核兵器の廃絶をめざす日本法律家協会
 
 
 
 
 意見 >>> 国際反核法律家協会(IALANA)に関する文書

日本においての原子炉の惨劇
―世界の環境担当大臣に向けた公開書簡―

C・G・ウィーラマントリー
ハーグ、国際司法裁判所前副所長
国際反核法律家協会会長
ウィーラマントリー国際平和教育・研究センター創立者
2011年3月14日
 日本においての地震と原子力発電所の損傷という結果は、世界中の人々に衝撃と重大な警告を与えました。明白な危険性にもかかわらず、原子炉は世界中に拡散し、来たる1000世代にわたって汚染や先天性奇形の種子をばらまいています(核活動によって生じる物質の一つであるプルトニウム239の半減期は24100年です)。
  将来の世代は私たちと同じ人類という家族の一員ですが、彼らは自らのために語る言葉を持ちえません。私たちは、これをよいことに将来の世代に壊滅的な損害を与えつつあるのです。このようなことは、環境について私たちに託された責任を果たすことなく行われています。私たちは環境の所有者ではなく管理者に過ぎません。すべての市民は、その一人ひとりが環境の受託者です。政府はなおさらのことですし、特に世界の環境担当大臣は、この点に関して特別の責任を負っているのです。もし、原子炉がもたらす恐るべき結果を認識しているのに、このような可能性を残すばかりか、さらに産みだし続けるのならば、私たちは自らの義務を果たさないことになるでしょう。私たちの世代、特に環境への配慮を特別に委託されている者は、歴史の法廷において、私たちの義務の不履行と信託の濫用について弁明しなければなりません。つまり、私たちは、将来の世代に対するありうべき最も重大な犯罪に関与しており、しかも、これは、私たちの行動がもたらす影響を十分に認識しつつ行われているのです。
  もし、石器時代の人々が環境損害を発生させて、私たちの世代に先天的な奇形をもたらしていたのなら、私たちは彼らを残忍、粗暴で野蛮な人間だと非難したでしょう。もっとも、このような損害を彼らが発生させることが可能であったとしても、将来の世代に引き起こされる回復不能な損害についての考えを持つことはできなかったでしょうが。その一方で、私たちは、将来の世代に引き起こされる悲劇的な損害について完全に認識しているのに、遅かれ早かれ、これらの危険がもたらされることが明らかな活動を推進しています。私たちは世界中で原子炉を建設し続けているのです。
  就学中の子どもたちでさえ、地球上のどのような力も、地震、津波、戦争、暴動、管理の過失や他の災害に対して対抗できないことを認識しています。このようなことは、一定の期間を通して必ず発生するもので、私たちは、これらが起こりうることをほとんど確信しているだけでなく、その排除手段が存在しないこともまた知り得ています。このために、私たちは、幾重にも残忍、粗暴で野蛮な人間となるのです。開明的とされている現代においても、私たちは、自らの子孫に与える長期的な悪影響を完全に認識しながら、あらゆる責任を無視し、さらなる原子炉建設を推進することによって、短期的な利益を追求しているのです。太陽光、または他の再生可能なエネルギー源は、世界のエネルギー需要のすべてを提供するものですが、私たちはこのことを無視しています。大多数の人々と将来の世代に多大な負担が生じるにもかかわらず、原子力産業に従事するわずかな者に莫大な利益をもたらすからです。
  この結果、私たちは、人類史上もっとも破壊的な世代になってしまったのであって、私たちが信託に基づき環境を保持している相手である数十億の人間の、疑いない生まれながらの権利を侵害しつつあるという事実に無頓着になってしまっているのです。
  私は、この点に関して、過去30年以上にわたって核兵器、原子炉、核廃棄物の危険性と対峙してきた立場から提言します。はやくも1985年には、私は日本科学者会議の依頼で日本の主要地域を回り、核兵器、原子炉、および核廃棄物が人間に与える差し迫った危険性について講演しました。
  また、30年近く前ではありますが、『眠りし歩哨―技術の跡を追う法と人権』(The Slumbering Sentinels: Law and Human Rights in the Wake of Technology, Penguin 1983, pp.139-141)という著作において、私は、原子炉からの放射能漏れと私たちの生存を脅かす重大な事故の可能性を示すことで、この危険性を指摘しました。同書では、都市の住民が深刻な原子力事故により放射能に汚染された際には、「原子力事故から免れるため」だとして、国策上、これまでにない奇形児の誕生を防ぐために不妊手術が強要される可能性についても言及しました。さらに、私は、大都市近郊の巨大な原子力事故の損害額が数千億ドル以上としか試算できず、保険によっても賄いきれない財産的・健康的被害を引き起こす事実についても論じています。1982年の初めに、米国原子力規制委員会(NRC)は、原発事故の死者と財産的損害についての試算を公表しており、密集した市街地での被害額を3000億ドル以上と見積もっています。ハリスバーグの核リークによると、当時の状況で、今後数年以内に世界のいずれかの場所で原子力事故が発生する可能性は5〜10%とされており、これは、原子力事故がどれだけ身近なものであるのかを示しています。このような起こりうる惨状の合理的な予測は、原子力の拡大を提唱する人々の政治的・経済的な力が結合することによって埋没してしまっているのです。
