はじめに
3月29日、16人の賢人(Eminent Persons)によって構成される「核軍縮の実質的な進展のための賢人会議」が、外務大臣に「効果的な核軍縮への橋渡し」と題する提言をした。河野外務大臣は「この提言を、4月下旬の2020年NPT再検討会議第2回準備会にインプットし、核軍縮の実質的な進展のため国際社会の取り組みを促していく」としている。もともと、この賢人会議は、岸田前外務大臣によって「安全保障環境の変化、核軍縮をめぐる核兵器国と非核兵器国間・非核兵器国間の意見対立が顕在化しているので、様々なアプローチをする諸国の信頼関係を再構築し、核軍縮の実質的な進展に資する提言を得たい」として立ち上げられたものである。この様な経過からして、この提言は、2020年NPT再検討会議に向けての日本政府の基本的姿勢とされるものである。
したがって、日本政府の核軍縮政策に苛立ちを覚え、一刻も早い「核兵器のない世界」の実現を希求している私たちとしても、この提言について重大な関心を持たざるをえないのである。
以下、提言に対する評価と注文を述べる(提言の日本語の概要と英文の提言は外務省のHPで閲覧できる)。
提言の基本的立場
提言は、核抑止と拡大核抑止に依存する国と、核兵器の即時廃絶を求める国家や市民社会を対立しているとして、その橋渡しを試みているものである。その意味では、核兵器の壊滅的人道上の結末に着目して、核兵器の遅滞のない廃絶を求める私たち市民社会の立場とは異なるものである。そこは、まず指摘しておかなければならない。
提言の核兵器についての基本的認識
しかしながら、提言は、核兵器について、以下のように指摘している。核軍縮の停滞や核の秩序の崩壊はどの国にとっても利益にならない。「核兵器のない世界」を追求することは共通の利益である。「核不使用の規範」は維持されなければならない。核戦争に勝者はなく、戦われてはならない。これらの指摘は、核軍縮の停滞からの脱却を目指しており、「核兵器のない世界」は最高の公共善であるとする核兵器禁止条約と通底するものがあり、「核兵器の不使用」は既に規範化されているとするものであって、大いに共感できる視点である。
提言の核抑止論に対する見解
また、提言は、核兵器国は、拡大核抑止の下にある国々と協力の上で、安全保障政策における核兵器の役割を低減する方法を見出すこと。非核兵器国と非核兵器地帯条約の加盟国への消極的安全保障を強化すること。核保有国は核戦争ドクトリンを控えること。核兵器使用の脅威を基礎とした威圧的行動を控えること、などを求めている。そして、核抑止は、安定を促進する場合もあるとはいえ、長期的な国際安全保障にとって危険なものであり、すべての国は、より良い長期的な解決策を模索しなければならない、と提言している。
提言は、核抑止論を頭から否定するものではなく、その相違を受け入れた上で調整すべきであるという立場であるが、核兵器の役割の低減や非核兵器国への消極的安全保障を求めているのである。核抑止論こそが「核兵器のない世界」の実現を妨害する元凶であると考える私たちからすれば、鵺的(ぬえてき)との非難を加えたいところではあるが、提言が、核抑止論は長期的には危険なものであるといい、より良い解決策の模索を提案していることには刮目すべきであろう。
提言のNPT体制についての見解
そして、提言は、NPT体制については以下のように述べている。NPT6条に基づいて「核兵器のない世界」を追求することは共通の利益である。NPTは「核兵器のない世界」という共通の目標の中心的な存在である。全ての加盟国は、NPT維持のために、過去の運用プロセスの合意を実現しなければならない。NPTの目的に対する核兵器国及び非核兵器国による共通のコミットメントは有益な出発点である。全締約国は、現実的・実践的提案を通じて、条約への当事者意識を示すべきである。第3回準備会において、核兵器国の報告の後、その他の加盟国や市民社会との双方向の議論をすることの推奨などである。
提言は、NPTの役割を高く評価し、各国にNPTへの積極的関与を求め、そこでの議論のあり様まで提言しているのである。核兵器禁止条約は自らをNPTを補完するものであると位置づけている。提言のこのNPTの位置づけと核兵器禁止条約のスタンスは共鳴しているといえよう。
「橋渡しをする」ことの意味
提言は、橋渡しの取組みは、核廃絶を実現するための明確で共通のビジョンでなければならない。対立を生んでいる本質的事柄についての議題を検討すべきであるとしている。そして、橋渡し役は、核兵器国と非核兵器国を巻き込み、脅威・リスクの削減、核軍縮に伴う安全保障上の懸念への対処、すべての国の間での信頼の促進するため、透明性を高め、対話を発展させる取り組みを行うべきである、としている。
