日本反核法律家協会副会長の内藤雅義です。私は法律家として、マーシャル海域で放射性降下物に被災した犠牲者や生きている家族の代理人をしています。1954年にビキニ環礁で行われた水爆実験であるブラボー爆発は、日本の漁船第五福竜丸が被災したことでとても有名です。乗組員全員が入院し、その一人が1954年9月に亡くなりました。この被災事件をきっかけに反核運動がおこり、日本被団協(日本原水爆被害者団体協議会)の結成につながりました。被団協は、核禁条約の採択と発効にとって極めて重要な役割を果たしました。
私が皆さんに知り、認識していただきたいのは、1954年3月から5月にかけてのアメリカの6回にわたる一連の水爆実験で被災したのは、第五福竜丸だけではないということです。被災船の数は、1000隻に及びます。しかし、彼らは無視され、見捨てられました。
被災漁船員のお嬢さんである下本節子さんの証言ビデオを紹介します。このビデオをみると、核実験が被災した島に住む島民だけではなく、マーシャル諸島の近くで働いていた漁船員にも影響を及ぼしたことがわかります。このことは、核兵器が敵を虐殺するだけではなく、罪もない人々に長期にわたる苦痛と不条理な死をもたらすことを意味しています。