1.はじめに
今年、4月5日、チェコのプラハで、オバマ米大統領は、核兵器のない世界を目指すことを明確に宣言した。この演説に、これまで「現実主義者」からは「夢物語」といわれながら、人類と核兵器は共存できないと訴え続けてきた被爆者は大きく勇気づけられている。世界的デザイナーである三宅一生が、ニューヨークタイムズ紙への投稿で自らの被爆体験を初めて公にし、広島、長崎でもオバマ大統領に被爆地への訪問を求める等の動きが出ている。ところが、そのオバマ政権による核兵器廃絶に向けた最初の基本政策の変更に最も強く抵抗しているのが被爆国である日本政府なのである。
2.オバマ演説と核兵器の役割の縮小への日本政府の抵抗
広島、長崎の被爆から64年が経過した。この間、アメリカは、被爆者に対して謝罪や補償をしなかったばかりか、原爆投下は戦争を早期に終結させ、人命を救済した正当な行為であると主張してきた。更に、巨額の軍事費が核兵器とその関連機器、施設の研究、開発、生産に投下され、核兵器の保有は、世界の力と権威の象徴と見なされてきた。
しかし、それにもかかわらず、幸いなことに、広島、長崎に続く第3の核兵器の実戦使用はなされなかった。それは、権威と力の象徴とされる核兵器の虚妄、つまり、原爆、核兵器の残虐性を自らの体験から訴え続けた被爆者の存在とこれを支える世界の市民の声があったからである。
こうした中で、今年の4月5日、アメリカのオバマ大統領は、プラハ演説において「核兵器を使用した唯一の核保有国の道義的責任」に触れながら、核兵器のない世界を目指すことを明確に宣言した。この演説は、一面で、キッシンジャーら4氏によるウォール・ストリート・ジャーナル誌投稿に代表される「現実主義者」による核抑止の効かないテロの出現や核拡散の脅威から核兵器のない世界を目指すという主張を引き継いだものともいえる。しかし、「現職」のアメリカ大統領が原爆投下の「道義的責任」に触れながら、核兵器廃絶を目指すことを明言した点で、そこには決定的な相違がある。核超大国アメリカが核兵器廃絶に向けて舵を切ることを宣言したのである。
しかし、オバマ政権が核兵器廃絶に向けて本当に舵を切ったと言えるか否は、演説の中身ではなく、国内の様々な勢力を説得しながら、これから行われる具体的な核兵器に関する基本政策の変更とその実施により評価されることになる。そして、現在、アメリカでは、基本政策である「核態勢見直し」(Nuclear Posture Review-NPR)が8年ぶりに進められている。その中で核兵器の役割の縮小が議論され、今年の秋にも意見がまとめられるといわれている。ところが、驚くべきことに、この新たなNPRにおける核兵器の役割の縮小の基本部分について最大の障害となっているのが、実は日本とされているのである。私が聞いたオバマ政権の中枢の科学者に近い学者(グレゴリー・カラキー氏)の話や、アメリカからの情報によれば、オバマ政権では、核兵器の先制不使用政策を採用することも検討しているが、これに最も強く反対しているのが、実は、日本政府というのである。
従来のNPRでは、非核兵器による攻撃の抑止のためにも機能させてきた。これに対し、今回のNPRでは、核兵器の役割を低下させ、核兵器の役割を核兵器の抑止のみに限定すること、つまり、核攻撃を受けない限り、核兵器を使用しないという核兵器の先制不使用の方針を採択することにより、核兵器数を大幅に減らそうという議論されているとされる。ところが、この政策変更に対し、日本政府が、北東アジア、とりわけ北朝鮮による生物、化学、通常兵器による日本への攻撃可能性、更に中国への不信を理由にこれに強く反対しているのである。アメリカには、日本の反対を無視した場合について、日本が核武装する可能性があるとの懸念が存在し、これに核兵器を温存しようとするアメリカの軍事産業が呼応して、従来のNPRを維持しようと言うのが、現在の核兵器をめぐる日米の構図である。最近、退職した外務官僚数名から核密約の暴露話が出ている。更に、戦術核兵器であるトマホークの退役に日本政府が反対しているとの報道が行われている。あくまで推測だが、これらもアメリカのNPR変更に対する一種の外務省、防衛省官僚の抵抗ではないかとも思われる(勿論、退職官僚にあたった記者が熱心にあたったことは否定しない)。つまり、密約話の暴露話は、核抑止の維持のためであり、戦術核退役反対は、通常兵器の反撃にも用いられる戦術核の配備を維持して、アメリカの従来の戦略を維持しようとしているのではないかと疑われるのである。
3.ICNNDにおける先制不使用提言に抵抗する日本政府
実は、核兵器の役割を核攻撃による抑止に限定して、先制不使用を核兵器国に宣言させようという動きは、NPRのみならず、オーストラリア政府と日本政府の共同提唱による有識者会議である「核不拡散・核軍縮に関する国際委員会」(ICNND)でも提言に向けて議論がされている。
このICNNDは、川口順子元外相、ギャレス・エバンス豪元外相を共同議長として、米、露、中、英、仏、印、パという核保有国をメンバーに含んでいる。このICNNDには、ウォール・ストリート・ジャーナルに投稿した4人がいずれも委員(ぺリー)ないし諮問委員(シュルツ、キッシンジャー、ナン)として入っており、これら4人の提言をオバマ政権が受けているとされていることを考えると、ICNNDの提言は、オバマ政権内部の議論と呼応していると考えられるのである。
