世界法廷運動のうねりの中で
1989年秋、日本の法律家有志が
国際反核法律家協会(IALANA)の創立総会に参加し、帰国後関東反核法律家協会を設立しました。
1990年代初頭、核軍縮の停滞を背景に、
国際反核法律家協会(IALANA)、
核戦争防止国際医師の会(IPPNW)、
国際平和ビューロー(IPB)などが中心になって、国際司法裁判所(世界法廷)に「核兵器使用と使用の威嚇の違法性」を宣言させる運動を呼びかけ、
世界法廷運動として大きく広がりました。この運動が功を奏し、1993年5月、世界保健機構(WHO)は、国際司法裁判所に勧告的意見を求めることを決議します。その決議を受けた国際司法裁判所は、国連加盟国に対し94年6月10日までにWHO決議に対する意見陳述書の提出を求めますが、日本政府の準備した陳述書は「核兵器の使用は国際法違反とはいえない」とするものであったため、国民各層から沸き起こった激しい怒りは政府を追い詰め、陳述書のその部分を削除させるに至ります。
この運動が盛り上がる中で、唯一の戦争被爆国日本の法律家としての役割を果たすべく、関東反核法律家協会は各地の法律家に呼びかけ、1994年8月、被爆地広島において全国組織結成集会が開かれました。こうして、「核兵器の廃絶をめざす日本法律家協会」(日本反核法律家協会)が誕生します。
国際司法裁判所‘96勧告的意見から核兵器禁止条約採択まで
93年5月のWHO決議に続いて、同年10月の国連総会で「(国際司法裁判所に)勧告的意見を求める決議」を採択させるべく、世界法廷運動本部は「世界法廷プロジェクトを支持する公的良心の宣言(署名)」運動を推進します。日本国内においても、被爆者と法律家たちが続けていたこの運動に、日本生活協同組合連合会(日本生協連)が加わり、短期間で175万筆を超える署名が集まりました。これが、勧告的意見を求める決議採択の大きな力となったことはいうまでもありません。
このような経過を経て96年7月、国際司法裁判所から「核兵器の使用及び使用の威嚇の違法性」に関する勧告的意見が出されました。勧告的意見は、核兵器の使用や使用の威嚇は一般的には違法としながらも、自衛の極端な状況においては合法とも違法ともいえないとして判断を留保します。この留保部分は禍根を残すものでしたが、しかし2017年7月7日に国連で採択された
核兵器禁止条約につながる重要な一歩であったことは間違いありません。この核兵器禁止条約の採択を後押ししたのも、被爆者と法律家、市民社会がとりくんできた
「ヒバクシャ国際署名」の力でした。
協会のとりくみ
世界法廷運動のとりくみの中で誕生した日本反核法律家協会は、その後も核廃絶とヒバクシャ援護を掲げて活動を続けてきました。国内外の市民社会が発表してきた
「核兵器条約」の紹介・翻訳・普及や2006年
新原爆訴訟の提案、2014年
マーシャル諸島共和国政府による核兵器国に対する提訴の支援、
NPT再検討会議や
核兵器の非人道性に関する国際会議(2013年オスロ、2014年ナジャリット、ウィーン)への代表派遣などは、そのとりくみの一部です。また
原爆症認定訴訟には多くの協会会員が弁護団として力を発揮してきました。
日常的には、
IALANA、
核兵器廃絶日本NGO連絡会、
非核の政府を求める会、
ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会など国内外の市民団体との連携、ことに1997年より活動を続けている核フォーラムについては、近年、
核兵器廃絶日本NGO連絡会と共催することでいっそう充実した内容になることをめざしています。また、毎年11月に定期総会を行い、あわせてテーマを定めた意見交換会を開催しています。機関誌
「反核法律家」は年4回の刊行です。
2011年3月11日を経て
「新たなヒバクシャ」を生み出した福島第一原発の事故を踏まえ、協会は従来の活動目的に「原発に依存しない社会の構築」を加え、
「原発と人権」ネットワークの活動に参加しています。