核兵器の廃絶をめざす日本法律家協会
 
 
 
 
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福島原発事故と対抗するために
―ビキニ環礁水爆実験ヒバクシャを忘れない―

大久保賢一

大石又七さんの存在
 2月16日付毎日新聞朝刊は、「『死の灰』の教訓どこへ」と題する元第5福竜丸乗組員大石又七さんの記事を掲載している。読みごたえのある特集である(以下の記述は、その記事に依拠するところ大である)。

 1954年3月1日(「3・1ビキニデ―」の起源である)、米国は、南太平洋のビキニ環礁で、水爆実験を行った。コードネーム「ブラボー(万歳)」という水爆の威力は、広島型原爆の1000倍といわれている。水爆は、海域の珊瑚礁を破壊した。珊瑚は、放射能を帯びた「死の灰」となって、マグロはえ縄漁船第五福竜丸に降り注いだ(「原爆マグロ」の発生)。20歳になったばかりの乗組員大石さんもその「死の灰」を浴びた。「死の灰」は、船のデッキに足跡が残るぐらい積もったという。「体に触れても熱くもなく、匂いもないので怖くはなかった」と大石さんは述懐している(放射能は五感で感知できないのだ)。
 乗組員の被曝量は正確には分かっていないが、2000ミリシーベルトから3000ミリシーベルトと推測されている(帰港までの2週間の内部被曝も含まれる)。乗組員で最年長の久保山愛吉さん(当時40歳)は、急性放射能症で半年後に死亡している。大石さんは頭髪が抜け、白血球も減少したが、1年2カ月の入院生活を経て退院することができた。
 けれども、大石さんの苦悩は決して終わったわけではなかった。大石さんを待っていたのは、被曝者への差別や偏見、受け取った「見舞金」(日本政府は、米国から7億2千万円を受領し、それで「決着済み」とした)支給に対する妬みの感情だった。借金の肩代わりを求められたり、娘さんの結婚話も二回破談になったりした。被曝者とその家族というだけで、世間から「人間から外れたもの」と見られた、と大石さんは無念そうに言っている。
 当初、大石さんは、「被曝の過去を忘れたところで、人混みにまぎれて暮らしたい」と思っていた。けれども、仲間の乗組員が癌などで次々と亡くなっていくのを見て、「このまま黙っていていいのか。」、「当事者である自分がしゃべらなければ、事件は闇の中に消えていく。声を上げていくしかない」と決意する。そして、各地で、放射線や内部被曝の恐ろしさを訴え続けるのである(私は、2000年5月、ニューヨークで、大石さんの話を聞いている)。

現在の受け止められ方
 震災後、大石さんの話は「他人の哀れな話」ではなく、「自らの深刻な話」になったという。大石さんは、「ビキニ事件と原発事故は、内部被曝を引き起こすという意味では全く同じです。私が吸ったり浴びたりしたのは約2週間だが、福島の人たちは、その中で生活している。目には見えないが、測定器を当てれば反応が出る。本当に戸惑っていると思います。」と言う。そして、国際競争で負けたくない指導者たちは、被曝の健康被害を重く見ることに抵抗するから任せられないと強調する。
 確かに、根拠薄弱な「収束宣言」を出し、原発の「再稼働」を急ぎ、輸出を推進する「指導者たち」の姿を見ていると、大石さんの指摘はその通りと頷ける。ビキニ被曝に際して、米国の責任を追及せず、被曝者への支援を十分にしなかった当時の「指導者たち」と現在の「指導者たち」の姿勢は、完全に重なり合うのである。
 更に、大石さんは、「一般の人たちがもっとレベルを上げて考えないと、この問題は何時まで経っても解決しませんよ。」と続ける。私は、この大石説を、妬み根性や差別意識や偏見に囚われて事の本質を見ようとせず、政府や東電あるいは「原子力ムラ」に巣くう「専門家」たちの情報操作に踊らされていては、「いつまでたっても問題は解決しませんよ」という意見として受け止めたいと思う。なぜなら、この国の政治的「指導者たち」は、国民多数派の支持をその正統性根拠としているからである。(もちろんこのことは、この国の政治的「指導者たち」を、国民の手で転換できることを含意している。)

大石さんの現状
 大石さんは、狭心症や心筋梗塞などの症状の改善、喘息の発作の予防、感染症の治療などのために、1日約30種類の薬を飲んでいるという。肝臓がんの摘出手術を受けたこともあるし、不整脈、白内障もあるという。ビキニ事件をきっかけに1957年に設立された放射線医学研究所で、年1回の健康診断を受けていたが、それもやめたという。結果を問い合わせても詳細なデータを示してくれないし、自分たちは研究材料に過ぎないと感じたからからだというのがその理由である。原爆被爆者を治療の対象ではなく、「研究材料」としていたABCCの姿勢と相通ずるところがあるといえよう。そして、国は、大石さんの症状と被曝との因果関係を認めていないという。だから、大石さんは、現在も通常の健康保険で治療を続けているという。(もっとも、仮に、国が因果関係を認めたとしても、そのための措置を根拠づける法令は存在していないのだが。)

国の冷酷さ
 原爆被害者に対する援護措置は、不十分さはあるとしても、ある程度講じられている。けれども、ビキニ水爆実験の被曝者である大石さんは放置されたままである。このことは、福島原発事故被災者に対する態度と重なり合う。政府は、18歳未満の子どもたちの継続的健康診断すら拒否しているのである。
 大石さんは、「過去の被曝者から得た教訓を生かそうとしない限り、私たちが歩んできた苦難の道は繰り返されるのでないか。」と指摘している。
 私は、大石さんのこの言葉が耳に痛い。それなりに、ヒバクシャの実情を知っているつもりでいた自分の半可通さを思い知らされたからである。そして、改めて、ヒロシマ・ナガサキに止まらず、核実験やその他のヒバクシャの実情を知らなければならないこと、政府の無責任さと資本の強欲さを確認することの重要さを自覚したいと考えている。
 「核兵器のない世界」や「原発に依存しない社会」を形成するためには、まだまだ努力が必要なのである。

2012年2月16日記