5月27日、オバマ米国大統領が広島を訪問した。彼は、原爆資料館を訪問し、被爆者と会い、原爆慰霊碑に献花し、核兵器に関するスピーチをした。この広島訪問についての感想を記してみたい。
オバマ大統領への要望
日本反核法律家協会は、オバマ大統領に4項目の要望をしていた。①原爆資料館の訪問。②被爆者との面会。③「核兵器のない世界」実現の再度の誓約。④「核兵器のない世界」の実現と維持のための法的枠組作りの開始の4項目である。要望書を提出した理由は、「核兵器のない世界」の実現のための米国の道義的責任を述べたことがある現職大統領の広島訪問を少しでも意義のあるものにして欲しかったからである。
この要望書を提出した5月23日ころ、オバマ大統領が資料館を訪問することや被爆者と会うことなどは流動的であった。米国内にある「原爆投下正当化論」との調整が未解決だったからである。けれども、最終的には、短時間ではあるけれど原爆資料館の訪問は実現したし、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)の坪井直・岩佐幹三両共同代表、田中煕巳事務局長たちとの面会も実現した。また、「71年前、空から死が降ってきて、世界が変わりました。」で始まり、「広島と長崎は、核戦争の夜明けではなく、私たちの道義的な目覚めの始まりです。」で終わるスピーチも行われた。このスピーチに「核兵器のない世界」に向けた彼の意思を読み取ることは可能である。
私たちの要望のうち3項目については実現したことになる。もともと、核超大国米国の
大統領が、「核兵器のない世界」に向けての法的枠組みの制定の先頭に立つなどと言わないことは織り込み済みであるから、私たちの要望はそれなりに受け入れられたことになる。その限りにおいて、私はオバマ訪問をプラスとして評価したい。彼が、広島を無視して何もしなかったことを想定すれば、「謝罪の言葉がない」、「時間が短い」などの非難はあるとしても、このような形での訪問は、一筋の光明と思うからである。
オバマ大統領の行動
オバマ大統領は、原爆資料館に手作りの折り鶴をもって来ていたという。それは美しいエピソードとして語られている。けれども、彼と一緒だったのは折り鶴だけではなかった。核兵器発射ボタンが入ったカバンも同行していたのである。平和への願いである折り鶴と核の発射ボタンを同時に持ち歩くのは、オバマだけかもしれない。きっと、プーチンや習近平は折り鶴を持たないだろう。それはともかくとして、彼はこの地球を「猿の惑星」に変えるかもしれない凶器を持ち歩いているのである。そこに、「核兵器のない世界」への使徒の姿を見出すことはできない。邪悪な死神の姿を見て取らなくてはならないであろう。
また、彼は、2009年4月のプラハ演説以降現在まで、核兵器の削減に取り組んで来ている。その退役させた核兵器の数は702発だという。ブッシュ・ジュニア前政権は約5000発削減したそうだから見劣りする数字ではある。そして、解体した退役済みの核兵器の数は109発だとされている。1年間の解体数としては、1970以降最低水準とみられている。これが彼の「核兵器のない世界」に向けての実績である。
他方、彼は、保有核兵器の維持と近代化のために、2050年代まで核兵器を保有し続けることを前提に、30年間で1兆ドル(約108兆円)を支出しようとしている。
ところで、近時、国際社会では、核兵器使用の人道的影響に着目して、核兵器廃絶に向けての動きが活発になっている。国連総会では「核兵器の禁止と廃絶のための人道的誓約」決議が採択されているだけではなく、核兵器廃絶のための法的措置を検討する「作業部会」が設置されている。けれども、米国は頑なにこれをボイコットしている。
米国は「核兵器が存在し続ける限り、米国の核兵器の根本的役割は、米国や同盟国に対する核攻撃を抑止することにある」という核抑止政策をとり続けているのである。
私たちは、オバマ大統領のスピーチで語られることと、その実際の行動との乖離をしっかりと認識しなければならない。バラク・オバマのスピーチが美しければ美しいほど、米国大統領としての彼の行動の醜悪さが際立つのである。
核兵器廃絶をオバマ大統領だけに任せるな
私は、オバマ大統領のプラハ演説も広島スピーチも好感を持って受け止めている。そこには、単なる美辞麗句ではない、彼の知性と理想を見て取ることができるからである。何よりも「核兵器のない世界」を実現しようという呼びかけに共感するからである。
そして、その彼の呼びかけを実現するためには、彼の足りなさを言い立てるだけでは足りないと思うのである。「核兵器のない世界」を実現するには、彼だけの力では足りないことは明らかだからである。彼は、その実現は自分の生きている間は無理かもしれないという。それを無責任だと責めるよりも、どうすれば速やかに実現できるかを一緒に考えたいと思う。
核兵器は人間が作ったものであり、人間が使うものである。であるがゆえに、その使用の禁止も廃絶も可能である。政治的意思を形成し、必要な技術的対応をすればいいだけの話である。しかしながらも、それは一人の力では無理である。
私たちは、核兵器が人々に何をもたらしたのかを知っている。また、その使用が何をもたらすのかを予見することもできる。使用の結果を知ったうえで使用を容認する人はいないであろう。
核兵器の使用の禁止も廃絶も決して不可能ではない。任期満了を迎えるオバマさんも含めて、一日も早く「核兵器のない世界」の実現に向けての努力をしていきたいと思う。