太田政男前大東文化大学学長のブログ「酒中日記」から
大久保賢一「核の時代と憲法9条」
2020年10月09日
前回は拾い読みだったが、今回は通して読んだ。
この本は、大きく2つに分けられる。第1部は「核も戦争もない世界を求めて」と題された「提言」であり、第2部は関連したテーマについてのエッセイである。
第1部第1章は「核の時代と憲法9条」で、戦争の放棄、武力の不所持・不使用を宣言した憲法9条が「核の時代」を告げたヒロシマ・ナガサキの原爆投下を背景としていることを、幣原喜重郎とマッカーサー対談の資料などを使って明らかにする。そして9条は平和の思想として先駆的であり、世界に広げていく価値を持っている、と。軍隊を持っていない国が、国連加盟国193のうち、小さい国が多いが26に上ることも初めて知った。
第2章は、「核兵器のない世界を求めて」で、2017年の国連での核兵器禁止条約に採択に至るまでの世界の運動について述べる。また朝鮮半島の「非核化」をめぐるやりとり、論議について分析する。反核法律家協会事務局長として、日弁連兵器核廃絶PT座長として世界を駆け回り、訴え、学んでいく活動の記録でもある。このときの思想的バックボーンは日本の被爆者運動である。世界から見た日本の政府のふがいなさも浮き彫りにされる。
第3章は、「原発からの脱却」で、自由法曹団原発問題委員会委員長としてフクシマに関わりながら深めた思考にもとづく。原発は平和利用と言われるが、「核の時代」を象徴するという点で共通し、人間がコントロールできない原子力、廃棄物の処理の見通しもできない原発からの脱却を訴える。
ぼくは法学的な思考が苦手で(きらいで)、在職中によく同僚に叱られたが、この本でしばしば紹介される法学における論争などは面白く読んだ。学問は、客観的普遍的な真実を明らかにすることをめざすが、社会科学の場合には人間の「こうありたい」という価値観や「こうあるべきだ」という規範意識がどうしても働く。そのうえで、「存在する現実」というものを直視し説明できなければならない。そこで現実を分析する視角や方法が問題になる。そういう意味で学問は主体的な認識でもある。著者は、率直に思いを語るので面白い。
ぼくは、彼とは高校時代同学年で、クラスは違ったのでそんなに深く付き合うことはなかったが、生徒会などでお互いのことは知っていた。彼は、大学は仙台に行き、法務省に入省し、その後弁護士になった。川越に来て、1年経って所沢に事務所を開いた。付き合い始めたのはそのころからだから30年以上になる。所沢や川越で、ときには家族ともよく飲んだ。個人的に法律の相談に乗ってもらったこともある。
今度の本を読んで、憲法9条と核問題にかける執念にあらためて驚き、尊敬の念を深くした。
この本には、とくに第2部では彼の人間味あふれるエピソードも紹介されている。川柳もふんだんに使われる。古希のときの「これまでは助走だったという70」という気概にも感心する。