核兵器の廃絶をめざす日本法律家協会
 
 
 
 
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日本における「核兵器条約」実現に向けての取組み

山田 寿則

I はじめに
  本稿は、日本における「核兵器条約」(NWC)実現に向けての取組みについて、これまでの経緯をまとめ、現状を整理し、今後の課題を指摘することを目的とする。
  本稿は、上記の取組みを歴史的経緯に沿って論述する。また、核兵器条約をめぐる議論については、国会審議と広島・長崎の平和宣言における主張を中心にみることとする。
  なお、本稿で言う「核兵器条約」とは、主として、後述するマレーシア決議で言及されている、核兵器を全面的に廃絶する「核兵器条約」を意味するが、それにとどまらず、使用禁止条約などの部分的禁止を規定する条約を含む広い意味で用いる。

II 市民社会における核兵器条約起草の歴史
  日本には、核兵器条約を提案してきた歴史がある。主に、学者・法律実務家たちこれを行ってきた。
  1976年に開催された第22回原水爆禁止世界大会では、田畑茂二郎や宮崎繁樹など日本の国際法学者等7名が起草した「核兵器使用禁止国際条約(案)」が発表された(注1)。1978年には日本弁護士連合会が核兵器使用禁止条約案を発表している(注2)。1993年には、松井康浩弁護士が原水爆禁止世界大会において「核兵器廃絶条約要綱」を発表した(注3)
  これらの提案は、残念ながら日本の核政策に影響を与えることはなかった。

III アボリション2000の運動とモデル核兵器条約の紹介
  1995年4月25日、核廃絶を目指す世界規模のネットワークとしてアボリション2000が発足した。アボリション2000の声明は、「一定の時間枠内で段階的にすべての核兵器の全廃を要求し、実効的検証および執行の規定を伴った核兵器全廃条約に関する交渉を直ちに開始し、2000年までに締結すること」等をNPT当事国に対して求めた。
  これをうけて、1997年4月7日には、モデル核兵器条約(MNWC)が発表された。日本においても、浦田賢治早稲田大学教授が中心となり、同条約の翻訳が行なわれ、その翻訳を含む冊子が日本反核法律家協会により刊行されている(注4)
  また、2007年にはMNWCの改訂版が公表され、これとあわせて"Securing our Survival"が刊行された(注5)。日本においても、2008年には同書は翻訳・出版されている。加えて、2007年のMNWCの抜粋訳が、日本で唯一の軍縮関係文書を集成した資料集にも収録されている(注6)
  これは、条約の要綱にとどまるため、前文および全7項からなる簡潔なものであるが、核兵器の全廃を視野に起草されている点に特徴がある。核兵器の開発、製造、貯蔵、配備、譲渡、実験、使用が禁止され、期限を切った核兵器の全部廃棄が規定されている(1項)。但し、全廃期限については空欄となっている。また条約実施を査察する国際機構設置も提案されている(3項)。さらに、違反者個人の処罰についても規定する(7項)。

IV 核兵器条約の主張に対する反響―広島・長崎の平和宣言と国会審議
A 1995年以前
  1995年のNPT無期限延長決定の以前から、日本の市民社会にはNPTの無期限延長に対する懸念や反対を表明する声が存在した。同時に、核兵器の全面的廃絶条約の実現をも求める声が存在した。たとえば、1993年の広島の平和宣言では、「少なくとも今世紀のうちに、すべての核兵器を完全に廃棄するよう、期限をつけた目標を世界に示すべき」ことが要求され、同年の長崎の平和宣言でも、「多国間交渉により、核兵器全面禁止国際協定を締結すべき」ことが求められた。また、1994年の長崎の平和宣言では、「核保有国は核抑止の考えを捨て…核兵器廃絶を実現するための『核兵器全面禁止条約』の締結に向け、一日も早く行動を起こすべき」としている(注7)。これらの声を受けて、国会審議においても、核兵器全面禁止条約や核兵器使用禁止条約の提案がなされているが、いずれについても、政府側から明確な答弁は得られていない(注8)

