はじめに
中曽根外務大臣は2009年4月27日の政策演説において「ゼロへの条件―世界的核軍縮のための『11の指標』」を提案した(注1)。これは4月5日のバラク・オバマ米大統領がプラハで行った核兵器廃絶を宣言した演説を受けてのもので、中曽根外相はこの演説を高く評価し、わが国も世界で唯一の被爆国として世界的な核軍縮を先導していきたい意思を表明するものであった。本稿ではこの中曽根外務大臣の演説から見られる日本政府の核政策の問題点を指摘する。
中曽根外相演説の評価
中曽根外務大臣は上記の演説の中で核兵器廃絶への支持を表明し、具体的な行動計画を提案する一方で、「日米安全保障体制の下における核抑止力を含む拡大抑止が重要であることは言うまでもありません」と述べている。この発言から、日本政府がいまだに「核の傘」に依存していることは明らかである。このように自らが核兵器に依存し、それを克服する方策に言及しないまま、核軍縮に向けた国際的な措置を提案したところで果たして説得力を持つのだろうか。
もちろん核兵器国による核兵器の削減をはじめ、核実験の禁止や透明性の確保など提案された内容は核軍縮を進める上で重要であることは言うまでもない。しかし、核兵器のない世界に向けてまずしなければいけないことは安全保障における核兵器の役割を縮小すること、つまりは核抑止論から決別することである。核兵器が必要と考えられている限りは、それを保持しようとする勢力が廃絶しようとする勢力を上回ってしまうからだ。核兵器廃絶を主張するのであれば、核兵器を必要とする理論的根拠、つまり核抑止論を克服しなければならない。
核抑止論の有効性
そもそも核兵器の数が地球を何度破壊しても余りあるほどに増大したのは、冷戦時代に米ソを中心として世界が核抑止論にとらわれていたことにある。日本も日米同盟を軸に国土が攻撃された際には米国の核兵器によって報復をするという拡大抑止つまり「核の傘」に依存していた。冷戦中核抑止論が核戦争やその他の通常兵器による紛争の防止に機能していたかどうかは別として、今後の核政策について論じるにあたり、核抑止論が有効であるかどうか現在の国際情勢に照らし合わせて吟味しなければならない。
冷戦後、米国の脅威の対象は非国家主体のテロリストであり、通常の国家とは性格が異なる。新たに現れた敵テロリストに核抑止は通用しない。なぜなら、核による報復を恐れて相手の先制攻撃を思いとどまらせることに核抑止の意味があるのに対し、テロリストは自らの命を犠牲にしてまで自爆攻撃を挑み、核による報復など恐れないからである。このことは、米国が何千発もの核弾頭を持ちながらも2001年9月11日の同時多発テロを抑止できなかったことで証明されている。また、テロリストは自らの所在地を明らかにしないため、核兵器による報復も現実的ではない。実際に米国はアフガニスタンに空爆をしながらも核兵器までは使用していない。こうした背景から国際社会では核抑止論の有効性が疑われ始めている。キッシンジャーやシュルツなど米国の元政府高官4人をはじめ核抑止論の見直しを迫る意見が表明されている。
核廃絶を妨害する日本政府
ところが日本の場合、冷戦時代の核抑止論に頼り続ける態度に変化が見られない。米国大統領が「核兵器のない世界」というビジョンを示し、それを受けて世界中で核廃絶に向けた機運が高まる中、日本は「核の傘」の確認に動いた。オバマ大統領のプラハ演説の翌4月6日からワシントンで開かれたカーネギー国際平和財団主催の国際会議では、会場が核軍縮歓迎のムードに包まれる中、佐藤行雄元国連大使は「国民と領土を核の脅威から守ってくれる限り、米国の核抑止に頼り続ける」(注2)と発言し、国際社会での孤立感を漂わせた。一方、同じく米国の「核の傘」で守られる同盟国ドイツの代表は会議で「アフガンや対テロの現場で『同盟国が核で守ってくれるから安心』と感じることはない。我々が直面している戦場で今や核は役に立たない」と、「核の傘」を見直す考えを打ち出している。米国政府も核抑止論からの脱却はできていないものの、その対象を核兵器による攻撃のみに限定することを検討している。それに最も抵抗しているのが被爆国の日本政府であり、皮肉にも核兵器の被害を最も理解し、核廃絶を切望する被爆者を抱える日本の政府が世界での核軍縮の足かせとなっているのである。
「北の脅威」から守るために核兵器は必要か?
