1.韓国人被爆者はどのように形成されたのか。
1945年8月6日,広島と8月9日,長崎に米軍が投下した原子爆弾により当時朝鮮人は被害を受けた。 その被爆者数は約7万人、うち死者約4万人と推定してきた。 ところが、この規模は日本人被爆者総数 約69万人に比べると1割以上になり、日本人死亡者 約23万人に比べると死者6人につき1人以上になる。
Location | KABV | Deaths | Survivors | in Korea | in Japan |
Hiroshima | 50,000 | 30,000 | 20,000 | 15,000 | 5,000 |
Nagasaki | 20,000 | 10,000 | 10,000 | 8,000 | 2,000 |
Total | 70,000 | 40,000 | 30,000 | 23,000 | 7,000 |
約23,000人の被爆者が朝鮮半島に帰国したが、1948年に北緯38度以南には大韓民国が、以北には朝鮮民主主義人民共和国が作られ、被爆者の大部分は韓国に戻ったが、北朝鮮にも約2千人が帰還した。 1950年韓国戦争が勃発し、戦争の惨禍を経験し、1953年の休戦になったが、現在も停戦状況は続いて分断になった状況だ。
韓国人原爆被害者たちは帝国主義と核兵器に象徴される20世紀、人類の十字架を背負った存在で、よく三重の被害者といわれていて、強制動員、被ばく、放置の三重の被害者であると認識されてきた。 2021.12.31.現在1,992人が韓国原爆被害者協会会員に登録されている。
2.韓国人原爆被害者に対する権利闘争の根拠と方向
現在韓国人原爆被害者たちは現在まで原子爆弾を投下した米国や戦争を挑発した日本政府から一言の謝罪と賠償を受けずにいる状況だ。
もともと南北原爆被害者問題は、南北が力を合せて米国と日本政府から謝罪と賠償を受けなければならない問題だが、南北が分断になっていて、1965年、冷戦当時に韓国軍事政権と侵略戦争への反省がない日本の政権と結んだ韓日協定で植民地支配に対する被害の回復よりは南北の体制競争の副産物として経済協力方式で請求権協定が結ばれていくことによってどのような賠償も受けないまま、韓日関係の正常化が行われ、原爆被害者の闘争は白紙で開始がされるようになった。 韓日政府のどこを相手に権利救済を受けなければならないか分からない状況で、被害者たちの権利闘争が始まったのだ。
主に日本では日本の被爆者援護法上の差別闘争を中心にその差別を克服しており、韓国での法的闘争は、三菱重工業を相手にした損害賠償訴訟、韓日会談文書公開訴訟とそれから韓国憲法裁判所の憲法訴願訴訟、米政府と企業を相手にした訴訟などで大きく区分することができる。つまり、日本企業、韓国政府、米政府や企業の3段階へと進化をしている。
3.韓国で韓国人原爆被害者の権利闘争
A.三菱重工業を相手にした損害賠償訴訟
広島三菱重工業での被爆者たちは2000年5月1日韓国釜山地方裁判所で (株)三菱重工業を相手に強制動員、強制労働、被爆後放置などを理由に謝罪と賠償を要求する訴訟を提起し、その過程で三菱重工業は'1965年に締結された韓日請求権協定によって、原告の請求権は消滅した'と主張し、その法的責任を否定し、原告らは、関連文書の公開請求をすることになった。 文書公開訴訟とは別途に同裁判は2018.11.29.、最高裁判所で最終被告企業に損害賠償を認める勝訴判決が出た。
B. 韓国政府相手の韓日協定文書公開訴訟
韓国人原爆被害者たちは他の被害者たちと一緒に2002年10月11日、ソウル行政裁判所に情報公開訴訟を提起し、2004年2月13日、ソウル行政裁判所で一部勝訴判決を受けた。 さらに、韓国政府が控訴をした状況で、2005年の文書公開が行われてたが、完全に公開された文書のどこにも原爆被害者に対する協議が行われた記録は全くなかったということが明らかになった。 その結果原爆被害者のような重大な人権被害問題は韓日請求権協定の対象ができなかったし、日本政府にその法的責任があるという官民共同委員会の発表を勝ち取るようになった。
しかし、このような官民共同委員会の発表以降も韓国政府は、日本政府を相手に韓国人原爆被害者に対する権利救済のための交渉をしなかったし、日本政府は韓日請求権協定を理由に法的責任を拒否し、韓日請求権協定の解釈上、紛争が発生し、その解決が懸案とされるようになった。
C. 韓国の憲法裁判所憲法訴願訴訟
