核兵器の廃絶をめざす日本法律家協会
 
 
 
 
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「新しい9条」をつくろう、という意味
−伊勢崎賢治さんの提案について−

大久保賢一

 伊勢崎賢治さんが、「新国防論」(毎日新聞出版・2015年)で、「新しい9条」をつくろうと提案している。伊勢崎さんは、東ティモールの暫定行政府の県知事を勤めたり、シェラレオネでは国連PKOの幹部として、アフガニスタンでは日本政府特別代表として武装解除に従事してきた方である。そのような経歴の方が、「国防と世界秩序を目指す『新しい憲法』」を提案しているとあれば、まずは傾聴しなければならないであろう。

伊勢崎さんの主張
 氏の主張を整理しておくと、@昔は「自衛隊は違憲だから廃止すべき」という護憲派と「自衛隊は違憲のままじゃなく軍に」という改憲派ということで非常にわかり易かった。A今の護憲派は「自衛隊廃止は現実的でないから合憲。でも戦争はダメ」と変貌している。「戦争はよい」というという改憲派もいないはずだから、改憲派と護憲派の違いは一体何なのだろうか。B安倍政権の出現と安保法制の国民的論議は、従来の対立構造に新たな”ねじれ“を生んだ。Cこのねじれを解消しないままで、すなわち、自衛隊の根本的な法的地位を国民に問うことなしに自衛隊を海外に送ってはならない。D自衛隊の法的地位をあいまいにしたままでは、「ジャパンCOIN」は実現できない(COINとは、Counter Insurgencyの略で、対反乱作戦を意味する軍事用語)。E9条はこれまでアメリカの戦争にお付き合いさせない「ブレーキ」として見事にその役割を果たしてきた。しかし、集団的自衛権が名目上でも容認されてしまった以上そのブレーキがこれまで以上に働くとは思えない。F70年以上前にできた憲法を現代と近未来に「進化」させる時期が来ている。G戦争するアメリカを体内に置きながら「戦後70年間、日本は戦争をしてこなかった」という幻想を抱くのは止めよう。Hアメリカにすぐ出て行けとは言わないまでも、「在日米軍基地は絶対に他国への攻撃には使わない」とする日米地位協定の「正常化」をアメリカに突きつけよう。

 そして、国民自らからの生存にかかわる安全確保の業務を国内の特定の集団に託する。民主主義がその社会で最も殺傷能力のある武器の独占をその集団に託する、という2点を国民の大半が認めるならば、自衛隊の存在を民主主義の法体系の中で組織としてしっかりと位置付ける時が来ている。それが、専守防衛の軍事組織としての自衛隊である。
 これが、ジャパンCOINを軸に、国防と世界秩序の維持を目指す「新しい9条」の提案である、というのである。
 ここで「ジャパンCOIN」とは、日本が、武装した自衛隊を海外派遣することなく、したがって軍事プレゼンスを完全に排除して、対立した武装勢力の対話を仲介したり、平和構築に携わることを意味している。そして、それが日本の国防上だけではなく、世界の最大の脅威としてとらえなければならないグローバルな「敵」への、残された唯一の特効薬でもあるというのである。なお、氏にとって世界最大の脅威というのはグローバル・テロリズムの出現とされているようである。

氏の主張の特徴
 (氏の主張の前提事実や論理に疑問や異論がある部分もあるけれど、それはとりあえず措いて論を進める。)
 第1に、自衛隊の海外展開に反対だということである。自衛隊が合憲か違憲か争いがある現在においてだけではなく、改憲して派遣することにも反対するということである。軍事プレゼンスを排除しながら、紛争解決や平和構築に尽力しようというのである(ジャパンCOINの実現)。軍事力に依拠しないで武装解除を実現した人だけに、軍事力の効用と限界を承知しているのであろう。
 第2に、アメリカの戦争に付き合わない。いずれ米軍には出て行ってもらうが、当面、地位協定を「正常化」して、在日米軍基地からの他国への攻撃しないことを約束させる、としていることである。そして、氏は、日本のナショナリズムは、中国に敵意を向けるのではなく、「占領者からの解放」を求めたらどうか、としているところでもある。氏は、自衛隊が海外で米軍と一緒に行動することに反対しているだけではなく、在日米軍の撤退も視野に入れているのである。このような氏が、安保法制に反対することは必然であろうし、将来にわたって、自衛隊を海外に出さないとしていることも確認できるところである。
 第3に、国防のための軍事力として自衛隊を位置付けていることである。私には、氏がここでいう民主主義がどのような意味なのかよく理解できないけれど、最も殺傷能力の高い武器を保有する集団としての自衛隊が想定されていることは理解できる。結局、氏のいう「新しい9条」とは、海外展開はしないけれど(専守防衛の)、強力な武器を持つ自衛隊の存在を規定するものということになる。けれども、このような主張は、安保法制前の政府解釈と同じものである。そういう意味では決して「新しい」ものではない(ただし、「最小限度の実力」ではなく「最も殺傷能力が高い武器」とされているところは新しいかもしれない)。
 そして、氏は、「自衛隊員が国防に命を懸けることに、日本人の大半は、もはや疑問を挟まないはずです。現職自衛官たちも、喜んで、とはいわないまでも、国防のために、ある程度の危険を冒すのは吝かではないと思っているはずです。」としている。国民の大半も現職の自衛官も、自衛官が国防に命を懸けることを当たり前と思っているのだから、自衛隊を軍事組織として位置づけようというのである。
 氏は、自衛戦争も放棄するし、自衛のための戦力も持たないとする憲法は、変えようと主張しているのである。この点で、氏は自衛隊を憲法違反とする護憲論者とは対立する改憲論者なのである。