  核兵器の合法性に関する国際司法裁判所の勧告的意見での私の個別意見では、次のようなことを議論しています。核攻撃による原子炉損傷の可能性、150マイル風下の住民がさらされることになる致死量の放射線、600マイル以上離れた土地で発生する放射能による環境汚染などです。また、同意見では、チェルノブイリ原発事故において、事故発生後の数年間にわたり、周囲数千平方マイルのすべての生命に引き起こされた損害についても述べましたが、これは、ソビエト連邦全体の医療従事者、供給物資、設備の投入など、この強大な国家の資源を最大規模で用いるものでした。このような事故は、弱小の国家であれば、再生に数世代はかかる歳入、生命、職業、資源の喪失を伴う損害を与えるものです。事故による医療的な傷害には、発作、血管障害、心血管虚脱、ケロイドやガンなどもありました。
  長年にわたって、これらの危険性を裁判判決、著作や世界での講演で議論してきましたが、私の予見する最悪の事態は現実となってしまったのであり、私たちが自らの子どもとその子孫に対する信託を裏切って、責任を放棄し続けるのならば、事態がさらに悪化していくと考えると、私は打ちひしがれてしまうのです。
  原子炉の廃止を申し立てたとしても、核廃棄物の問題に言及しなければ不完全でしょう。核廃棄物は、健康と環境に対する放射能の危険性、そのすべての要素を健康と環境にもたらすものですが、放射能で汚染された有毒な堆積物を処理する方法は、いまだ知りえていないのです。核廃棄物は、深海底、深い穴の中、塩の層の中、もしくはその他の場所に持ち込んだとしても、24000年もの間、貯蔵所内で安全に維持されるとは誰にも保証できないものです。私たちは、倫理や法のあらゆる基準によってもまったく正当化できないやり方で、将来の世代に対して、何世代にもわたって環境・身体上の汚染源を残していくことになるのです。
  もうひとつの危険性として、実はこれだけで原子炉の全廃を正当化するのに十分なのですが、何百もの原子炉から排出される核廃棄物の総量はおそらく計測することができないという点があり、周知のように、国際原子力機関(IAEA)でさえ、このような記録は保持していません。核廃棄物は、核兵器の製造に必要となる原料ともなりますが、核兵器の製造に関心を持つ世界中のテロリストの手に届くものとなってしまっています。著名な物理学者によっても述べられているところでは、これは、インターネット上で核兵器を構築する必要な知識が利用可能な世界においては、特に危険なことです。
  つまるところ、原子炉の存続と拡散は、人道法、国際法、環境法、および国際的な持続可能な発展に関する法のすべての原則に反するものなのです。
  ネイティブアメリカンに見られる古代の人々の伝統的な知恵では、コミュニティに関する重大な決定は、将来の7世代への影響を考慮せずに行ってはならないとしています。伝統的なアフリカの知恵では、コミュニティに影響を与えるあらゆる主要な決定には、これがなければ偏った決定ともなる人類の3つの顔、すなわち過去の人々の顔、現在ここに生きている人々の顔、未来の人々の顔を念頭に置くことを定めています。
  私たちの現代の技術文明は、このような伝統的な知恵を無視し、すべての環境法の基礎ともなる、地上を慎重に歩むべきという支配的な原則をも無視しているのです(このような側面については、私の著作、『地上を慎重に歩む―宗教、環境と人類の将来』(Tread Lightly on the Earth:Religion, the Environment and the Human Future, Stanford Lake, 2010)で詳細に取り扱いました)。
  私たちが無視しているのは伝統的な知恵のみではありません。私たちは、伝統的な知恵と同様に将来の人々への配慮で結ばれた世界の主要宗教の知恵をも無視しています。イエス・キリストは、小さな子どもを躓かせるものは、首に石臼をかけられ海に沈められたほうがましであると警告しました。コーランでは、神に従う者は、地上を用心深く歩いていくものだと述べています。仏教では、君主でさえ土地の所有者ではなく受託者であるのみだと教示していますし、ヒンズー教では、環境保護のあらゆる場面における君主の詳細な義務を規定しています。同様に、ユダヤ教の多くの教えでは、環境保護を高めることが優先される義務なのです。
  これらのすべての側面は、この星の人類の存在がこれまでの何十万年のなかでも、かつてない影響を受けるほど、環境が脅威にさらされている今という時代において、環境保護を担当する閣僚が注目しなければならないものです。
  私は、私たちの環境の守り手である皆様方に、新たな原子炉の建設停止、代替エネルギーシステムの探求、既存のシステムの段階的な廃止に向けて、直ちに行動する必要があると主張します。世界中の人々は、私たちが直面している危険性について警告を受ける必要があります。原子炉の利点についての一方的な情報の流出は是正されなければなりません。
  このような取り組みを怠るならば、将来の世代に対する犯罪に関与する結果となり、私たちの子どもとその子どもたちの信託に対する重大な違反となるでしょう。皆様は、この危機において、指導的な役割を果たすポジションにいます。以上が皆様方に対する訴えです。目前の惨劇を回避するために、私たちの星に対し優先的な責任がある皆様方の力のすべてをもって行動してほしいのです。
  時間は駆け足で過ぎ去っていきます。どうか今すぐの行動をお願いいたします。
(訳:森川 泰宏)