核兵器の廃絶をめざす日本法律家協会
 
 
 
 
  意見 >>> 日本反核法律家協会(JALANA)に関する資料

ヒロシマの街が消え,フクシマの町が消えた

佐々木 猛也

1.広島の街が消えたように東北三陸海岸の町が消え,村が消えた。広島の街が焼き尽くされ平地となったように東北三陸海岸の町や村は押し流され,引きさらわれ平地となった。巨大地震,巨大津波は,すべてを破壊した。人々は,家族を失い,財産を失い,生活全体が破壊された。
  その情景は原爆投下後のヒロシマに重なる。福島第1原子力発電所の放射性物質の放出は,ヒロシマの被爆者に重なる。
  人間は,自然を制御できない,核を制御できないことを確実に確認した。
  しかし,ヒロシマとは何かが違う。東北沖・太平洋地震という巨大地震,巨大津波は,自然の圧倒的エネルギーによる自然災害であり,それを前に立ちすくみ,ひれ伏し,ひざまずく。ヒロシマの悲劇は人為であり,犯罪であり,怒りが渦巻き燃えて立ち上がる。人々は原発を許容してきたが,原爆は何も知らされないまま投下された。
  1975年のスリーマイル島,1986年のチェルノブイリ原発事故は,大量の放射性物質を放出した。8,000キロ離れた日本で,水や野菜や母乳から放射性物質が検出された。
  原発と核兵器,ともに核分裂反応を伴う危険な存在であることに違いはないが,両者には平和的利用と軍事的利用という敷居が設けられて来た。世界は,NPT体制のもと核の平和的利用を承認して来た。
  原子炉は,長崎に投下する原爆,プルトニウム製造のため造られ,原発稼働中に生成されるプルトニウムは核兵器の材料になるのだが,政府と電力会社は,脱石油,地球温暖化防止のクリーンエネルギーの確保,原発の安全性を宣伝し続けた。
  建設地では,地権者に,漁業権者に,建設同意を得るため多額の金が支払われた。公共施設が建設され,地域住民への便益が施された。建設反対の声は利権を前に封じられた。裁判所も原発を許容してきた。

2.DS02(2002年線量推定方式)によれば,遮蔽物のない地上1メートルの高さでの初期放射線による被曝線量は,広島の爆心地から500メートル地点でガンマ線換算で35,700ミリグレイ(≒35,700ミリシーベルト)であり,1キロメートルでの4,220ミリグレイ(≒ミリシーベルト)は半致死量に相当する膨大な線量であった。
  原爆炸裂の直後70,000人が,昭和20年12月末までに140,000人が,昭和25年末までに200,000人が殺された。広島の瞬時の初期放射線,放射性降下物,残留放射線による外部被曝,内部被曝は人体に深刻な影響を及ぼし,ヒバクシャたちを長年苦めて来た。
  しかし,原発事故による死者は捕捉が難しいのか意外に少なかった。核の平和的利用が許容された理由の一つであろう。
  文部科学省は,4月21日までに観測された放射線量の観測データを基に現状の放出レベルが1年継続した場合の積算線量を予測し,影響が深刻とされる地域の線量地図を発表した。原発から24キロの距離にある浪江町の年間累積線量を235.4ミリシーベルト(予測最大値)と推計した。また,浪江町の5月8日までの積算線量は27.04ミリシーベルトと報道された。ヒロシマの放射線量に比べると,はるかに低線量である。
  だが,長期にわたり持続する低線量被曝の影響はないと断定することはできない。放射線感受性の強い乳幼児への影響が案じられる。
  5月9日初めて測定された1号機建屋内の放射線量は,最大毎時700ミリシーベルトという高線量であった。
  事故2カ月後の今も,1号機を除く3機の原子炉からの漏出線量は把握できず,建屋の内外への継続的な放射性物質の放出,漏出,汚染が日々続き,見通すことのできない収束の日まで放射線に暴露され続けることが事故の最大の問題である。
  福島第1原発から3キロの距離にあって無人と化した双葉町で,「原子力明るい未来のエネルギー」と書いた看板が取り付けられている写真が新聞に掲載された。アウシュビッツの入口の「ARBEIT MACHT FREI」(労働は自由への道)を想起させた。
  二酸化炭素を出さない,燃料入手が容易だ,コストが安定だなどと喧伝され,危険性を忘れて驕り高ぶって推進された原発建設を許し,原子力の安全神話を許し,核抑止論の神話を許していたことに気づく。
  核の脅威を知りながら,原子力エネルギー政策を冷えた心で許容し,オール電化を受け入れていたことを恥じる。

