1.原爆投下を裁く国際民衆法廷・広島の概要
2006年7月15日・16日広島市内で「原爆投下を裁く国際民衆法廷・広島」の公判と判決宣告(口頭)が行われた。1年後の2007年7月16日広島市内で判決書の公表と被爆者への交付、記念シンポが開かれた。裁判官はカルロス・ガルバス教授(コスタリカ)、レノックス・ハインズ教授(米国)、家 正治教授(日本)、検事団は日本の弁護士4名と韓国弁護士1名である。判決書はカルロス・バルガス教授が起草した。私は検事団の一員として関わり、記念シンポでガルバス教授などと共にパネラーとして発言する機会を与えられた。
広島の弁護士として、立派な判決書を作成したカルロス・バルガス教授をはじめとする判事団に感謝する。
本日会場に原爆投下を裁く国際民衆法廷・広島の資料集がありますので是非読んでください。
「原爆投下を裁く国際民衆法廷・広島」は、広島・長崎への原爆投下が戦争犯罪であること、これに関わった当時の米国大統領以下の政府高官、軍人、科学者を戦争犯罪人として告発し、当時の国際法に厳格に適用して戦争犯罪責任を明確にすることを意図した。判決は以下の被告人全員を有罪とした。フランクリン・D・ローズヴェルト大統領、ハリー・S・トルーマン大統領、ジェームズ・F・バーンズ国務長官、ヘンリー・L・スティムソン陸軍長官、ジョージ・C・マーシャル陸軍参謀総長、トーマス・T・ハンディ陸軍参謀総長代行、ヘンリー・H・アーノルド陸軍航空隊総司令官、カール・A・スパーツ陸軍戦略航空隊総指揮官、カーティス・E・ルメイ第20航空軍司令官、ポール・W・ティベッツ中佐(エノラゲイ機長)、ウィリアム・S・パーソンズ大佐(エノラゲイ爆撃指揮官)、チャールズ・W・スウィーニー大尉(ボックスカー機長)、フレデリック・L・アシュワーズ中佐(ボックスカー爆撃指揮官)、レスリー・R・グローヴズ少将(マンハッタン計画・総司令官)、ジュリアス・R・オッペンハイマー(ロスアラモス科学研究所所長)。適用した国際法は以下のものである。
・戦争犠牲者を保護する国際的慣行の原則を確立したマルテンス条項
・1907年ハーグ第4条約付属陸戦の法規慣例に関する規則第22条
・「窒息性ガス、毒素ガス又はこれに類するガス及び細菌学的手段」の戦争における使用を禁じた1925年ジュネーブ議定書
・戦争犯罪の構成要件を定めるガイドラインを確立するためのニュルンベルグ原則
上記の被告人は、それぞれの立場に応じて通例の戦争犯罪、人道に対する罪、これらの共同謀議に該当するとして有罪と宣告された。
検事団は起訴状と共に被告人らの戦争犯罪を立証するため、原爆の開発から目標選定、投下に至る全ての過程に関する公表された米国の公文書(原爆投下命令書を含む)64点のコピーを提出し、被爆者3名(内1名は韓国人被爆者)、放射線医学専門家証人、歴史学者、国際法学者などの証人から証言を求めた。
なお、この法廷では弁護人は選任されていないが、それに変わるものとして、アミカス・キュリエが原爆投下正当化論を展開した。
2.なぜ今原爆投下を戦争犯罪として裁くのか
広島・長崎への原爆投下が当時の国際法に照らして戦争犯罪であることは、核兵器問題に関わる法律家にとってあまりにも明白で単純なことである。しかし、明白で単純な事実ほど人々の目から隠されている。原爆投下に関わった者達が、これまで一度も戦争犯罪としての責任を追及されたことはない。政治家は真実を人々の目から隠すため、物事を複雑に見せかけたり神話を作る。原爆投下正当化論や核抑止論がまさにそれである。
少し想像力を働かせれば理解できることだが、62年前広島・長崎への核攻撃が戦争犯罪として裁かれていれば、その後の核兵器の開発、保有、配備と核兵器を安全保障政策の中心的手段とする核抑止政策はなかったであろう。米国は現在でも戦争手段の中心に核兵器を置き、通常兵器との敷居を低くし、より使いやすい核兵器開発を意図し、東西冷戦時代以上に核兵器が使用される危険性が高まっている。