B 1996年から2000年まで
  1996年7月に国際司法裁判所による核兵器勧告的意見が出され、また、同年からこの勧告的意見をフォローアップする国連総会決議が出されるようになる(いわゆるマレーシア決議)。2000年のNPT再検討会議に至るまでは、広島の平和宣言では、核兵器の使用を禁止する条約が主張されている(1996年〜1998年)。他方、長崎の平和宣言では、核兵器廃絶条約(1996年、1997年)および核兵器全面禁止条約(1998年〜2000年)が主張されている。
  1995年から2000年までの国会審議においては、マレーシア決議に対する日本政府の態度(棄権)や核兵器廃絶条約(核兵器全面禁止条約)についての日本政府の考え方が質されている(注9)。これらの質問の波は、2000年にはほぼ終息し、2005年のNPT再検討会議が終わるまでは、核兵器条約に関係する質問はほとんどみられない。これらの質疑に対する日本政府の回答は、2002年の質問主意書に対する次のような答弁書に要約される。
  現時点で核兵器廃絶のための国際約束を作成することについては、核兵器国を含む多くの国が受け入れておらず、政府としては、このような国際約束の作成を直ちに求めることは、核兵器国と非核兵器国の間の対立を助長し、結果としてはむしろ核軍縮を遅らせるおそれがあると考えている。政府としては、核兵器のない世界の早期の実現のためには、CTBTの早期発効、いわゆる兵器用核分裂性物質生産禁止条約(カットオフ条約)交渉の早期開始等の現実的かつ具体的な核軍縮措置を一歩一歩着実に積み重ねていくことが重要であると考えており、そのための外交努力をなお一層強化してまいりたい。(注10)
  この時期の国会質疑には幾つかの注目すべき点がある。
  第1に、質問者の多くはマレーシア決議や核兵器条約(NWC)を、期限を切った核廃絶の提案として理解している。これに対して政府もまたマレーシア決議をいわゆる包括的アプローチの主張として理解している。政府はステップ・バイ・ステップのアプローチを堅持しており、この立場から、マレーシア決議やNWCの提案には否定的だ。
  第2に、国会に参考人として招致された専門家が、MNWCについて意見を述べている。元外交官の堂ノ脇光朗氏(外務省参与・国連小火器政府専門家グループ議長)と元国連事務次長の明石康氏(広島市立大学広島平和研究所所長)である。堂ノ脇氏は、MNWCが規定する15年間での核兵器全廃という点について、その実現可能性が低いことを指摘している。明石氏は、核廃絶へのタイムリミットは現実的でないとしたうえで、スティムソン研究所の廃絶計画の方がより精細で、より現実に足がついた提案だとする。とくにその柔軟性に着目している(注11)。このいずれの専門家も、MNWCを包括的アプローチの提案とみなしているといえる。
  第3に、とはいえ、「核兵器が廃絶される段階に至れば、当然その段階で核兵器を禁止する条約というものをつくるという段階に至る」との政府答弁もある(注12)
  このように、この時期における国会審議では、核兵器条約の主張は、包括的アプローチとステップ・バイ・ステップのアプローチのいずれが適切かという議論に終始しており、MNWCの主張がねらいとする、核兵器のない世界を実現するための条件を議論する段階にまでいたらなかったといえる。
  なお、この時期、鳩山由紀夫民主党代表(当時、現首相)が、核兵器禁止条約締結の呼びかけを行なうよう主張していることは注目してよい(注13)