そして、ここでも、日本政府は、先制不使用に強く反対しているのである。実は、去る5月27日、被団協、原水協、原水禁、ピースボート、ピースデポ、反核法協、国法協等の日本のNGOとエバンス・共同議長との間で、意見交換会(ラウンド・テーブル)が開催された。その席上で、エバンス議長は、「核廃絶を唱える一方で、核兵器が大好きだと言っていたのでは、世界からまともに相手にされない」と述べて、日本政府を痛烈に批判し、日本政府が、先制不使用政策採択の大きな障害となっていることを明らかにした。北朝鮮に対する不安や不信はあるにせよ、自分は核の傘の下にいて、非核兵器による攻撃をするなら核で反撃するぞと脅しながら(これが抑止の意味である)、他国に核兵器を持つなという資格があるのだろうか。核兵器国とその同盟国が、核兵器を核兵器の反撃にしか使わないとして、始めて非核兵器国に核兵器を持つ必要がないと言える筈である。
外務省のホームページには、今年2月にワシントンでICNNDの第2回会合にあたって、エバンス、川口両議長がバイデン副大統領を含むアメリカ政府に要請した内容が記載されている。そこには、エバンス議長の前述のような強い主張にもかかわらず、「核兵器の核兵器に対する抑止に限定する宣言」と「同盟国に対する安全保障の保証」が同一の項に併記されている。また、川口議長が、我々NGOとの意見交換の席で、核の先制不使用に関して「安全保障との関係もあり悩ましい」と述べる等、川口議長と日本政府との間にも意見の衝突が存在する可能性が見られている。そして、外務省の官僚は、NGOとの様々な会合で、アメリカの核兵器先制不使用政策の採択に反対している。
4.先制不使用の持つ意味とその限界
外務省は、先制不使用に表向き反対する理由として、検証不可能性を掲げている。たしかに、先制不使用は先制不使用の単独宣言にとどまる限り、相手への信頼に依存することになるという点で、検証不可能と言えないこともない。また、先制不使用は、核の抑止を認める限りにおいて、そのままでは、核兵器廃絶にはつながらない。先制不使用から更に核兵器廃絶に向けた政治的意思と構想が必要である。
しかし、先制不使用は、政治的意思を伴うとき、次の段階への大きなステップとなる。まず、核兵器は、核兵器の反撃にしか用いないという合意を核兵器国が非核兵器国との間で結べば、それは消極的安全保障(核兵器国は非核兵器国に核兵器を使用しない)の合意を意味する。つまり、先制不使用政策は、核兵器地帯の創設の重要な鍵を握っているのである。更に、核兵器先制不使用について、核保有国2国間で合意すれば、それは、お互いに核兵器を使わないという合意を意味し、更に安保理常任理事国5ヶ国で合意すれば、更に強力な国際法上の効力、例えば、安保理決議により、先制使用を犯罪として扱うことの合意が可能となるし、更に国際刑事裁判所規定(ローマ規定)に核兵器使用の犯罪規定を盛り込むことも可能になる筈である。
その意味で、先制不使用の単独宣言だけでは、数は減らせても核兵器廃絶にはつながらないが、先制不使用政策を非核兵器地帯の創設拡大、消極的安全保障、更に核兵器使用禁止の前提をなすという点で非常に重大な政策変更の可能性を含んでいるのである。
また、核兵器の使用禁止だけでは核兵器廃絶はできない。核物質、とりわけ、核兵器用の核分裂性物質(高濃縮ウランとプルトニウム)の生産禁止、廃棄、核兵器の研究(とりわけ、核実験)の禁止、更には、原子力の民生利用からの核兵器用核分裂性物質への転用禁止(核拡散態勢の防止)が絶えず必要である。その意味では、核エネルギーを知識として手に入れた人類は、今後絶えず、危機の上を歩き続けなければならないともいえる。
5.原爆被害の実態を世界へ
ウォール・ストリート・ジャーナル紙投稿4人組の一人であるジョージ・シュルツは、共同通信の記者に、核兵器は、被害があまりに甚大で文明国としては、実際には使えない兵器だと述べたと言われる。しかし、前米大統領ブッシュのように核兵器の予防的使用さえ、具体的に考えた指導者さえ存在している。その意味で、人類は、今後、絶えず、核兵器が使われたときにどのような事態がもたらされるかを確認する作業を続けなければならない。
最後に原爆症認定集団訴訟の訴状の一部を引いて、本稿を閉じることとしたい。
この訴訟で原告となった被爆者達は、自らが原爆症認定されることにより家族が差別されるかも知れないにもかかわらず自らの身体をもって、さらには被爆体験を語ること自体が多大な苦痛を伴うにもかかわらず、自らの体験を語ることによって、原爆が如何に残酷なものかを明らかにしようとしている。
そして、わが国が戦争による原爆被害を受けた唯一の国であることや原爆被害の実状が忘れ去られようとしている今日において、自分の苦しみを国に認めさせることにより、日本政府の被爆者政策、そして更には日本政府の核兵器についての政策を転換させ、世界の核兵器の廃絶につなげたいという思いが、原告ら被爆者のこの原爆症認定訴訟に立ち上がらせた理由なのである。
このことは、原爆の際、自分達の代わりになったかもしれないで死んでいった人々に報いることであり、戦後の自ら受けた苦しみを国に認めさせることにより、自分たちと同じ苦しみを世界中の誰にも再び味あわせることのないように願って、核兵器のない世界をつくる礎となろうとする強い意志に基づくものなのである。