核兵器の廃絶をめざす日本法律家協会
 
 
 
 
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第2回「原発と人権全国研究交流集会」
分科会「人類と核は共存できない」の問題提起

日本反核法律家協会事務局長 大久保賢一

1.原発事故の特徴と脱原発の理由
 福島原発事故は、新たなヒバクシャ、原発難民、人の住めない地域を作り出している。この未曾有の大規模な被害の特徴は、人類が制御の知識も技術も持ち合わせていない放射能に起因するということである。原発は、核分裂エネルギーを利用する技術であり、人工放射性物質を発生し続けている。これに加えて、ウランの採掘や精錬の持つ危険性、放射性廃棄物の処理技術の未確立、核テロの危険性なども忘れてはならない。原発は、そのサイクルの最初から最後まで、本質的に危険な存在なのである。

2.原発推進の論理
 原発推進の表向きの理由は、@電気エネルギーの安定的提供、A地球環境にやさしい、B安価に提供できる、C事故があってもの安全策がとられているので心配ない、などというものであった。この論理は、福島後も展開されている。原発の本質的危険性など歯牙にもかけられず、業界の都合だけが強調されている。この安全性軽視と利潤追求第一の論理は、原発の輸出についても貫徹している。

3.原発と核兵器
 他方、表には出せない理由は、原発稼働の結果産出されるプルトニウムの保有は、核兵器の製造を可能とし、「国家安全保障の切り札」であるというものであった。核兵器国や日本は、現在も、この発想である。原発の導入と核兵器保有の衝動は、表裏一体のものであった。原発事故と対抗するにあたって、完全な被害回復と原発の廃炉を求めるだけではなく、核兵器との関連を視野におく必要があるのは、このような背景があるからである。

4.核の平和利用の欺瞞と核兵器廃絶の動き
 原発を導入した勢力は、核エネルギーの平和利用の可能性を喧伝することにより、広島、長崎の原爆被害を矮小化して反核運動の動きに水を差し、電力会社に新たなビジネスチャンスを提供し、更には、自国の核兵器保有に道を開こうとしたのである。けれども、長崎の後、実戦での核兵器の使用はなされていない。核不拡散条約(NPT)は、核兵器国に全面軍縮についての交渉を命じている(6条)。国際司法裁判所は、核兵器の使用や威嚇は「一般的に違法」であるとしているし、全面軍縮について交渉の締結を求めている。国連には「モデル核兵器条約」も提案されている。最近では、非人道性への着目により、核兵器廃絶の動きはより広範で着実なものとなっている。

5.原発の位置づけ
 他方、核不拡散条約(NPT)は、原子力エネルギーの平和利用について、加盟国の「奪いえない権利」としている(4条)。核兵器が廃絶への方向が示されていることと比較すれば、全く異なる位置づけがなされているのである。現行国際法のもとでは、核エネルギーの平和利用は禁止されていないどころか権利なのである。また、原子力事故に関する諸条約(通報条約や援助条約)はあるが、本質的危険性は法的規制の対象とはされていない。ここに、核兵器と原発の法的・社会的位置づけの違いが端的に表れている。

6.私たちの課題
 私たちが、核と人類は共存できないとして、核兵器廃絶と脱原発を求める場合、この違いを念頭におかなくてはならない。原発は「違法な存在」ではなく、その利用は「奪いえない権利」とされている国際社会の中で、どのような価値観と論理で、脱原発を実現するかが問われているのである。加えて、原発からの脱却が、電気エネルギーの持続的確保と並行しながら可能であることを指し示すことができなければ、社会的発展のために電気エネルギーが必要であるとしている人々を説得することはできないであろう。原子力利用の危険性を排除し、かつ化石燃料利用による地球温暖化に対処しながら、電気エネルギーを確保することが課題なのである。

分科会の内容
 このような問題意識に基づいて分科会を開催したい。
 山田寿則さん(明治大学)には、核兵器と原発(核の「平和利用」)とに関わる現在の国際法(核不拡散条約(NPT)体制)を概観していただきたいと考えている。
 スティーブン・リーパーさん(元広島平和研究所理事長)には、核兵器と原発の危険性、相互の関連性、核との共存を拒否する論理と運動の在り方などについて、包括的な問題提起をしていただきたいと考えている。
 また、大いに参考にしたいのが、実際に脱原発を実現した国家の経験である。
 フィリピンの経験については、ブッチさん(フィリピン活動家)に。ドイツについては千葉恒久弁護士に報告していただきたいと考えている。
 そして、伊藤和子弁護士には、国際社会は福島原発事故をどのように見ているのか。脱原発の動きを国際社会に広げるうえで、どのような取り組みが可能なのか。などを語っていただきたいと考えている。(2014年4月6日)