C 2001年以降
  9・11以降、核兵器条約の主張は一時的に下火となった。2002年の広島と長崎の平和宣言では、核兵器条約への言及はみられない。とくに長崎の平和宣言では、2002年から2008年までは核兵器条約にまったく言及していない。これに対して、広島の平和宣言では、2003年以降今日まで、核兵器禁止条約への言及や平和市長会議の2020ビジョンを反映した主張(ヒロシマ・ナガサキ議定書など)が登場している。
  国会審議においては、前述したように、2001年から2005年までの間は、核兵器条約に関連する質問はほとんどみられない。2006年以降は、再び、核兵器全面禁止条約や核兵器使用禁止条約に関する質問が提起されはじめている。これに対する政府の答弁は、従来と同じくステップ・バイ・ステップの主張を基調としている。
  この国会審議における注目点は、質問者がかならずしも包括的アプローチに基づく主張を行なっていない点と、これに対する政府も、漸進的アプローチを基調としつつ、その立場に検討の余地をもたせた答弁を行なっている点である(注14)

X 現状
  前述したように、2008年7月に"Securing our Survival"の翻訳(『地球の生き残り』)刊行された。また、同年10月の潘基文国連事務総長による核軍縮に関する5項目提案をきっかけとして、再び、核兵器条約への注目が集まっている。
  まず、2009年の広島と長崎の平和宣言では、ともに「核兵器禁止条約」が言及された。とくに、長崎では、2010年2月に第4回「核兵器廃絶−地球市民集会ナガサキ」が開催された。この集会の第2分科会は「核兵器禁止条約」をテーマとしており、同集会が核兵器条約を取り上げるのは、2000年の第1回以来10年ぶりのことである。ここで採択された長崎アピールでは、核兵器禁止条約を含むプロセスの開始が呼びかけられている(注15)
  また、専門家による論文においても、MNWCが紹介されるようになっている(注16)
  さらに、2008年9月に「核不拡散・核軍縮に関する国際委員会」(ICNND)が日本とオーストラリアのイニシアティブで立ち上げられた(注17)。これに対して、ICNND日本NGO市民連絡会が発足し、精力的にICNNDと対話を行なった(注18)。その結果、2009年12月に発表された「核不拡散・核軍縮に関する国際委員会」の報告書においてはMNWCの速やかな検討の開始が求められている(勧告73)。また、同書は、核兵器をゼロにするためのロードマップを示した。このロードマップが示されたこと自体が、MNWCが提起した問題に対する1つの応答であるともいえる。
  ICNNDの報告書は、廃絶へ向けた2つの段階のうち、第2段階については期限を決めていない。この点で、ICNND報告書に対する評価は分かれている(注19)。だが、同時にMNWCを洗練させる検討を行なうべきだともいう。2009年秋に発足した新政権は、この報告書を評価している(注20)。日本政府がICNNDの示したこのロードマップを採用し、MNWCを洗練化する作業を進めるかはまだわからない。仮にそうなるとすれば、ICNNDの考え方に対して市民社会がMNWCの立場から再質問することで、日本における核廃絶へのロードマップの議論を深めることができる。また、この検討が、諸政府間で、それもよりハイレベルな段階でおこなわれるようになれば、それはNWCに至る準備作業を意味することに近づく。

Y 今後の課題
1 NWCが体現すべき基本原則を確認することが必要である。一般に、多数国間条約の作成に際しては、それに先行して基本原則が国連の場で確認されてきた。たとえば、国際人権規約については世界人権宣言が、宇宙条約については宇宙活動原則宣言が、それぞれ国連総会で決議されている。NPTについても、その原則を確認する国連総会決議2028が採択されている。NWCについても、まず、その基本原則を議論し、事後の交渉に指針を示す必要がある。
2 核兵器の使用・威嚇の違法性をその基本原則の1つに位置づける必要がある。核使用の合法性と表裏一体となっている核抑止論を否定しないままに核削減を進めることは、核廃絶を遅らせる要因となる。核抑止は信頼性のある核戦力の維持を必要とするからである。
3 核兵器の使用・威嚇の違法性の再確認のための方法が検討されるべきである。将来NWCが成立する時点においてはじめて核兵器の使用・威嚇の違法性が確立するのではなく、現在既に違法であることの再確認が必要である。1996年のICJの勧告的意見では、残念ながら、すべての場合について違法であるとは結論されてはいない。
  NWCを実現するプロセスの中で、核兵器の使用・威嚇の違法性の再確認がなされることを求めることの狙いは、核兵器の違法性を求めることを通じて、核兵器の正統性を否認する社会規範を確立することにある。この観点から、あらゆる方法が検討されるべきである。これには、核兵器使用禁止条約、国連総会決議、安保理決議、ICJ勧告的意見、国際刑事裁判所規程の改正、NPT再検討会議での決議、「公共の良心」の宣言など、多様な形式が考えられる。それぞれの形式の長所と短所を見極めた議論が必要だろう。


