核兵器の廃絶をめざす日本法律家協会
 
 
 
 
  意見 >>> 日本反核法律家協会(JALANA)に関する資料

福島原発事故と対抗するために
―原爆被爆者のたたかいに学ぶ―

大久保賢一

福島原発災害は放射能汚染とのたたかいである
 福島原発災害は人々に恐怖と不安を与え続けている。放射能がわが身と自然環境や社会的諸条件に、悪影響を与えることを知っているからである。
 放射能汚染は、大気、海洋・湖沼、土壌に広がっている。
 避難地域の共同体は機能不全に陥っている。自主避難を選択する人としない人との間での軋轢が増幅している。「日本はひとつ」がむなしく響いている。
 これらの事態が改善される見通しは立っていない。放射能の全面的除染など不可能だからである。
 今、私たちは、異質な危険性をもつ事態に直面しているのである。

原爆被爆者のたたかいに学ぶ
 私たちはすべてを失っているわけではない。原発事故に負けるわけにはいかない。
 ここでは、原爆被爆者のたたかいを紹介する。原爆被爆者と原発事故被曝者は違うという人もいる。原爆は、度外れた熱線や衝撃波・爆風、中性子線を伴う兵器であり、周辺は屍と瓦礫の街と化した。他方、原発事故は、外観的には建屋の崩壊程度であるし、そもそも原発は兵器ではない。けれども、放射性物質が放出されたという点では、何の違いもない。セシウム137の単純比較では、福島原発事故での放出量は広島型原爆の168.5個分に相当するという。放射能とのたたかいでは原発事故の方が深刻といえよう。

 ところで、多くの人の戦争被害は、1945年8月15日に一応終息した。けれども、1945年12月末までに、広島と長崎では、合計21万人の人々が原爆の影響で死亡している。原爆被爆者の苦しみは敗戦によっても終息しなかったのである。そして更に、被爆者は、原爆放射線に起因する疾病で苦しめられ続けるのである。
 もちろん、原爆被爆者の苦しみは、病気だけに止まるものではなかった。貧困や差別、心の傷など、生存と生活の全分野に及んでいた。他方、政府は、被爆者の苦難を放置し続けたのである。
 けれども被爆者はめげなかった。自分たちを苦しめている核兵器の廃絶と原爆被害者(死者も含む)に対する国家補償を求めて、粘り強く活動を続けてきた。その成果のひとつが「原子爆弾の被害者に対する援護に関する法律」(被爆者援護法)の制定である。
 被爆者援護法は、被爆者が罹患している疾病が、原爆放射線に起因し、医療の必要性があれば、厚生労働大臣が「原爆症」と認定して、「医療特別手当」の支給などの援護策を採るとしている。しかし、厚労大臣は、容易に「原爆症」の認定をしなかった。米国の核実験のデータに基づく原爆放射線の影響や不十分な疫学調査を根拠とする「審査の方針」(基準)を制定し、その基準に当てはまらないと放射線の影響は受けないとして、認定申請を却下したのである。
 そこで、原爆被爆者は、国の基準は被爆者が体験している事実を無視している、国の基準を機械的に当てはめて被爆者を切り捨てるのは許されないとして、「原爆症認定集団訴訟」を提訴したのである。
 裁判所は、国の基準は原爆投下後の初期放射線の直接被爆に着目するだけで、残留放射線による内部被曝などを軽視するものであって不十分である。認定に当たっては、被爆者の被爆前後の健康状態などを総合的に判断するべきであるとして、原告の請求を認めたのである。
 連続する原告勝訴判決や、国会議員の活動、支援団体の運動、マスコミ報道などと相まって、麻生首相(当時)は、被爆者の代表との間で、訴訟終結の「確認書」を作成し、被爆者と厚労大臣の定期協議、「審査の方針」の見直しなどを約束したのである。
 ここでも被爆者は、大きな成果を獲得したのである。(「原爆症集団認定訴訟 たたかいの記録」が、日本評論社から刊行されている。大江健三郎さんは、「隅々まで偉大な本」と絶賛している。)
 被爆者は高齢であり、病気を抱えている人も多い。被爆者は、まさに、命がけだったのである。私たちは、そのたたかいに括目しなくてはならない。

原爆被爆者のたたかいの持つ意義
 原爆は兵器であり、原発は民生用の施設であって、同列に論ずるのはおかしいという意見がある。けれども、原爆も原発も、核エネルギーを利用するということでは共通している。核エネルギーの利用は大量の「死の灰」を発生させる。人類は、その「死の灰」、即ち放射性物質と対抗する手段を持っていない。放射性物質は、軍事利用であれ平和利用であれ、人間に襲いかかるのである。この襲撃とどうたたかうのか。その先駆的実例が原爆被爆者のたたかいである。
 原爆被爆者は、「死の灰」が人間に何をもたらすかを、身をもって示している。その「生き証人」は、自らに困難と苦しみをもたらした原因を見抜き、「ふたたび被爆者をつくらせない」を合言葉に、たたかい続けてきた。その営みなくして、国は何らの「援護策」を講じなかったであろう。
 福島原発事故と対抗するために、原爆被爆者のたたかいを検証する必要がある。
 また、「原爆症認定集団訴訟」における最大の争点は、初期放射線を直接被曝しなければ放射線の影響は受けないのか、即ち、残留放射線の被曝は無視できるのか、ということにあった。裁判所の結論は、残留放射線の影響を無視できないというものであった。司法は、その任務を果たしたのである。
 いま問われているのは、低線量放射線の長期にわたる被曝(福島原発事故の特徴)にどう対処するかである。もちろん、この集団訴訟がその全ての回答を用意しているわけではない。けれども、何かしらの示唆を提供することは間違いない。

「原発と人権」全国研究・交流集会in福島」
 4月7日・8日に、福島大学で開催される「原発発と人権」全国研究・交流集会では、被爆者のたたかい、とりわけ「原爆症認定集団訴訟」の成果と到達点を福島原発事故と対抗するために、どのように活用できるかの分科会を開催したいと考えている。また、全体会でも、被爆者のたたかいの特別報告も予定されている。大勢の皆さんの参加を呼び掛ける。

2012年2月14日記