3.冷却装置の機能不全は,想定外の規模の地震や津波による停電と予備のディーゼル発電装置の不作動が原因だとする言い訳は成り立たない。
  小説家で記録文学者でもある吉村昭が「海の壁−三陸海岸大津波」を発表したのは,昭和45年7月である。吉村は,明治29年6月,昭和8年3月の大津波,昭和35年5月の南米チリ地震による津波の詳細を綿密に調査し記録した。そんなこともあったのかと漫然と読みやったことを悔いる。
  小松左京の「日本沈没」の発刊は,昭和48年3月。日本海溝の大洋底マントル(太平洋プレート)が大陸底マントル(ユーラシアプレート)に潜り込んで引き起こされた大地震によって,ユーラシアプレートの力で「くの字に曲っている日本列島」が沈没する様と日本人退避計画,海外脱出を描いた。描かれた地震と津波による家屋の倒壊と流出,鉄道,道路,工場,観光施設の破壊,陸上に赤い船底をさらした漁船,自衛隊の出動,原発の破壊などの描写は,このたびの地震,津波を彷彿させる。科学的論文でもあった「日本沈没」をSF小説としてしか読まなかったことを悔いる。
  大津波は想定外とする東京電力の言い分が通用するはずがない。彼らは,吉村の記録を軽視し,小松の想像力を無視した。

4.東海村や六ケ所村で再処理され,厳重に管理,保管されていると思い込んでいた使用済み核燃料棒が同じ原子炉建屋に置かれていることに驚いた。プルサーマル発電が行われていることに驚いた。原発で働いた人たちの原発現場の実態報告を知った。汚染された冷却水は海に垂れ流され続け,原発の建設も稼働も核の知恵のない人たちが携わっていることや原発安全の洗脳教育などを知った。原発建設の結果,水力発電所の稼働率が低下したことも知った。 原発は,アメリカ104基,フランス59基,日本54基をはじめ,30の国と地域に430基が建設された。こんなに多くの原発の存在を初めて確認できた。原発とその関連技術が輸出ビジネスとなるまでになった。
  だが,放射性廃棄物を安全かつ確実に処理する方法は見つかっていない。核エネルギーを制御する技術がないまま,無責任にも地球の未来に危険な遺産を残し続けて来たのだ。
  核の暴走を止める技術が確立していない以上,事故を防止し得ない以上,事故の影響が深刻である以上,原発を終焉させる方向に転換しなければならない。地震列島の真上に原発を設置した愚を確認した。活断層に取り巻かれる日本での原発建設は間違っていた。
  廃炉や使用済み核燃料などの放射性廃棄物をどう処理するのか,漏出を防止できるのか,何百年,何千年に及ぶ継続的な管理をどうするのか,未来の世代にどう責任を負うのかを真剣に問わなければならない重い課題が課せられた。
  電力不足を躊躇しながらも,原発依存から脱却し,原発政策の根本的転換を図る必要に迫られている。水力,風力,太陽,地熱,バイオマス,波力など再生可能エネルギーの有効利用と省エネに力を注ぐべきである。
  そして,直ちにすべきことは,現存する原発を総点検し,安全性を再点検し,安全基準を再考し,事故防止策,事故対応策を用意し,監視体制を強化し,東海地震の震源域の中心にあるとして運転停止となった浜岡原発のように危険区域にある原発,老朽化した原発,施工不良の原発は運転を即時に停止して廃炉とすべきである。
  そして,今後は,原発の新設,増設をさせないことに加え,原発を計画的に廃止することである。
  何万人をも殺戮する核兵器さえ廃絶し得ないのに,国や電力会社が,直ちに,原発全廃を決意するとは思えない。しかし,この国から地震や津波がなくならないものである以上,さらに大地震が予測される以上,テロがあり,人為的ミスがある以上,このたびの事故と同様の事故を避けることはできない。核兵器廃絶の運動に携わってきたわれわれは,原発廃止の運動に連動して行く。

5.われわれは,原爆症認定訴訟を闘い勝利して来た。被爆者救済,核廃絶を求めるたたかいと位置付けて闘かったのだが,もしかしてこの国は,原発を念頭において戦っていたのかとも思う。この国は,被爆の実相を徹底的に争った。放射性物質が被爆者に与えた影響を否定し続けた。この国は,原爆放射線の内部被曝の危険性を無視してきた。今も内部被曝を認めてはいない。放射線の人体への危険性を過小評価し続けている。
  この国は,被爆の1時間後に,700メートル以遠の,灰神楽のヒロシマに入ったとしても残留放射線量はゼロと陳弁して恥じなかった。24時間を経過した被爆翌日入市しても,爆心地から500メートル以遠では残留放射線被曝はない,72時間を経過した後は残留放射線は全くないと主張してきた。私は,このことを決して忘れはしない。
  政府は,近隣被災者に対し,10キロ以遠に退避せよ,30キロ以遠に出て行けと言う。爆心地から3キロ以遠では放射線の影響はないと法廷で豪語していたのは何だったのか。除染などという言葉を信用しない。工程表どおりに事が進むことなど信用しない。福島原発に関する対応を疑い,この国を信用できないままでいることが悲しい。

その日から2カ月を経過した5月11日記