はじめに
2009年に入り、核軍縮への機運が大きく高まってきたように見える。なかでも4月5日のオバマ米大統領によるプラハ演説は、核軍縮と核不拡散に関する米国の新たな取り組みを世界に向けて発信したもので、同国の核政策に関する方針の転換を強く印象づけた。引き続いて5月に開催された2010年核不拡散条約(NPT)再検討会議に向けた第3回準備委員会においても、いち早く再検討会議での仮議題が採択され、来年に向けての準備が進められた。また、米ロ間においてもSTART1の後継条約交渉が進行中であり、米ロ間での戦略核兵器の削減が進むことが期待される。
他方で、日本周辺に目を向けると、北朝鮮がプラハ演説の直前にいわゆるミサイル実験を、5月には核実験を行い、核保有をより深化させてきた。中国も経済発展を背景に核軍備を含む軍事力を強化させており、日本政府はこれを懸念材料と見ている(「外交フォーラム」8月号中曽根外相論文)。現在、米国では「核態勢見直し」(NPR)の改訂作業が進められており、今後5年から10年間の米国の核態勢の基本方針が示されようとしている。プラハ演説の余韻から抜け出し、具体的かつ現実的に、しかし核廃絶の目的を見失うことなく歩みを進める時期に入っている。
核軍縮と国際法
核兵器をめぐるさまざまな動きが交錯する中で、国際法はどのような役割を果たせるのだろうか。国際社会は、国内社会と異なり上位の権威者が存在しないアナーキーな社会であり、法の侵犯者に対して集権的な制裁措置が必ず発動されるわけではない。しかし、このことは、国際法が無力であることを意味してはいない。例えば、国際政治学・国際関係論のジョセフ・S・ナイ・ジュニアによれば、国際法は国家の行動の仕方に影響を与えており、政治的現実の一部であるという。国家は、予測可能性と正統性という2つの理由から、国際法に利益を見出しているからだ(『国際紛争[原書第7版]』有斐閣)。核兵器を規制する国際法規はすでに存在する。国際社会の行為主体がそれぞれ、この国際法規を認識・評価し、それに基づいて主張・行動することで、核兵器を廃絶する国際法へと高め、これを政治的現実とすることが重要である。
とすれば、わたしたち一人ひとりが、いまの核をめぐる複雑な状況に対して、国際法がどのような規律を有しているかを、まずもって理解することが大切である。この作業こそ、国際社会における法の支配を確立する第1歩であると思う。
1996年の核兵器の使用・威嚇の合法性に関する勧告的意見において、国際司法裁判所(ICJ)が、核兵器の使用・威嚇は、国際法(とくに国際人道法)に一般的に違反すると判断した。しかし、国の存亡がかかる自衛の極端な状況では、違法とも合法とも結論することはできないとした。
この勧告的意見は、自衛の極端な状況では核兵器の使用・威嚇が合法かもしれないとの解釈の余地を残した点で、核廃絶を目指す立場からすれば、不十分なものであったし、勧告的意見本文で小型核兵器の問題ついても判断を回避している点で、戦術核兵器の規制に課題を残した。しかし、同意見では、この判断に引き続いて、核軍縮義務が存在することも示した。つまり、全員一致で「厳重かつ効果的な国際管理の下におけるあらゆる点での核軍縮に至る交渉を誠実に遂行し、かつ完結させる義務が存在する」と結論した。この義務は、NPT第6条に規定される核軍縮義務を踏まえているが、次の2点でこれを超えている。第1に、NPTでは明示的には「交渉する」義務への言及にとどまっているが、勧告的意見では「交渉を完結させる」(つまり、交渉妥結=核軍縮の達成に至る)ことが明示された。第2に、NPTでは、全面完全軍縮(つまり、通常兵器の軍縮)にも言及されており、核軍縮の進展には通常軍縮の進展が条件であるとの解釈が生じる余地があったが、勧告的意見では核軍縮のみについて交渉完結義務が存在することが明示された。加えて、勧告的意見は、この義務がNPT非締約国も含む一般法上の義務であることも示唆している。
このICJが示した核軍縮の誠実交渉完結義務は、ICJ判事が全員一致で支持したに止まらず、今日の国際社会では、日本を含むほとんどの国が支持するところとなっている。この勧告的意見をフォローアップする国連総会決議が1996年以降毎年採択されているが、ICJのこの核軍縮義務に関する結論に対する国連加盟国の投票状況をみると、2006年では賛成168、反対3、棄権5であり、積極的に反対するのは、米ロとイスラエルにとどまる。米ロはNPT締約国であることを考えると、核軍縮交渉を進める義務は、米ロを含めてほとんどの国が支持しているといえる。
核不拡散条約のグランド・バーゲン
だが、NPTの核軍縮義務成立の背景には、ICJ勧告的意見が明示的には言及していない、もう1つの事情がある。それが、核兵器国と非核兵器国との「グランド・バーゲン」である。この核兵器を持つ国と持たざる国との取り引き(バーゲン)の上に核軍縮義務が成立していることもまた現実である。核軍縮の機運が高まる今日、米国を含む多くの国がむしろこのことを強調している。プラハ演説でオバマ大統領は次のように述べた。
「私たちは共に、協力の基盤として、核不拡散条約を強化します。条約の基本的な内容は、理にかなったものです(The basic bargain is sound)。核保有国は軍縮へ向かって進み、核兵器を保有しない国は今後も核兵器を入手せず、すべての国々に対し原子力エネルギーの平和利用を可能にする、という内容です」(訳は在日米国大使館)。