では、日本政府が米国の核抑止縮小に反対する根拠としている周辺の安全保障環境に関して、日本の安全保障に「核の傘」が必要かどうか分析する。中曽根外相は「核軍縮・不拡散を進めていく際には、現実の安全保障環境を踏まえる必要があります」とした上で、上述のように「東アジアの状況にかんがみれば、我が国にとっては日米安全保障体制の下における核抑止力を含む拡大抑止が重要である」との発言をしているが、この見解が本当に「現実の安全保障環境を踏まえている」とは考えられない。
日本にとって一般に「北朝鮮は脅威である」と考えられているため、今日の安全保障は北朝鮮問題に重点が置かれ、北朝鮮の脅威に対処するためにも日米同盟の重要性などが強調されている。したがって、「現実の安全保障を踏まえる」には北朝鮮の脅威に対して「核の傘」が有効であるかを吟味する必要がある。確かに、北朝鮮はミサイルの発射や核実験を強行するなど、その行動は予測できない。朝鮮半島の非核化は近隣諸国である日本の安全保障にとって重要であることは言うまでもない。その上で日本が米国の提供する「核の傘」に依存することの意味を検討しなければならない。
北朝鮮を取り巻く環境を地政学的に分析すると、北は中国・ロシアと核兵器国に囲まれ、南の韓国や日本は米国と同盟関係を結び、国内に多くの米軍基地を有している。このように周囲を核大国で包囲され、米国から最近まで「テロ支援国家」として敵視されてきた北朝鮮が自らの安全保障のために核武装を望むのは理解できる動機付けである。したがって、北朝鮮の非核化を進めるためには、北朝鮮が感じている脅威と核兵器を保持する動機を取り除かなければならない。でなければ北朝鮮は部分的な核軍縮に応じたとしても完全な核廃絶には応じないだろう。北朝鮮の非核化を本当に望むのであれば、対等平等の関係で「行動対行動」のルールに従い、核兵器国も北朝鮮に対する核兵器の先制不使用を約束し、自らの核兵器の数を削減することによって、北朝鮮と周辺諸国及び米国との間の緊張を緩和させる必要がある。
そう考えると北朝鮮から目と鼻の先にある日本が「核の傘」に依存し続けている状況は北朝鮮にとっての脅威となるばかりか、北朝鮮の非核化や米国の核軍縮そして「核兵器のない世界」の実現を妨げてしまうだろう。一般に「北の脅威」が米国の提供する「核の傘」への依存を正当化してきたが、日本が核抑止に依存することは北朝鮮が日本に対して抱く脅威を増幅させ、さらなる核武装の強化を誘発しかねない。そして北朝鮮の核武装強化は日本の安全保障を脅かすという悪循環に陥ってしまう。
結論
このように「核の傘」は「北の脅威」から日本を守るどころか、二国間の緊張を高め、相互の安全を脅かしている。したがって「核のない世界」を実現するために日本に求められていることは、被爆の実相を伝えるとともに、米国が提供する「核の傘」に依存しない安全保障体制を構築することである。その点で米国に頼り続けると明言する日本政府の態度は、真摯に核兵器の廃絶に向けて行動しているとは言えない。「核兵器のない世界」の実現のためにも、自らの安全保障のためにも、「核の傘」は撤去しなければならない。
(注1)外務省「中曽根外務大臣政策演説:ゼロへの条件―世界的核軍縮のための「11の指標」」(2009年5月8日閲覧)参照
(注2)毎日新聞「孤立する日本:「米国に頼り続ける」冷戦時代の抑止論」2009年5月4日