2月4日、核兵器廃絶NGO日本連絡会の共同世話人の一人として、外務省との意見交換会に参加した。この連絡会は、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)などのNGOで構成する核兵器廃絶を求めるネットワークである。外務省からは、國場幸之助外務大臣政務官と大野祥軍備管理軍縮課長が対応した。
意見交換の目的は、政府に核兵器禁止条約への署名と批准を求めることと、①核兵器禁止条約発効の意義、②安全保障政策における核兵器の役割の低減、③「北東アジア非核兵器地帯」構想、④米国バイデン政権誕生で注目される先制不使用政策への対応、⑤核不拡散条約(NPT)第 6 条の核軍縮義務の履行、⑥核兵器禁止条約締約国会議へのオブザーバー参加などについて議論することであった。
政府の基本的スタンスは、禁止条約には入らないということである。その理由は、大きく分けると二つである。一つは、核兵器のない世界の実現のためには、核兵器国がその方向に進まなければならないが、どの核兵器国も禁止条約に反対している。だから禁止条約には意味がない。もう一つは、わが国を取り巻く安全保障環境からして、米国の核という抑止力が必要だという理由である。核抑止論、拡大核抑止論である。北朝鮮、中国、ロシアという核兵器国と対抗するためには米国の核が必要だという思考回路である。
けれども、「核兵器のない世界」を実現したいということでは皆さんがたと共通しているので、二人三脚でやっていきたいとしている。
「核兵器のない世界」を目指すとはいうけれど、米国の核を抑止力とするというのだから、結局、当面は核兵器をなくす意思はないということである。2009年。プラハで、オバマ米国大統領(当時)は、「核兵器のない世界」は「私が生きているうちは実現しないかも…」と言っていたけれど、それと同様の言い方である。自分が生きている間は、絶対に核兵器を手放さないと言うよりも穏健かもしれないけれど、当面なくすつもりはないとの宣言である。究極的には廃絶するということは、いつ来るか分からないし、それは急がないということである。急ぎたい私たちとは、そもそも発想が違うのである。「ゴールは一緒だ。アプローチが違うだけだ」というけれど、今どうするかということでは雲泥の差があることを忘れないでおきたい。そして、「橋渡しをする」ということは、核兵器の廃絶を遅らせようという提案であることも確認しておきたい。
そんな政府の態度は先刻承知しているけれど、二人三脚でやりたいというので、付き合いは続けている。NGO連絡会だけではなく、日弁連のシンポや反核法律家協会のイベントにも参加してもらっているし、必要な配慮もしている。それが紳士的態度だと思うからである。一緒に進もうと言いながら、動くつもりがないのもひどい仕打ちとは思うけれど、こちらから絶縁状を出すのは大人気ないと考えているからでもある。その昔、レーニンは「紳士諸君。お先に撃ちたまえ」と言ったという。こちらが焦る必要はないのだ。政府が「同席しない」というまで、苦痛ではあるが「同席」するつもりでいる。彼らも「針の筵に座らされているようだ」と言っているという。我慢比べはいつまで続くのであろうか。
そんな私は、この意見交換会で、一つだけ質問した。「あなた方は、核兵器に依存しない安全保障政策を検討したことがあるのか。抑止論は軍拡競争を招くし、核抑止が破綻すれば核兵器の応酬になるだろう。抑止が破綻しないという保証はあるのか」という質問である。担当課長は、「安全保障政策は私たちだけで決めているわけではないのでお答えできない」ということだった。昔、別の担当課長が、「ほかに政策があるなら、教えてもらいたい」と言い放っていたことがあったけれど、結局、彼らは、米国の核兵器に依存する以外の方策については考えていないようである。典型的な「思考停止」である。
北朝鮮は、米国と対抗するために、核とミサイルを開発している。日本はその北朝鮮の脅威を喧伝しながら、米国製武器の爆買いをしている。米国政府とロッキード社が、防衛省に兵器の売り込みに来ていたというニュースもある。使用したら、敵も味方だけではなく、地球が滅亡するかもしれない兵器に依存する危険性と愚かさを直視しない政府の発想にはほとほとあきれてしまう。核抑止政策の有効性や限界について何も考えないという没論理的な態度や、核兵器使用がもたらす非人道的な結末を避けようとしない倫理観の欠如を容認することはできない。
この政府の拡大核抑止政策に賛成しているのは、与党だけではない。2月12日に行われた、NGO連絡会主催の各政党との「核兵器禁止条約と日本の核軍縮政策に関する討論会」で、立憲民主党の岡田克也氏や国民民主党の玉木雄一郎氏は禁止条約の発効については一定の評価をしつつ、米国の核の傘による安全保障の必要性を指摘して、禁止条約への参加には賛成していなかった。拡大核抑止政策を承認しているのである。
「有事法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合」は、禁止条約への加盟を求める政策を提言している。この二人の発言を聞いて、この提言を、立憲民主党や国民民主党が受け入れるのかどうか、大いに不安を覚えている。国家安全保障の道具として、核兵器の役割を承認するのかどうかという、根本的問題だからである。核兵器は「悪魔の兵器」なのか「秩序の兵器」なのかという二者択一である。
私は、核兵器に依存する国家安全保障政策を掲げる政権構想に同意することはできない。自国と他国の民衆はもとより、人類社会の滅亡を容認する「核抑止論」を絶対に拒否するからである。