ブッシュ政権は、2002年1月新たな核戦略である「核態勢見直し(NPR)」秘密レポートをまとめた。ごく最近この内容を具体化した機密資料の一部が全米科学者連盟(FAS)から公表された。これは、冷戦時代の大規模核戦争を想定した米国の核戦争計画であるSIOP(単一統合作戦計画)に代わり、テロリストやならず者国家を標的にする核戦争計画OPLAN8044の2003年改訂版を策定するために、米戦略軍が2002年に作成した資料である(必要な方にはこの機密文書をデーターとして渡すことができます)。これによると、イラク・イラン・シリア・北朝鮮・リビアが核攻撃対象として加わったことがわかる。2002年9月「合衆国国家安全保障戦略」で、非国家的主体や大量破壊兵器を拡散する「ならず者国家」への先制攻撃戦略を採用したが、米国はこれらの国に対して先制核攻撃の選択肢を保有しているのである。
11月1日、エノラ・ゲイの機長として62年前広島へ原爆を投下したポール・ティベッツが92歳で死亡した。米国は彼を終生英雄としてあつかった。ヒロシマ判決は彼を、通例の戦争犯罪を犯したとして有罪を宣告している。米国は彼を英雄としなければ、核戦争計画を遂行できないのである。
核兵器を廃絶するためには国際条約の締結が必要である。化学兵器禁止条約がその適切な先例となる。すでに国際反核法律家協会が作ったモデル核兵器条約案が存在し、国連文書となっている。
条約化には何が必要であろうか。核兵器が国際法違反であること、その使用が戦争犯罪であることへの法的確信である。
法的確信に基づく世界市民の連帯した運動は国際法を作るという経験が、対人地雷禁止条約(オタワプロセス)と、現在進められているクラスター爆弾禁止条約を求める国際会議(オスロプロセス)である。
すでに、核兵器の使用・威嚇が国際法に違反するとの権威ある国際司法裁判所の勧告的意見が存在する。勧告的意見は、核兵器の使用・威嚇が一般的に国際法に違反するというものである。しかし、勧告的意見は核兵器そのものが違法である、核抑止政策が違法であるとは言及しなかった。その理由は、現代国際社会で、核兵器保有国が国連安保理常任理事国となり、核抑止政策を公然と国家安全保障政策として採用しているからである。また日本など一部の非核兵器国は、自らの安全を核兵器国の抑止力へ依存する「核の傘」依存政策を採用しているからである。その結果、核兵器の使用が戦争犯罪であるという法的確信は未だ確立してはいない。
戦争犯罪を裁くための常設の国際刑事裁判所を設置するローマ条約(98年採択)でも、化学兵器の使用は通常の戦争犯罪として規定されているが、核兵器については規定されていないこともこのことを示していると思われる。
日本においても、2006年10月北朝鮮による核爆発実験の際、政府高官が日本も核兵器を保有すべきであると発言したが、その際にも、日本の国策の不動の原則である非核三原則(核兵器を作らず、持たず、持ち込ませずの三原則)に反するという視点からの批判はあっても、彼が戦争犯罪をそそのかしているのだという批判はされなかった。もし彼が化学兵器を保有すべきだと発言したら、あまりの非常識さに、彼は気でも狂ったのではないかと見られたであろう。
ヒロシマ判決は、原爆投下に関わった者達が戦争犯罪を犯し、有罪であると断罪した。その内容は、国際法の専門家が、証拠に基づいて広島・長崎への原爆投下に至る過程を認定し、認定した事実を第二次世界大戦当時の国際法を厳格に適用した結果であり、論旨は極めて明快である。ヒロシマ判決は、核兵器の使用が戦争犯罪であるという法的確信を諸国市民が共有するに至る基礎となるであろう。
3.ヒロシマ判決は、過去の原爆投下行為を裁いただけではない。未来につながる重要な勧告を行っている。
この勧告は、核兵器が国際法に違反し、原爆投下が戦争犯罪であるとの判決を踏まえて、米国に対して核兵器廃絶と被爆者への謝罪と補償、核兵器が国際法違反であることを国内外に宣言し、モニュメントに残し、教育により語り伝えるという趣旨である。
この判決には強い道義的正当性はあるが、法的拘束力はない。現在被爆者団体と日本反核法律家協会とが、原爆投下による被爆者の受けた損害の賠償と謝罪を合衆国政府に求める法的手続きを検討しているが、これとても極めて困難な途である。反核法律家の国際的支援が不可欠である。
核兵器を廃絶するには、各国政府の強い政治的意思決定が必要である。それを形成するものは、核兵器使用がいかに残虐な戦争犯罪であるかという認識の共有である。そのためにヒロシマ判決を各国の反核運動で活用することを訴えます。