(注1)藤田久一編『軍縮条約・資料集』(初版)有信堂高文社、1988年、385〜386頁。この草案は、前文および全7条からなる簡潔なもので、核兵器の使用を禁止の対象としている(1条)。この条約案は、核兵器の使用が国連憲章や国際法の原則・規則に違反するだけでなく、人類に対する犯罪であると規定する点で、1961年に採択された国連総会の核兵器使用禁止決議の内容を踏襲している。核兵器による威嚇については、条約加盟国がこれを許さないために協力する義務を規定するにとどまる(2条)。また、核兵器の廃棄や検証に関する規定もなく、「核兵器の使用、実験、製造、貯蔵を禁止する国際条約」を予定しているものの、それ以上の言及はしていない(3条)。

(注2)藤田久一、前掲書、386〜387頁。これは、前文および全13条からなる。まず、核兵器の使用が違法であり犯罪であることを規定する(1条)。つぎに、核兵器の使用についても禁止している(2条)。また、非核保有国への核兵器持込を禁止し非核兵器保有国に配備した核兵器の撤去を規定する(3条)。この点に、非核三原則の影響がみられる。さらに、核兵器・運搬手段の廃棄に着手することも規定する(5条)。ただし、それ以上の詳細な規定は設けられていない。ついで、個人の処罰についても規定し、核兵器を使用した者等についてその地位に関わらず処罰することを締約国に義務付けている(6条)。条約実施機関についても規定しており、核兵器管理機構の設置規定を設けている(9条)。この機構は、条約違反の提訴を審理し、違反の有無を調査する権限が付与されているが、後に見られるような査察手続への言及はない。

(注3)浦田賢治編『モデル核兵器条約 反核法律家別冊1』日本反核法律家協会、1997年所収。

(注4)浦田賢治編『モデル核兵器条約』(反核法律家別冊T)日本反核法律家協会発行、1997年参照。

(注5)浦田賢治編訳『地球の生き残り〔解説〕モデル核兵器条約』日本評論社、2008年。

(注6)藤田久一・浅田正彦編『軍縮条約・資料集〔第3版〕』有信堂、2009年、394〜399頁参照。

(注7)NPT無期限延長決定後の1995年の長崎の平和宣言では、「核保有国が直ちに核実験全面禁止条約を締結し、核兵器廃絶に向けタイムスケジュールを設定し、具体的交渉をはじめるよう求めます」としている。

(注8)たとえば以下の質問がある。1994年5月31日の衆院予算委員会における核兵器全面禁止国際協定についての佐々木陸海議員による質問、同年6月8日衆院予算委員会における核兵器全面禁止協定についての松本善明議員による質問、同年8月24日の参院決算委員会における核兵器使用禁止条約についての浜四津敏子議員による質問、同年10月27日の参院外務委員会における核兵器全面禁止条約についての山下栄一議員による質問。

