔軟反応戦略がNATOで発展してきたといえる。もっとも、東西冷戦終結により核兵器の役割が低下したNATOにおいては、「新戦略概念」を導入し、「核兵器のない世界」に言及するに至った。
 第3論文「核兵器の脱正当化」(ケン・ベリーほか。モントレー不拡散研究所がスイス政府からの委託により研究した論稿)では、核兵器そのものの価値ではなく、核兵器に「投影」された「有効性」を否定することを重視する。かつてソ連と日本は核兵器によって抑止されなかったという歴史的事実を理解すれば、抑止とは「抑止されるはずの側の信念に左右される」ことが明らかなのである。それ故、一般市民の参加によって歴史の書き換えを行い、そのうえで軍人を取り込んで政治の関与による軍縮を達成し、核兵器の「脱正当化」を模索することを提言する。

第二部
 第4論文「核抑止政策に対する国際人道法の適用をめぐって」(山田寿則)では、国際司法裁判所(ICJ)核兵器勧告的意見を詳細に検討し、核兵器の違法な使用を前提とする場合には、その核威嚇も違法であることを明らかにする。ただし、核兵器の開発・保有それ自体が違法であることまでICJが判示できていないという問題点が残る。そして、英国で発生したトライデント・ミサイル破壊事件に関するスコットランド刑事上級裁判所の判例をもとに、核抑止政策に対する国際人道法の適用可能性について検証する。
 第5論文「(講演録)核兵器の時代に終止符を」(ヤコブ・ケレンベルガー)では、赤十字国際委員会(ICRC)の活動を通じて発展してきた国際人道法の理念を、核兵器問題を議論する上での「共通通貨」として重視すべきことを説く。そして、人道組織としてのICRCの立場が、「法的分析の枠を超越したもの」であることを訴え、核兵器の不使用を確保するために諸国は条約を締結すべきだと提言している。
 第6論文「(講演録)今日の核抑止の犯罪性」(フランシス・ボイル)では、国際人道法を中心にして核兵器問題を考えるべきであることを訴える。国際人道組織としての赤十字国際委員会(ICRC)は、法的検討を超越した存在であることを重視し、それ故に諸国は条約を締結して核の不使用を確保しなければならないと提言する。
 第7論文「核抑止のパラドックスと国際法との関連性」(フランシス・ボイル)は、東西冷戦終結以前に書かれた核抑止と国際法の関係についての本格的な研究論文である。米国陸軍教範の検討を通じて米国がソ連を核攻撃することが国際法上どのような問題を含むかを検討する。教範の起草者バクスター教授の見解をもとに、核兵器を人道法適用対象外だと考えることが誤りであることを論証する。また、ソ連がいかなる核兵器・核抑止政策を追求しようとも、米国は「ソ連を模倣すべきではない」ことを力説し、「国際法遵守」による「重要な国益」を保持することを訴えている。

おわりに
 フクシマ事故の後、日本において原発をめぐる議論は盛んになったが、その一方で核兵器に関する議論は進展をみせていない。アジアに目を転じると、北朝鮮やイランによる核開発疑惑は払拭されず、核戦争の危険が低減される兆しは見えない。こうしたなかで我々は核抑止とはなにか、そして、核抑止という国際人道法理念と両立しえない行為を如何にして廃してゆくかについて真剣に検討することが求められている。本書はその有益な一助となること間違いないであろう。本書は、核抑止に関する歴史・現状・理論・法的検討など多くの論点を盛り込んだ充実した一冊となっているが、北朝鮮・中国・ロシア・イラン等の見解について詳細な検討を行ったものではなく、また、日本の核抑止政策についても紙面を割いてはいない。しかし、それらは本書の価値を何ら減ずるものではない。わが国でも一部の政治家や論壇において日本核武装論が燻り続ける現状があるが、多くの人が本書を通じて核抑止の問題に理解を深めることを願ってやまない。