本稿の主題
浅田正彦氏(同志社大学教授)が、国際問題研究所の「国問研戦略コメント(2022-09)」で、「核兵器禁止条約の第1回締約国会議:NPTとの関係をめぐって」と題する論考を書いている。本稿はその論考に対する批判的検討である。
浅田氏は、もともと、核兵器禁止条約(以下、TPNW)について「核軍縮にとって無意味なだけではなく、むしろNPT体制が大きく揺らぎ、核不拡散の基礎を損なうことにもなりかねない」としていた人である(『毎日』2017年7月12日付)。その人が、TPNWの第1回締約国会議をどのように観察し、NPTとの関係をどのように位置付けるのかは、大いに気にかかるところである。以下、氏の見解を紹介しながら、私なりのコメントを付することにする。
TPNWとNPTの関係
氏は「TPNWがNPTから生まれ、NPT第6条を補完するものであるというのは誤りではないにしても、両者の関係は相互補完的というほど密接ではない」とか、「NPTとTPNWは相互補完的であるという見方は一面的であり、必ずしも正しくない」などとしている。「補完性」は否定しないが、「相互補完的」だというのは正しくないというのである。なかなかな微妙な言い方である。
氏は「TPNWはNPTプロセスに対する失望感に由来する」ことは認めているので「補完性」は否定しない。けれども、「両条約の『核抑止』に対する考え方は根本的に異なる」ので「相互補完性」は認められないというのである。
先日、外務省の担当課長は「補完性などない。あるというのならそれを立証してくれ」としていたけれど、それと比べれば、氏の評価の方が柔軟ではある。けれども、浅田氏もTPNWが「核抑止」を否定していることに着目して、TPNWとNPTの「相互補完性」を否定しているのである。氏と政府の姿勢に径庭はない。
氏のTPNWに対する評価
氏は、核兵器国は、核抑止を維持できることを前提にNPTに加入しているのに、TPNWは「核抑止とは両立しない」ので、核兵器保有国のみならず核保有国と同盟関係にある国にはTPNWに入っていないし署名もしていないのである、としている。
氏は、「TPNWは、NPTプロセスにおいて核兵器国と非核兵器国との間の対立のみならず、これまで潜在してきた非同盟国たる非核兵器国と核同盟国たる非核兵器国との間の対立を顕在化させる懸念」を持っていたが、「今回のTPNW第1回締約国会議は、そうした懸念の真偽を確認する機会」となったとしている。
結局、氏は、NPT体制を否定するTPNWが許せないようである。それは、NPT体制を否定することは「核抑止」を否定することになるからである。
この氏のスタンスは、2017年7月以降、何の変化もないことを確認しておきたい。
ロシアを名指しで非難しないことは賢慮
氏は、締約国会議で、ロシアのウクライナ侵略を名指しで批判する議論が少なかったとか、「ウィーン宣言」にもロシアを名指しで批判する結論はなかったとして、締約国会議を批判している。
この会議は、ロシアの侵略について議論する会議ではないし、ロシアを非難すればそれで済むという会議でもない。「ウィーン宣言」は「核兵器使用の威嚇と、ますます激しくなる核のレトリックを憂慮し、核兵器のいかなる使用も使用の威嚇も国際法違反である」ことを強調し、「明示的であろうと暗黙的であろうと、いかなる状況下であろうと、あらゆる核の威嚇を明確に非難する」としている。
これ以上何を言えというのであろうか。核兵器国はロシアだけではないし、そもそも、「核抑止論」は米国が発祥である。ロシアを非難するだけでは不十分なのである。そして、日本政府も含めて、「核のレトリック」はますます激しくなっている。ロシアを名指ししないのは、欠陥ではなく賢慮なのである。
核抑止は機能している?!
氏は、「他国により邪魔されることなく侵略を遂行するという邪悪な目的のために核抑止が利用され、皮肉にもそれが効果を発揮しうることを示した」という。私には、この趣旨が理解できない。
ロシアのウクライナ侵略が「邪悪な目的」であることはそのとおりである。国際法を無視した蛮行であることは多言を要しない。ウクライナは核兵器国でも核同盟国でもない。ロシアはそこにつけ込んだのだ。だから「核共有」が必要だとか「非核三原則」を見直せとか拡大核抑止論者が言い立てるのは、愚かなことをとは思うけれど、理屈は判る。
けれども、氏が言う「核抑止が利用された」、「効果を発揮した」というのが理解不能なのである。例えば、NATOがウクライナとともに軍事行動に出ないのが、プーチンの核兵器使用の脅しのせいだというのであろうか。そもそも、ウクライナのために、「支援」はするであろうが、自国を危険にさらすようなことなど、どの国も考えていないであろう。プーチンが核を使用しないと言えば、NATOは軍を派遣するというのであろうか。
また、核兵器があろうがなろうが、核大国が自国の都合で他国を侵略することは、この間の歴史を見れば明らかである。核兵器の存否と侵略が開始されるかどうかとの間に因果関係はない。
氏は、核抑止論がどのように効果を発揮したというのであろうか。せめて私が理解できる形で提示してもらいたいと思う。
氏の危機感
氏は、現代の危機は、核拡散の危険であり、核の拡散は核使用の可能性の拡大にもつながりうるとしている。そして、TPNWを生んだ哲学が「核兵器はいかなる状況においても二度と使用されてはならない」ということであったとすれば、TPNWの締約国会議ではこの問題についてもっと突っ込んだ議論がなされてしかるべきであったが、そうはならなかった。その理由は、西側とロシアの対立に巻き込まれたくない、ロシアとの二国間関係を複雑化させたくないという思いがそこにあったのであろう、としている。
そもそも、TPNWは核不拡散ではなく、核兵器を禁止し、その廃絶を求める条約である。そのことは、氏のこの論考の中でも指摘されているとおりである。その会議で、核拡散が主要なテーマとならないことなどむしろ当然であろう。会議では、核兵器国がTPNWに加盟する際の核兵器廃棄の期間まで議論されているのである。氏の危機感を「周回遅れ」のように思うのは私だけであろうか。
また、核兵器廃絶をある国を名指ししないで進めることは「賢慮」だということは既に述べたとおりである。ロシアのウクライナ侵略を強く非難すれば、核軍縮が少しでも進むというのであろうか。私にはそうは思えない。
氏の結論
氏は、来るべきNPT運用検討会議では、西側諸国を中心にこの問題が大きく取り上げられるであろう。核の不使用と核の不拡散を焦眉の急、緊急の課題として多くの国が団結することが重要である、と結論している。そこに「核兵器廃絶」という提案はない。
核の不使用や不拡散は、NPTができた時からの課題である。NPTの前文冒頭は、核戦争は全人類に惨禍をもたらすので、このような戦争の危機を避けなければならないとしている。6条は全面的軍縮を規定している。それが遅々として進まなかったから「NPTプロセスに対する失望感」が生じてTPNWが成立したことは氏の指摘するとおりである。その自身の指摘を忘れたかのように、会議を半世紀前に戻そうというのであろうか。
今回の再検討会議で議論されるべきことは、2010年の再検討会議の到達点を踏まえて、核兵器のいかなる使用も「壊滅的な人道上の結末」をもたらすことを想起し、保有核兵器の完全廃棄を達成するという「明確な約束」を履行するための具体的なスケジュールの策定である。
「核の不使用」や「核の不拡散」についての議論が不必要だとは言わないけれど、既に、「最も危険な集団的誤謬」(1980年国連事務総長報告)とされている「核抑止論」にしがみついて、「核兵器のない世界」の達成と維持を無限の彼方に追いやることだけは避けてほしいと思う。