• HOME
  • JALANAとは
  • 声明・決議
  • 情報・資料・意見
  • スケジュール・イベント
  • 機関誌出版物
  • リンク集
  • サイトマップ
  • お問い合わせ
  • English
日本反核法律家協会
  • JALANAとは
    • ご挨拶
    • 協会の概要
    • 協会の会則
    • 役員名簿
    • 入会申込
  • 声明・決議
    • JALANAに関する文書
    • IALANAに関する文書
  • 情報・資料・意見
    • 核兵器禁止条約
    • モデル核兵器条約(MNWC)、これまでの核兵器条約案
    • マーシャル諸島共和国の核兵器国に対する提訴
    • 原爆裁判・下田事件判決
    • 新原爆訴訟の提案
    • 原爆症認定訴訟
    • その他
  • スケジュール・イベント
    • 日本反核法律家協会主催のイベント
    • その他関連団体主催のイベント
  • 機関誌・出版物
    • 『反核法律家』バックナンバー
    • バックナンバー申込フォーム
    • その他出版物の紹介
HOME > 情報・資料・意見
情報・資料・意見
核のホロコーストと憲法9条
大久保賢一

 ホロコーストという言葉は、大惨事という意味だけれど、ナチスによるユダヤ人迫害のイメージで受け止められている。ユダヤ教では丸焼きの供物を意味するという(広辞苑)。ユダヤ人を丸焼きにしたからホロコーストというのだろうか、なんかすごい言葉のようである。
 このホロコーストという言葉を次のように使用している人がいる。「ヒロシマっていうのは、まさにホロコーストの場になってしまったわけですが、ホロコーストの犠牲を負ってしまったことの意味を紡いでいかなきゃいけない。犠牲になってしまったけれども、9条ができたというのは非常に大きな物語になっているわけで、このことを抜きにして憲法を作ることはできなかった。」というようにである。この発言を要約すれば、「ヒロシマというホロコーストの上に、憲法9条がある」ということになるであろう。これは、昨年7月22日、広島弁護士会の「憲法施行70周年、今、ヒロシマができること」―なぜ、今の憲法を守る必要があるのか―と題する集会での石川健治先生(東京大学・憲法)の講演の一節である。先生は、9条についてこんな問題意識も披歴している。「なぜここに生きているのか、意味のない人生を、我々は生きることはできません。この意味を調達するためには、それぞれがそれぞれの物語を持っていて、その物語によって生きる意味を調達して生きているわけです。こういう構造の中に、実は9条もある。とりわけヒロシマの場合はあるはずだ。」というのである。
 私は、石川先生が「最終兵器としての核兵器が存在する以上、戦力は中長期的には国際紛争の解決や安全保障のための有効な手段とはならない、…といい続けてきたのが戦後憲法学の歩みであり、戦後の統治力学のもとでは、護憲派の光栄ある使命であった。」と書いている(「立憲的ダイナミズム」・岩波書店・2014年・129頁)のを読んだことがあったけれど、先生自身が、ヒロシマと9条をこのように直結させることに接するのは初めてであった。私には、正直、うれしい驚きであった。護憲派を評価するという話法ではなく、自ら護憲を主張する話法と受け止めたからである。

 私が、原爆投下と9条の関係を、ホロコーストという言葉を使用しながら連結している言説に初めて接したのは、水島朝穂先生(早稲田大学・憲法)の次のような論述であった。「日本国憲法は、9条2項において、安全保障における手段の選択に関連して、『やってはならないこと』を明確にしいる。…一切の戦争、武力行使、威嚇を否定したうえで、それを手段レベルにまで徹底して、戦力の不保持と、戦力行使を支える交戦権を否認するという選択を行ったのである。そこには、憲法9条と『ヒロシマ・ナガサキのホロコースト』との間の直接的連関を見ることができよう(前同・4ページ)というものである。

 もちろん、原爆投下と9条の誕生を関連付ける言説は、ホロコーストという言葉を使用するかどうかを別にして、多くの論者によって語られてきた。そもそも、それは日本国憲法制定議会においても議論されていたところであった。例えば、次のようにである。「破壊的武器の発明が、この勢いをもって進むならば、次回の世界戦争は一挙にして人類を木っ端みじんに粉砕するに至るであろう。…文明と戦争は結局両立しない。文明が速やかに戦争を全滅しなければ、戦争が文明を全滅することになる。」(1946年8月27日貴族院本会議 幣原喜重郎答弁・新日本法規出版「復刻版 帝国憲法改正審議録 戦争放棄編」・2017年 288頁)というようにである。幣原は、この答弁の中で、「改正案の第九条は戦争放棄を宣言し、わが国が全世界中最も徹底的な平和運動の先頭に立って指導的地位を占むることを示すものであります。」とも言っている。彼は、核兵器と人類は共存できないということを前提に、一切の戦力放棄を語っていたのである。

 この様に、日本国憲法は、その制定時から、「核のホロコースト」を踏まえたうえで、核兵器のみならず、陸・海・空その他の戦力を放棄しているのである。ここにこそ、日本国憲法の先駆性が認められるのである。国際紛争の解決を殺傷力と破壊力の優劣に依存すれば、核兵器の使用を阻止できず、それが使用されれば、人類社会の滅亡をもたらすことになる。そのような事態を避けるためには、戦力と交戦権を放棄することであるという選択をしていたのである。武力による平和の達成、武力による正義の実現は不可能になったという時代認識である。

 ところで、核兵器禁止条約は、いかなる核兵器の使用も、壊滅的人道上の結末をもたらすことになる。それを避けるためには、核兵器をなくすことである。核兵器のない世界こそが、人類社会にとって最高の公共善であるとしている。

 日本国憲法の到達点は、戦力一般の否定である。核兵器にとどまらないのである。この地平から後退しようという選択は、私にはできない。核のホロコーストの犠牲者の死を無駄にすることになるからである。核兵器の廃絶と日本国憲法9条の維持は、個々の人々が、その人生の物語を紡ぐ最低条件なのである。一人一人がそれぞれの人生を生きるうえで、核兵器による相互確証破壊や、武力の行使に伴う死傷や難民化は、避けなければならないのである。そこでは、生命と日常が奪われるからである。日本国憲法9条の地平を1ミリたりとも後退させない営みが求められでいる。

(2018年1月25日記)
核兵器禁止条約
モデル核兵器条約(MNWC)、これまでの核兵器条約案
マーシャル諸島共和国の核兵器国に対する提訴
原爆裁判・下田事件判決
新原爆訴訟の提案
原爆症認定訴訟
その他
日本反核法律家協会
〒359-0044
埼玉県所沢市松葉町11-9ピースセンター(大久保賢一法律事務所内)
Copyright(C)Japan Association of Lawyers Against Nuclear Arms.