NPTでは、5大国以外は非核兵器国として核兵器取得が禁止され、原子力の平和利用に対する権利をもつ。これに対して、核兵器国(5大国)は核軍縮を進めることを約束している(第6条)。この核兵器国の核軍縮義務は、不拡散(核兵器の不取得)のみを条約で扱うことへの非核兵器国側からの批判に応えて挿入された。また非核兵器国は条約交渉中から、核兵器のオプションを放棄することで5大国の核兵器の脅威にさらされるとの安全保障上の懸念をも主張しており、後に5大国は、NPTの非核兵器国に対して核兵器を使用しないとの消極的安全保証を宣言した。このように、核兵器国の核軍縮義務(および消極的安全保証)と非核兵器国の核不拡散義務(核兵器不取得義務)とは、取り引き関係にあると考えられている。このことは、一方の義務履行が他方の義務履行を促すと言えるが、逆に一方の不履行が他方の不履行の口実ともなる。オバマ大統領のプラハ演説は、このグランド・バーゲンを確認し、自らが核軍縮に向けて積極的措置をとると宣言することで、多くの非核兵器国に対して不拡散への協力を求めた。オバマ大統領はNPTの健全な(sound)機能の回復を求めたのであり、NPTに基づく国家行動の予測可能性を高め、NPTの正統性を再確認することで、NPT体制が政治的現実であることを確認したといえる。そして、来年のNPT再検討会議は、このNPTのグランド・バーゲンの現状を検討する場となる。
NPTのバーゲンと北東アジア
このNPTにおけるバーゲンを踏まえて、核開発問題をめぐる米朝関係を見るとどうだろうか。北朝鮮は自国の安全保障の懸念に米国が応えていないと判断し、米国は核不拡散義務を北朝鮮が履行していないと判断した。この相互不信が相互の義務や約束の不履行を助長し、悪循環に陥った結果、北朝鮮によるNPT脱退宣言に至ったと見ることができる。北朝鮮によるNPT脱退が法的に確定したかについてはなお議論があるが、いずれにしても安保理による対北朝鮮制裁諸決議(決議1695、1718および1874)では北朝鮮に対してNPTへの復帰が求められており、このことからすれば、安保理に代表される国際社会は、北朝鮮と核兵器国(とくに米国)との間でのNPTのバーゲンの回復を求めているといえる。また、米国も日本も安保理国であり、北朝鮮に対してNPTへの復帰を求める以上、北朝鮮の核実験・ミサイル活動に対する制裁を課すとしても、NPTのバーゲンに基づき北朝鮮の安全保障の懸念に応えることは前提としなければならないだろう。
ここで、NPTのバーゲンは、核兵器国と、非同盟諸国など核兵器国の核の傘の下にない非核兵器国との間で成り立つもので、日本など核の傘の下にある非核兵器国にとって、このバーゲンは安全保障上のジレンマをもたらすことに注目したい。つまり、核兵器国による核軍縮の進展は、自国に差しかけられた核の傘が縮小することを意味し、このことが自国の安全保障にとり新たな懸念を生み出すことになる。逆に、核の傘の縮小に反対し核兵器国の核軍縮の進展を妨げることは、核の傘の下にない周辺の非核兵器国の抱く安全保障上の懸念を深刻化させることになり、その国を核兵器開発へと追いやる危険性をはらんでいる。
NPTのバーゲンの健全化とその先へ
このようにNPTのグランド・バーゲンは、もとから健全なものであるのではなく、NPT締約国が健全な行動をとるからこそ、健全なものとなると言える。そして、核兵器国と非核兵器国がそれぞれ、核軍縮と核不拡散に向けて措置を強化していくなら、核兵器の削減が進むという意味で、核兵器のない世界に近づくことが可能である。また、NPT第6条の核軍縮を誠実に交渉する義務は、条文上は核兵器国のみならず非核兵器国も含めたすべての締約国を対象としており、非核兵器国が核兵器国の核軍縮措置に反対することは、第6条の「誠実に交渉する」義務に反する行動をとることになる。核兵器国の核軍縮措置は、NPTのバーゲンを健全化する上でも、NPTの法的義務を履行する上でも、必要である。核の傘の被提供国たる非核兵器国(例えば日本)の安全保障上の懸念が、核の傘の提供国(例えば米国)たる核兵器国の核軍縮を妨げない工夫を追求することが求められる。
まず、核の傘を提供する国の核軍縮の進展(核の傘の縮小)が、被提供国の周辺に存在している核兵器国の核軍縮措置を導き、また、周辺非核兵器国の核開発活動を断念させることにつなげる努力を追求することが必要である。
また、そもそも核による抑止が他の大量破壊兵器・通常兵器の使用とどのような関係に立つのか。本当に、抑止効果を持ちえるのか、また通常兵器による抑止の代替可能性はないのかについても、真剣に検討することも必要である。
しかし、NPTのバーゲンを健全化させるだけで、核廃絶が実現するわけではない。NPTは5大国による核保有を認めており、その核兵器国は核兵器の使用・威嚇の合法性を前提とした国家実行(核抑止)をとっている。だが、究極的核廃絶(核兵器のない世界)は核抑止とは両立し得ない。核兵器のない世界に至るいずれかの時点で、核抑止に依存する国家実行からの決別が必要となる。ICJの勧告的意見で示されたように、核兵器の使用・威嚇には国際人道法が適用されるのであって、この法的制約の下で可能な核兵器の合法的な使用は、仮にあり得るとして、極めて限定的な場合に限られる。また、米ロなどの核兵器国の相互関係は、冷戦期からすれば格段に敵対的ではなくなっている。この国際社会の法的・政治的現実に照らしたとき、核抑止という、国家間に厳しい緊張関係の維持を要求する国家実行を続ける必要性は、どれほどあるのだろうか。
核兵器のない世界を目指すことを表明し、あるいはそれを支持する国家は、これらの課題に真摯に取り組む責任があるのではないだろうか。