明確で共通のビジョンとして、核兵器解体などで生ずる核物質の監視・検証のための実現可能な方法について相互に協力し、その成果がNPT運用検討プロセスに報告されるべきこと。核兵器関連の機微な情報の開示なしに検証活動が可能な技術的研究が国連の下で実施されること。法的拘束力のある義務の遵守を保障する方策の作成と合意が行われ、迅速な強制を保証するメカニズムが制定されること、などが提言されている。どのようなプロセスをたどるにせよ、「核兵器のない世界」の実現のために不可欠なメカニズムについての概要が提示されているといえよう。そして、これらは核兵器禁止条約が提起している事柄でもあることに留意しておきたい。
「困難な問題」について
提言は、対立を生んでいる本質的な事柄は、核兵器を抑止力としてその必要性を認めるのか、その人道上の結末に着目して、遅滞のない廃絶を求めるのかということであるとしている。その背景には、自衛権に関する問題、すなわち、国家存立にかかわる究極的な状況において、限定的な核による威嚇や核使用の可能性についての問題がある、としている。この問題は、国家の存亡の危機における核兵器の使用や使用の威嚇は、合法とも違法とも判断できないという国際司法際銀所の勧告的意見にかかわる問題である。この問題は、確かに「困難な問題」であったかもしれないけれど、核兵器禁止条約によって解決されているのである。核兵器禁止条約は、核兵器のいかなる使用も違法であるとしており、自衛権の行使としての核兵器の使用も認められないのである。この点で、提言は、核兵器禁止条約の到達点を踏まえていない、周回遅れの代物となっているのである。
また、国際の平和と安全を保持しながら「核兵器のない世界」を実現していくにあたっての、人間の安全保障を担保することについてという問題も提起されているが、私には、その意味が理解できない。この問題提起が、国家の安全保障が人間の安全保障の前提となっており、国家の安全保障を核兵器によって確保できなければ、人間の安全保障も担保できないのではないかという文脈で語られているとすれば、私には、その問題提起自体がナンセンスと思われるからである。核兵器に依存する人間の安全保障などというのは論理矛盾である。核兵器が人間の安全を守るというのなら、それを禁止する理由などない。
究極のジレンマについて
提言は、究極のジレンマとして、すべての国の安全を保障しながら、義務の遵守と軍縮の強制を両立させる方法の追求を挙げている。すべての国の安全保障と核軍縮義務の遵守と強制は両立しないのではないかという問題意識である。しかしながら、核兵器によって国家安全保障を確保するとしているのは核兵器国であって、非核兵器国はそもそも核兵器を持っていないのだから、核軍縮義務の遵守と強制は核兵器国だけの問題である。したがって、このジレンマは、核兵器国が核兵器の放棄を約束し、国際機関の検証を受け入れさえすれば解決する問題である。核兵器禁止条約4条は、そのあたりの方策を規定しているところである。提言のこのような問題意識は、核兵器禁止条約を視野に置いていないことから生ずる焦点の外れたものなのである。
小括
このように見てくると、提言の基本的立場は、私たちと異なるところではあるが、核兵器についての基本的認識、核抑止論に対する態度、NPTの役割について見解などについては、共感できるところがある。外務省には、これらの論点について、公言してきたとおり、しっかりと受け止めてもらいたいところである。
しかしながら、提言は、NPTの運用プロセスの促進と異なるアプローチを収斂させる観点などというけれど、核兵器禁止条約の到達点は無視しているようである。
また、政府と市民社会が協力し効果的な役割を果たせる、などという認識も示しているけれど、被爆者の「核と人類は共存できない」という主張よりも核の効用についての主張に理解を求めているのである。
そして、「議論には礼節を」をなどと説教しているけれど、議論の場に参加しようともしない者たちに対する苦言は呈されていない。
結局、この提言が、核軍縮の実質的進展のために役立つかどうかは、核兵器禁止条約を敵視し、核兵器の役割の低減など眼中になく、核兵器の近代化や小型化を図り、核兵器使用の敷居を下げている米国の「核態勢の見直し」を高く評価し、北朝鮮に対して圧力一辺倒の政策を展開する外務省が、この提言の積極的部分にどこまで耳を傾けるかにかかっているのである。私は、外務省がこの提言をアリバイ作りにしか使わないことを恐れている。
この提言が「効果的な核軍縮への橋渡し」の役割を果たすためには、この提言にかかわった賢人たちが、外務大臣に対し、この提言を尊重し、米国などの核兵器国に核軍縮交渉を進展させるよう求めることを、粘り強く働きかけることである。
私たちが共感しているこの提言の一部でも実現することがあれば、私たちは、提言の足らざるところは留保し、その成果に喝采を送るであろう。