氏の主張への共感
 氏は、自衛隊を海外に出すことについて、アメリカとの「お付き合い」であれ、「紛争解決」や「平和構築」のためであれ、反対なのである。そして「特措法」のような手法であれ、安保法制のような手法であれ、また、憲法を改定してであれ、海外に軍事プレゼンスを展開することに反対しているのである。このことは、トランプ大統領の方針を100パーセント支持し、「積極的平和主義」などとして力による平和と安定を目指している安倍首相とは対極にあるといえよう。まず、このことは共感を持って確認しておきたい。
 加えて、氏は、時間とともに再生、進化するグローバル・テロリズムに対抗するために必要なことは、正当な国軍と警察が、全ての国民に分け隔てなく平等な安全を提供することであり、併せて、開発事業による平等な福祉を提供することである、としている。氏は、人々が安心して日常生活を営むためには、秩序を維持するための正当性を持った強制装置と貧困から脱却するための開発事業が必要だとしているのである。私は、強制装置(国軍は留保)の必要性も含めて、氏の意見に共感するものである。

「新しい9条」についての異論
 他方、氏は自衛隊合憲化のための「新しい9条」を提案している。私は、戦争と戦力を放棄し、交戦権を否認している9条を1ミリたりとも後退させたくないと考えている。
 核の時代にあって、武力で紛争を解決しようとすれば、人類社会の終焉がもたらされることになると恐れるからである。氏も、「原子力施設への攻撃」や「核の拡散」は人類の終焉にかかわる問題としているので、この問題意識は共有してもらえるであろう。
 武力での紛争解決が禁じ手であるとすれば戦力を持つ理由はない。逆に、軍事力で物事を解決することが許される限り、絶対的武器である核兵器を捨てる動機は形成されにくくなる。核兵器国を見てもそうだし、日本政府も、自衛目的であれば、核兵器の保有や使用も、憲法上禁止されていないとしているのである。氏は、「最強の兵器」を自衛隊に保有させるかのような提案をしている。氏が、核兵器を保有する自衛隊を提案しているとは思わないけれど、戦力の保有を認める「新しい9条」の提案には強く異論を述べておく。
 また、武力で物事を解決しようとした場合、それを誰が実行するかである。個人の立場からすれば、どのような戦争でも最大の生命への危機である。また、殺傷の対象は個人的恨みなどない人間である。誰が誰をそのような立場に追い込むのかである。自分がその立場に立つ覚悟がないままに、自衛隊員の覚悟に期待するのはいかがなものであろうかと思われる。
 しかも専守防衛であるから、日本国内において他国の軍隊との間で殺傷と破壊が展開されることになる。多くの民間人にも犠牲者が出るであろう。武力で解決しようとすれば避けられない現実である。氏の主張には、この部分が欠落している。

自民党改憲との対抗
 氏の主張の中に、安倍流改憲や自民党の改憲案に対する直接的記述はない。自民党の改憲草案は9条2項を削除して「国防軍」を持つとするものであり、自衛目的にとどまらず、国際秩序の維持のためにも活動することになっている。また、現在提起されている自民党案は9条2項を維持するが「自衛の措置のための実力組織」を予定している。この場合の自衛から集団的自衛権は排除されていない。結局、いずれも、軍事力の保有と海外展開を想定するものであるので、氏が賛同しないことは容易に想定できるところである。もし、氏が自衛隊を書き込むだけの改憲だから賛成などというのであれば、それは論外である。
 問題は、氏がこれらに反対することとは別に、「新しい9条」を提案することが、どういう意味を持つかである。
 そもそも、自民党は、自衛隊を海外に出すための改憲をしようとしているのであるから、氏の提案など歯牙にもかけないであろう。では、「新しい9条」は、現在の9条よりもアメリカの戦争にお付き合いさせない「ブレーキ」として機能するであろうか。その保障はどこにもない。むしろ、アメリカは、最強の武器を持つ自衛隊を利用したいという欲望を強めるであろう。また、海外の目からすれば「平和国家日本」のイメージは崩れるであろう。憲法上、最強の武器を持つ集団が存在することになるからである。こうして、氏の思惑とは全く別の結果がそこに現れるであろう。
 そして、氏の主張は、自衛のためにも戦力は持たないとする伝統的な護憲勢力とは対立するがゆえに、自衛隊海外派遣を目論む改憲論者からすれば、願ったりかなったりの状況になるであろう。反対勢力が分裂するからである。
 結局、氏の提案は、氏の思惑とは別の結論を導くだけではなく、本来の改憲論者を利するだけのものであって、決して、憲法を「進化」させることにはならないであろう。そもそも、憲法9条は、過去70年だけではなく、近未来を先取りしている規範なのである。氏が、自衛隊の海外派遣に反対し、グローバルな危機に非軍事の方法で対応する日本を望むのであれば、9条を維持することこそが唯一の特効薬なのである。
 私は、伊勢崎さんに、是非このことに気が付いて欲しいと思う。

(2018年4月6日記)