核兵器の廃絶をめざす日本法律家協会
 
 
 
 
  意見 >>> 日本反核法律家協会(JALANA)に関する資料

特集:「核兵器の非人道的結末」に関する国際会議(オスロ会議)
オスロ会議に向けての提言集

下田事件判決の到達点とその現代的意義

明治大学法学部 兼任講師
法学博士 小倉 康久

【はじめに】
 1963年12月7日、東京地方裁判所は、米軍による広島・長崎に対する原爆使用は国際法に違反すると判断した。史上初めて、司法機関が核兵器使用の違法性について判断したのである。この裁判は、原告の一人である下田隆一氏の名前を冠して下田事件(※1)と呼ばれることになる。本年(2013年)は、この歴史的判決から50周年を迎えることから、下田事件の到達点を再確認し、その現代的意義について考えてみたい。
 原爆使用の法的責任を追求しようと考えたのは、大阪弁護士会に所属する岡本尚一弁護士である。そのきっかけは、連合国が第二次世界大戦中の日本の指導者の戦争責任を追及した極東国際軍事裁判に遡る。武藤章中将の弁護人を務めた岡本弁護士は、その際、連合国の重大な国際法違反が、勝者であるが故に責任を問われていないことに強い憤りを感じた。そして、平和条約締結後に、米国政府およびトルーマン大統領らを被告とする民事訴訟を、米国の国内裁判所に提起することを決意した。
 しかし、この考えを米国の法曹関係者に示し協力を求めたが、非常に冷淡な回答が寄せられたという。そこで次善の策として、日本政府を被告として、米国の原爆使用の責任を間接的に問う民事訴訟を、日本の国内裁判所に提起することとした。すなわち、広島・長崎に対する原爆使用は国際法違反であるから、その被害者である原告は、米国政府に対して損害賠償請求権を有していた。しかし、被告である日本政府は、サンフランシスコ平和条約19条a項により、この請求権を放棄したのであるから、被告は原告に対して損害賠償義務があると主張した。
 この裁判の代理人は、岡本弁護士と広島出身で後に日本反核法律家協会の会長を務めることになる松井康浩弁護士が担当した。裁判では、原爆による被害の実情についての争いはほとんどなく、多くは法律の解釈問題に費やされた。また、驚くべきことに被告の日本政府は、広島・長崎に対する原爆使用は合法であると主張した。
 1955年4月の提訴以来、約8年半の歳月を経て、東京地方裁判所は、原爆使用は国際法に違反すると判断した。ところが、原告には損害賠償請求権は認められないとして、請求そのものは棄却された。日本の司法制度は3審制を採用しており、原告、被告とも上級審に控訴することも可能であった。しかし、原告は、原爆使用の違法性が認められた点を評価し、控訴を断念した。被告は、この点に不満を表明しながらも、損害賠償請求が認められず形式的には勝訴したことから、控訴することはなかった。この結果、第一審判決が確定したのである。なお、下田事件判決を契機として、1968年に被爆者特別措置法が制定されたことは、成果の一つといえる。

