はじめに
7月1日、外務省で、NGOと外務省担当者との「核軍縮・不拡散政策に関する意見交換会」が開催された。外務省からは政務官と担当課長などが参加した。私は、日本反核法律家協会の一員としてその会合に出席した。
この意見交換会は、核兵器廃絶日本NGO・市民連絡会(注1)が外務省に提起して行われるもので、不定期ではあるけれど、政府と市民社会の貴重な意見交換の機会となっている。
今回の会合でも、政務官は、「意見交換の機会を作れてうれしく思う。軍縮・不拡散は外交政策の柱。その取組みに当たっては市民の協力も大切。有意義な会にしたい。」と挨拶している。
核兵器の非人道性に対する日本政府の態度 その1
今回のテーマのひとつは、なぜ、日本政府は「核兵器の非人道性」を強調する共同声明に賛同しないのか、ということであった。この間、国際社会において、核兵器の使用は非人道的な結末をもたらすことを強調して、それを核兵器廃絶に向けたエネルギーにしようという潮流が表われているが、日本政府はその動きに同調していない。これでは「唯一の被爆国」の政府の態度とおかしいではないかという問題意識である。
例えば、今年4月24日、NPT再検討会議第2回準備会で、「核兵器が二度と再び、いかなる状況下においても、使用されないことに人類の生存がかかっています。…核兵器が二度とふたたび使用されないことを保証する唯一の方法は、それを全面的に廃棄することしかあり得ないのです。」との共同声明が提案されたが、日本政府は、「いかなる状況下においても」という文言が入っているので賛同できない、という態度をとったのである。これは、「場合によっては、核兵器使用はありうる」という選択を意味している。
核兵器の非人道性に対する日本政府の態度 その2
私は、日本政府のこのような政策選択を知ってはいたけれど、せっかくの機会なので、担当課長に率直に確認してみた。以下、その要旨を再現する。
大久保 日本は核兵器使用を想定しているんでしょ。
課長 抑止力とは、核兵器を使用すれば自分にも及ぶかもしれないと思わせることによって、核使用を抑止するという考えである。
大久保 その抑止が壊れたら核兵器を使うということだね。
課長 それを排除しないということ。
大久保 安全保障のためとはいえ、国際人道法上の制約がある。1963年の「下田事件」判決もある。核兵器使用は国際人道法に反するという考え方をとらないのはなぜなのか。
課長 そもそも日本に対して核兵器を使うことは、国際人道法に違反している。それを思い止まらせる担保は何ですか。
大久保 相手が非人道的手段をとるならこちらもとるぞ、ということか。抑止という発想は、場合によっては使うということ。相互確証破壊(MAD)という発想のようだね。この発想は条件が変われば変わるのだろうか。
課長 米国の核抑止を含む拡大抑止は防衛大綱で決まっている。民主的に選ばれた政府が決定したこと。有識者懇談会の中でも核抑止を見直すべきだとの意見は出ていない。民主的正当性はある。
大久保 政策決定の正当性について議論するつもりはない。ただ、被爆者が何を求めているのか、核兵器が人類に何をもたらすのか、そのことに耳を傾けていただきたい。そのための意見交換会でしょう。
日本政府の態度
結局、日本政府は核兵器による安全保障政策をとっている。核兵兵器使用を排除していないのである。その正当性は、民主的に選出された政府の方針だということにある。他方では、核兵器使用がもたらす非人道性は劣後されているのである。
ところで、この発想は、決して日本政府だけのものではない。核兵器保有国に共通する発想であるし、国際司法裁判所も、核兵器の使用や使用の威嚇を一般的に違法としつつも、国家存亡の危機においては、違法であるとは断言していないのである。
けれども、「唯一の被爆国の政府」の姿勢として、これでいいのだろうか。日本政府は、核兵器に依存しているがゆえに、核兵器廃絶の先頭に立つ気概はないことを確認しておきたい。
忘れてはならないこと
外務省の担当課長は、核抑止論は民主的手続きで決定されたものだと主張している。民主的手続きで決められたかどうかということと、非人道的であるかどうか、国際法違反であるかどうかは、全く次元が異なる問題である。
民主的に選出された米国大統領トルーマンは、広島・長崎に原爆を投下した。その原爆使用は、非人道的でないのか、国際人道法に違反しないのか、担当課長に聞いてみたいところである。
多数決原理は、非人道性や違法性の問題を解消するわけではないのである。この違いが分からない人が、核軍縮の第一線で指揮をとっていることを忘れないでおきたいと思う。
そして、もう一つ忘れてはならないことは、日本には核兵器がないので、わが国の存亡の危機に際しては、米国に核兵器を使用させようとしているということである。米国に非人道的兵器を使用させようという魂胆である。
このことは、わが国の究極の安全保障を米国に委ねるということであるから、米国の意向を最優先するということになる。対米従属と非難される由縁である。
他方では、米国が使用しないことを想定すれば、独自の核武装を検討しなければならないこととなる。プルトニウムの備蓄はその準備である。
小括
結局、核兵器に依存する安全保障政策をとれば、米国の都合の範囲内で国策を決定するか(対米従属)、核兵器の独自開発に手を染めなければならないのである。そのいずれをも拒否するためには、核兵器に依存する安全保障政策からの脱却を図らなければならない。
そのために有効なアプローチが、核兵器使用の非人道性の強調である。この非人道性の強調について、米国は実際の核軍縮・不拡散を妨害するものだなどと言い、日本の担当課長は非核兵器国に分断をもたらすものだなどと言っている。いずれも苦し紛れの主張である。核兵器依存国がその様な対応をしていること自体が人道的アプローチの有効性を物語っているといえよう。
核政策委員会の・ジョン・バローズ博士は、「核爆発の非人道的帰結の強調は、核兵器を管理・廃絶するための部分的アプローチと包括的アプローチの両者を補完するものである。」と言っている。私は強く共感する。
(注1) 川崎哲(ピースボート)・田中熙巳(日本被団協)・朝長万左夫(核兵器廃絶地球市民長崎実行委員会)・内藤雅義(日本反核法律家協会)・森瀧春子(核兵器廃絶をめざすヒロシマの会)を代表世話人とする核兵器廃絶を目指す団体の連絡会組織。原水協、原水禁、ピースデポ、YWCAなども構成団体。