書評 大久保賢一著 「核の時代」と憲法9条 日本評論社
代々木病院 精神科医 中澤正夫
ヒバクシャ支援陣の周辺に長年うろちょろしていたので、いろいろな職能の人と知り合うことができた。支援陣のなかでの精鋭部隊は、弁護士・法律家集団である。
著者は日本反核者法律協会の事務局長である。先達の故・池田正規弁護士を「ぼあーとした、型破りの戦略家」とすれば、大久保さんはいつも鮮やかな正義の旗を掲げ、正論をもって闘う弁護士らしい(?)弁護士である。その様子はコスタリカでの国際会議でもよく分かった。この本は、「核と人類は共存できない」ことを‘広宣流布’すべく、ここ10年、折に触れて語った事や関係誌に投稿したものをまとめたものである。2部構成になっていて、1部は、核の時代と9条との桎梏、核兵器禁止「条約の限界」、原発問題と原爆問題の共通項(戦い方も含め)、2部は、ズームを手前に引いて、生まれ育ちや、出会いや、私論、日常雑感となっている。
感想の第一は、わかりやすい、読みやすい、である。きわめて重大、かつ、重要なことを、学術書のように、細部にわたって蘊蓄を垂れることをせず、スパーンと言い切ってしまう文体である。読んでいくと、そうだ、そうだ・・と核をめぐる問題が、すーと頭に入ってきて再学習、再整理させられる。よく言えば、クリアーカット、「寸鉄人を刺す」論調である。へそ曲がりな私は、それに気づいて、第一部の途中で、読むのを中止して、第二部へ、飛んでしまった。患者さんの、人となり、社会生活史をしっかり押さえておかないと、精神科医は務まらない。言葉より行動、行動を規定する生育環境を抑えておかないと‘語られて’しまう。論文を読むときも成書を読むときも同じ、私のクセである。
第2部は、面白かった。著者の生身の姿や、人格形成に影響を与えた人との出会い、が率直に書かれているからである。そこから、第1部に戻って、一気に読み上げた。ケチをつけているのではなく、こう読むと、核戦争で絶滅しかねない現在を生きる人に、共有・共感・協働を求めるメッセージがより迫真性を帯びてくるという意味である。
今この本を手に取って、はじめから読み通せる人が何割いるだろう。精神科医になった時、文献より先に先輩が私に渡したのは2冊の文庫本だった。一つは、風早八十二氏の刑法についての解説本、文字通り、熟読玩味した。ちょうど保安処分問題の真只中であった。著者の人となりは全く知らず、お会いする機会もなかった。もう一冊は「物言わぬ農民」(大牟羅 良、岩波新書)、こっちは盛岡まで著者を訪ねた。寡黙な人であったが、北上山系での、行商のことを語ってくれた。私の精神科医としての活動進路(地域生活療法)を決めたのはこっちだった。
何が言いたいのかというと、この手の本を読み通し、賛同行動をとるには、文意以外の著者の生身の魅力(体臭をも含む実像と活動)がいるということである。最近お会いする機会の増えた私ですら第2部を読んで、なるほど・・と‘感性が揺り動かされた’・・のである。文中に、「人類絶滅の危機」「わが亡き後に洪水よ来たれ」というフレーズがしばしば出てくる。予定以上に長生きしてしまったせいか、私も「ヒトは、知能は高いが賢くない」「欲望を叶えるために殺し合いを常套手段とする猿にすぎない」など、と考えている。日本人についても同じである。深刻な「それはそれ、これはこれ病」者である。アンケートをとれば、原発反対はいつも2/3、同じ国民の2/3が原発を輸出する政権を支持している。個の中の折り合いを痛みなくつけているのはなぜだろう・・?「和をもって、尊しとせず」のがよい。
他人の書評を借りて、「悪たれ」を言っても仕方がないが、著者らと一緒にこのあたりを議論し、どうやったら、誰もが、「真の個を確立」し、共同行動化できるか・・の道を探ってみたい。
(2019,5,28)