この憲法裁判は原爆被害者たちが他の被害者らとともに1965年の韓日協定文書公開訴訟をして2004.2.ソウル行政裁判所で一部勝訴をした後、2005.1月と8月の韓日協定文書を公開し、韓国人原爆被害者問題は1965年の韓日協定を通じて解決となったことがなく、今後、日本政府を相手に、被害者の救済に向けて努力するという声明書発表後にも具体的努力をせず、請求権協定の解釈上、紛争が明白であることになり、韓国政府に対する責任追及を向けてその突破口で憲法裁判所に不作為の違憲訴訟をしたものであり、2011.8.30.憲法裁判所が'被害者たちが日本国について持った賠償請求権が韓日請求権協定第2条1項によって消滅したかどうかに対する韓日両国政府の解釈上の紛争を韓日請求権協定第3条による手続きによって解決しない韓国政府の不作為は人間の尊厳と価値及び幸福追求権、国の基本的人権保持義務を宣言した憲法に違反され、違憲'であると、決定するようになった。
D. 原爆被害者、米政府と企業相手に訴訟の概要
2017年8月3日に1945年8月6日、広島原爆の被害者の申請人は、米政府とデュポン、ボーイング、ロッキード・マーティンなど3社と韓国政府を被申請人に損害賠償等請求調停を申請した。 この調整申請は2017.8.21.、ソウル中央地裁に移送決定になって2017.9.18.被申請人米国政府と米国企業に送達がないまま、調整が一度行われたが、調整が決裂し、民事訴訟に転換され、ソウル中央地裁で2021.4.30.、印紙代に対する訴訟救助申請却下や過度な訴訟費用担保と送達問題などによって、却下された。
これとは別に現在、米国で市民法廷を通じて原爆使用が国際法違反という判断を受けようと準備が進行中である。
E. 韓国人原爆被害者支援法の成立
こうした被害者らの個別的な裁判闘争とは別に韓国人原爆被害者らは立法を通じた権利救済を受けるために努力して国内で立法を成立させた。
つまり1945年日本広島・長崎原爆に被爆した韓国人の実態を把握して支援することを目的とした'韓国人原爆被害者支援のための特別法'が2016年5月19日、国会本会議を通過した。
これまで韓国人原爆被害者たちの生活水準、健康状態などの実態を把握できず、実態調査の要求が続いてきた。特別法は'韓国人原爆被害者支援委員会'を構成して被害者の実態を調査し、被害者支援に必要な事項を審議・議決するようにした。 法案は原爆被害者を慰労する慰霊塔のような追悼空間などの記念事業もできるようにした。
しかし、実態調査の場合、単に資料収集と分析、報告書の作成だけが明示されており、実際に原爆によって韓国人がどれほど被害を受けたのか、犠牲者と被害者の規模がどれほどなのかについて調査するかは未知数であり、今回の原爆被害者支援特別法案では原爆被害者の子どもをはじめ子孫の問題が除外されている。 原爆被害者の子どもたちも原爆や放射能の後遺症によって障害と病気を患っている場合が多い。 被害者の子どもや子孫の場合、基礎的な医療支援を含めた支援政策自体が皆無で、医療機関利用等の費用に大きな負担を感じている。 たとえ法案の被害者定義から原爆被害者の子や子孫などが除外されたものの、実態調査は被害者の子などの子孫も含めて進められるように被害者は努力している。
4.今後の課題について
米国政府、日本政府、韓国政府から十分な権利救済を受けずに放置されており、ひたすら被害者の日本国内の訴訟を通じて、日本の援護法上の差別を撤廃するやり方で権利救済を一部開いている。
韓国でも2016年に国会で支援法を作ったが、しっかりとした実態調査は今後の課題として残っている状況だ。 韓国人被爆者の権利救済のためには1965年の日韓両国政府が被爆について何の交渉もしていないということを共有することから始まらなければならない。 ならば、日本政府は韓日請求権協定を理由に法的責任を否定しようとするなら、日本でなぜ援護法上の差別撤廃を通じて一部権利救済が行われていることを法的にどのように説明しなければならないのか明らかにすべきである。 韓日請求権協定第3条による紛争解決手続きを通じて、原爆被害者に対する救済が韓日請求権協定の締結時に全く論議されず、韓日両国の司法府が被害救済を求めているという判断を受け入れ、遅ればせながら韓国人原爆被害者の権利救済に乗り出さなければならない。
現在人類は未曾有のコロナによる新たな挑戦を受けているが、連帯と協力を通じて問題を解決する契機になるべきであり、核兵器禁止条約の発効を通じて核兵器のない世の中を早める契機になることを願う。
原爆被害者に対する疫学調査とユネスコへの共同登録努力を通じて、人類と核兵器は共存が不可能だということを知らせ、現在核兵器を持っている大国の無責任さを糾弾し、核兵器禁止条約加入への批准を共同で圧迫していかなければならない。