【下田事件判決の到達点】
@新兵器に対する国際法の適用
 原爆は、当時は新兵器であったことから、その使用を明示的に禁止する国際法は存在しない。しかし、それは必ずしも核兵器使用が合法であることを意味しない。判決は、新兵器であっても、既存の国際法(慣習国際法と条約)と「実定国際法規の基礎となっている国際法の諸原則」が適用されると判断した。
A「無差別攻撃の禁止」
 判決は、戦争法規の基本原則である「無差別攻撃の禁止」という観点から、広島・長崎に対する原爆使用の法的評価を行う。まず、適用される慣習国際法の内容を「無防守都市に対しては、無差別攻撃は認められず、ただ軍事目標の爆撃しか許されないのが従来一般に認められた空襲に関する国際法上の原則であるということができる」と明らかにした。そして、裁判所は、米軍による原爆使用を次のように評価した。
「原子爆弾による爆撃が仮に軍事目標のみをその攻撃の目標としたとしても、原子爆弾の巨大な破壊力から盲目爆撃と同様な結果を生ずるものである以上、広島・長崎両市に対する原子爆弾による爆撃は無防守都市に対する無差別爆撃として、当時の国際法から見て、違法な戦闘行為であると解するのが相当である。」
このように下田事件判決は、米軍による広島・長崎に対する原爆使用は国際法に違反すると判断した。ここで留意すべきは、判決は原爆そのものが違法な兵器であると判断したのではなく、広島・長崎という無防守都市に対する原爆使用が違法であると判断したということである。
B「不必要な苦痛の禁止」
 さらに、判決は戦争法規の基本原則である「不必要な苦痛の禁止」という観点からも法的評価を行う。まず、「不必要な苦痛を与えるもの、非人道的な」兵器の使用が慣習国際法により禁止されていることを確認する。さらに、「毒、毒ガス、細菌以外にも少なくともそれと同等、或いはそれ以上の苦痛を与える害敵手段は、国際法上、その使用は禁止されているとみても差し支えあるまい」と述べる。このように適用法規を明らかにした上で、裁判所は次のように評価した。
 「広島、長崎両市に対する原子爆弾の投下により、多数の市民の生命が失われ、生き残った者でも放射線の影響により一八年後の現在においてすら生命を脅かされている者のあることはまことに悲しむべきことである。この意味において、原子爆弾のもたらす苦痛は、毒、毒ガス以上のものといっても過言ではなく、このような残虐な爆弾を投下した行為は、不必要な苦痛を与えてはならないという戦争法の基本原則に違反しているということができよう。」
 このように下田事件判決は、原爆使用は「不必要な苦痛の禁止」の原則にも違反すると判断した。しかし、「不必要な苦痛の禁止」は、あくまでも戦闘員に対するものであり、非戦闘員に対しては損害を与えること自体が禁じられているのである。

【現代的意義】
 本年は、下田事件判決から50周年を迎えることから、その現代的意義について考えてみたい。まず、1996年の国際司法裁判所の勧告的意見は、適用法規に関して下田事件判決とほぼ同一の枠組みを採用している。2件の司法判断がほぼ同一の枠組みを採択したことにより、核兵器使用の違法性を判断するためのこの枠組みは、より強固なものとなったといえる。
 次に、原爆が使用された1945年8月以降、国際人道法は、不十分ながらも発展を遂げた。1949年ジュネーブ諸条約、1977年ジュネーブ条約追加議定書、国際刑事裁判所ローマ規程などである。したがって、下田事件判決の適用法規は、現在では旧いものとなっている。
 しかし、この裁判の最大の特徴は、判断の対象が具体的な事件であるということである。現在の広島・長崎の街は復興を遂げ、原爆の被害を示すものは、モニュメントとして保存されている。また、原爆を生き延びた被爆者の多くも、生涯を閉じた。これは、原爆による被害、あるいは原爆の本質を立証するための証拠の能力が低下しつつあることを示す。
 下田事件判決は、「原子爆弾は従来のあらゆる兵器と異なる特質を有するものであり、まさに残虐な兵器であると言わなければならない」と判断した。我々は、原爆を「残虐な兵器」と呼ぶことはできる。しかし、司法の判断として「残虐な兵器」と言わしめるためには、十分な証拠が必要である。だが、原爆使用からおよそ70年が過ぎた現在、その証拠を集めることは困難を極めるだろう。下田事件判決は、被爆者の証言を基に原爆の本質を法的に評価したという点で、その意義が損なわれることはないだろう。そして、損なわれることがないことを祈りたい。

(※1) 東京地裁昭和30年(ワ)第2914号、昭和32年(ワ)第4177号損害賠償請求併合訴訟事件(下級裁判所民事裁判例集14巻2435〜2478頁)。なお、判決文の英訳は、赤十字国際委員会のサイトに掲載されている。