11月10日、フランシスコ・ローマ法王は、「大量破壊兵器、特に核兵器は、間違った安全保障の観念しかつくり出さない」、「広島・長崎の原爆投下の被害者である被爆者や他の核実験の被害者の目撃証言は、かけがいがないものである」、「彼らの予言的声が、すべての未来の世代への警告となることを願う」と強調したと報道されている(しんぶん赤旗・2017年11月12日付)。
私は、この記事を読みながら、「被爆者は、核時代の預言者である」との言葉を思い出していた。もっと正確に言うと「被爆者は、時代の人々に、生き残る道を身をもって示した人類の預言者です」という言葉である。これは、ノーモァ・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会の「核の支配からにんげんの尊厳を取り戻す戦いに勝つための宣言」の一節である。この宣言は、故池田眞規弁護士の起案にかかるものであり、この文言は池田弁護士の座右の銘でもあつた。(このことについては、池田眞規著作集刊行委員会編「核兵器のない世界を求めて―反核・平和を貫いた弁護士・池田眞規―」(日本評論社)225頁以下に詳しい。(i)
ここには、予言と預言と二つのヨゲンがある。広辞苑によると、予言は「未来の出来事を推測していうこと」、預言は「キリスト教で神の霊感に打たれたと自覚する者が神託として述べる言説」とある。ローマ法王は予言と言い、池田弁護士は預言と言うけれど、どちらも予言であり、預言でもあるような気になる。
大事なことは、ローマ法王も、被爆者の声に耳を傾けることの大切さを説いていることである。その大切さを言い出したのは、池田弁護士の方が先だということは明らかだけど、今、その前後を問わなければならない理由はない。確認すべきことは、被爆者の声を無視し始めたとき、人類社会は滅亡の淵へと進むことになるという予言や預言が行われているということである。
ローマ法王は、12億3000万人といわれるカトリック教徒の最高位にある聖職者である。ローマ法王庁は、11月10日・11日「核兵器のない世界と統合的軍縮への展望」をテーマとする国際会議を開催した。日本被爆者団体協議会事務局次長の和田征子さん(長崎の被爆者)は、法王庁に「ヒロシマ・ナガサキの被爆者が訴える核兵器廃絶国際署名」(ヒバクシャ国際署名)を持参し、会議では「原爆を生き延びて」と題する証言をした。その内容は、核兵器がいかに非人道的な兵器か、被爆者の受けた痛み、苦しみ、もし使われれば、同じ苦しみを世界中が負うことになることを伝えたい、ということであった。
核兵器禁止条約前文は、被爆者の「容認できない苦痛と害」について一項目を設けている。バチカン市国は、核兵器禁止条約にいち早く署名している。被爆者の声が、国際社会に届きつつあるといえよう。私は、池田先生の「被爆者は預言者である」との言明が、ローマ法王の「被爆者の予言的声」という形で継承されていることに感動を覚えると同時に、改めて、被爆者の思いに耳を傾け続けなければと決意している。