(注9)たとえば以下を参照。1995年1月25日の参院本会議における期限を切った核廃絶実現に関する立木洋議員の質問、1996年12月月2日衆院本会議における核兵器禁止条約に関する鳩山由紀夫議員の質問、同年12月12日の参院 外務委員会におけるマレーシア決議に関する田英夫議員の質問、1997年4月22日および5月16日の衆院外務委員会におけるマレーシア決議に関する松本善明議員の質問、同年6月5日の参院外務委員会における期限を切った核兵器廃絶の国連総会決議に関する立木洋議員の質問、同年11月26日の衆院外務委員会におけるマレーシア決議に関する秋葉忠利議員の質問、同年11月27日の参院外務委員会におけるマレーシア決議に関する田英夫議員の質問、同年11月28日の衆院外務委員会における時間的枠組みと核廃絶との関係に関する丸谷佳織議員の質問、1998年5月14日の参院外交・防衛委員会におけるマレーシア決議および核兵器条約(NWC)に関する竹村泰子議員の質問、同年5月19日の参院外交・防衛委員会におけるマレーシア決議、モデル核兵器条約および期限つき核廃絶に関する田英夫議員の質問、同年6月1日の衆院外務委員会における核兵器廃絶協定締結交渉開始に関する松本善明議員の質問、同年6月17日のマレーシア決議に関する高野博師議員の質問および核兵器全面禁止条約に関する栗原君子議員の質問、同年8月11日の衆院本会議における期限を切った核廃絶に関する不破哲三議員の質問、同年8月12日の参院本会議における核兵器全面禁止条約に関する浜四津敏子議員の質問、同年9月9日の衆院外務委員会における核兵器全面禁止条約に関する松本善明議員の質問、同年9月24日の衆院本会議における期限を区切った核兵器廃絶交渉開始に関する佐々木憲昭議員の質問、1999年年6月2日の衆院外務委員会におけるマレーシア決議および核兵器廃絶条約に関する松本善明議員の質問、同年6月4日の衆院外務委員会-における期限を切った核兵器廃絶とマレーシア決議に関する古堅実吉議員の質問、2000年8月1日の参院本会議における期限を切った核兵器廃絶・使用禁止に関する山下芳生議員の質問。

(注10)「衆議院議員山田敏雅君提出『核兵器廃絶条約』に関する質問に対する答弁書」(内閣衆質一五四第四五号平成十四年四月二十三日)参照。http://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/154045.htm

(注11)1998年6月11日の参院外交・防衛委員会。なお、明石元事務次長は、「我が国を含む世界じゅうのこういう問題に絶大な関心のある人たちが一緒になって、実現可能なしかも究極的な核廃絶という方向に向かって邁進していくためのプログラムを一緒につくってみるということが先決」であるとも指摘している。

(注12)1999年6月2日の衆院外務委員会での、阿部信泰・外務省総合外交政策局軍備管理・科学審議官による説明。

(注13)1996年12月月2日の衆院本会議において鳩山由紀夫議員はこう主張している。「私は、包括的核実験禁止条約の早期発効とカットオフ条約交渉の早期開始など、現実的なステップを積み上げていくことも重要ではありますが、何時に、日本が核兵器の使用と威嚇が国際法に違反することを明確にした上で核兵器禁止条約の締結を呼びかけるならば、核廃絶に向けた国際世論の喚起に極めて大きな影響を与えることになると考えます。」

(注14)たとえば、2008年11月12日の衆院外務委員会における笠井亮議員と中曽根外務大臣との質疑応答。

(注15)長崎アピールは以下を参照。Available in English at http://www.ngo-nagasaki.org/appeal_e.pdf

(注16)黒澤満「現在の国際環境と核軍縮」財団法人日本国際問題研究所軍縮・不拡散促進センター『核軍縮を巡る新たな動向』(平成20年度外務省委託研究)41〜42頁。

(注17)ICNNDについては以下を参照。http://www.icnnd.org/

(注18)日本連絡会の活動については、以下を参照。http://icnndngojapan.wordpress.com/

(注19)『朝日新聞』2009年12月19日付、および『毎日新聞』2009年12月16日付参照。

(注20)「参議院議員浜田昌良君提出米国の核態勢見直しに対する我が国の対応に関する質問に対する答弁書」(内閣参質一七四第一号平成二十二年一月二十六日)。http://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/kousei/syuisyo/174/meisai/m174001.htm