これは、伊藤真、神原元、布施祐仁三名の共著「9条の挑戦」(大月書店・2018年)の読後感想文である。贈呈してくれたら感想文を書くと神原君と約束していたその責めを果たしたい。感想は三点ある。まず、読後感がさわやかということである。痛快と言ってもいいだろう。第二に、勉強になったことである。第三に、現代が「核の時代」だという視点が確保されていることである。
さわやかな本である
この本のサブタイトルは「非軍事中立戦略のリアリズム」である。要するに「非軍事中立戦略こそが、安全保障環境の変化に対応した最も現実的な道である」と主張する本なのである。改憲派からは「お花畑での戯言」と言われるだろうし、護憲派からは「昔そんなのがあったね」と言われそうな議論なのだ。もちろん著者たちはそのことは十分承知している。それでも果敢にその論証に挑戦しているのである。
自民党の9条論の背景にあるのは「9条などはユートピア」とする思想だし、最近あれこれ言われている「新9条論」とか「護憲的改憲論」とか「立憲的改憲論」なども自衛隊という軍事力を前提とするものであって、非軍事という発想はないか乏しい。
私にとって、それらの主張を読むことは決して楽しいことではないのである。さわやかどころか、どう反論しようかと構えてしまうからである。ところがこの本は違う、共感を持ちながら読み進めることができるのだ。その理由は、この本の問題意識にわたしが同意しているからであろう。端的に言えば「軍事力で安全は確保できない」というリアリズムと「軍事力がない世界が一番安全」という当たり前の結論への共感である。
著者たちは、平和の思想を念頭に置いているけれど、展開するのはリアリズムである。仮に日本に対する軍事攻撃があった場合、どのように対抗するのが最も有効かという問いかけや、北朝鮮や中国の「脅威」と対抗する上で必要な対処方法は何かという現実的な問題を念頭に、非軍事戦略政策を展開するのである。中立というのは、集団安全保障体制を念頭に置きつつ、日米安保体制からの脱却が、日本の安全保障に有効だという発想である。今、最も求められている知的営みといえよう。
勉強になる
伊藤論稿は、端的に「軍隊を持つのか持たないのか」とテーマに、安全保障政策を検証し、9条の解釈と自衛隊違憲論を展開している。私にとって最も興味深かったのは、長谷部恭男さんと木村草太さんに対する批判である。伊藤さんは、長谷部説を「自衛隊を違憲と解釈する必要はない。個別的自衛権を否定することは攻められも我慢しろ、大切な人を殺されても我慢しろという価値観の押し付けだ」と整理している。伊藤さんは、そのような考えは憲法の規範力を弱めるものだし、戦争を我慢しろという価値観を押し付けているではないかと批判するのである。木村説については、「外国からの武力攻撃に際して、13条後段と9条2項のどちらを優先するかという問題の立て方をして、13条後段を根拠に自衛隊を認める説」と整理している。その上で、9条の存在自体が、13条を根拠にする自衛権論を排除しているという樋口陽一説を援用して、木村説を批判している。私も伊藤説を支持したいと思う。
神原論稿は、「憲法9条の政策論」(小林直樹・1975年)、「総合的平和保障基本法案」(深瀬忠一・1987年)、「自衛隊の平和憲法的解編構想」(1997年・水島朝穂)を題材に、憲法学が軍隊によって国を守ろうとする考えは、現代戦争に極めて不適な、日本では愚策というべきであり、日米安保の強化は我が国の独立を損なうだけではなく、自国に無関係な戦争にわが国を巻き込むおそれがあって、わが国の国益に反すると主張してきたことを論証している。私は、これらの見解をこのように位置付けて検討したことがなかったので、蒙を啓かれたところである。
布施論稿は、日本の安保政策や自衛隊の実態について教えてもらうところが多かった。「部隊の厚生費が切り詰められ、トイレットペーパーも隊員たちからお金を集めて買っている」という嘘みたいなエピソードには驚かされた(笑)。そして、最も感心したのは「自衛隊員に対する責任」というパートを設け、自衛隊員に配備される「救急救命キット」のお粗末さや、捕虜としての処遇を受ける根拠があいまいなことなどを指摘していることである。
「核の時代」という視点
伊藤論稿には「国連憲章では戦争を原則違法化しましたが、その後に原爆が使われました。その惨状を知った日本が作ったものが9条2項です」という記述が、神原論稿には「核戦争の時代には、戦争という手段そのものを放棄すべきだと考えた非軍事中立政策の英知は未だ捨て去るべきではない」という記述が、布施論稿には「核戦争の危険性を完全になくすためには、核兵器を廃絶するしかないのと同じように、『戦争のない世界』という人類の理想を完全に実現するためには、最終的には軍備を廃絶するしかないと思うからです」という記述がある。いずれも、人類が核兵器を発明し、使用し、使用の準備をしている「核の時代」にあることを念頭に置いている記述である。できれば、制憲議会における幣原喜重郎の、核兵器の時代においては「文明と戦争とは結局両立しえないものであります。文明が速やかに戦争を全滅しなければ、戦争がまず文明を全滅することになるでありましょう」という答弁などを引用して欲しかったけれど、三人とも核兵器に触れていることに共感を覚えている。
本書は、非軍事中立という考え方をそもそも知らない若い世代を念頭に置いて書かれたものだというけれど、最も年長の著者である伊藤さんよりも一回りほど年寄りの私にとっても、痛快で有意義な本であった。三人に感謝したい。
最後に、一つだけ気になったことを付記しておく。伊藤さんが「自衛隊を憲法に明記するとは、何も変わらないどころか、国のかたちを軍事国家へと変えること大きな危険を持ちます。それを目指すべき日本のかたちだというのが国民の合意なら、それはそれで仕方ありません。」としていることである(83頁)。国民主権主義の下での結論であれば容認せざるを得ないということであろうが、私は、伊藤さんと同じようにそのような改憲に反対するだけではなく、そのような結論を受け入れなくて済む法的議論ができないかと考えているのである。憲法改正の限界に係わる議論である。そのことについての議論はまたの機会としたい。