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情報・資料・意見
「核の時代」における安倍流改憲
特に、核兵器と9条2項に関連して
日本反核法律家協会 事務局長
弁護士 大久保 賢一

◆問題の所在
 今、日本は大きな曲がり角にある。安倍首相が、米国の核兵器に依存しながら「自衛隊」を憲法に書き込もうとしているからである。ここには、三つの重大な問題がある。一つは、憲法を遵守しなければならないに政府の責任者が、改憲を声高に言い立てていることである。二つは、陸海空軍その他の戦力を保持しないという規範が根本から転換されようとしていることである。三つめは、唯一の戦争被爆国として核兵器廃絶を目指すとか、非核三原則は国是だなどといいながら、米国の核の傘に依存していることである。この安倍流改憲とどう対抗するかが問われている。ここでは、特に、第3の論点について展開しておくこととする。

◆憲法は政治権力を拘束するもの
 第1の問題は、政治権力者は、憲法の授権に基づき、憲法の範囲内で、その権限を行使しなければならないという立憲主義が無視されていることである。安倍首相は、立憲主義など絶対君主制の下での理論だと思いこみ、選挙で多数を占めれば、何でもしていいかのように振舞っている。米国の第3代大統領ジェファーソンは「自由な政府は、信頼ではなく猜疑に基づいて建設される。わが連邦憲法は、我々の信頼の限界を確定したものにすぎない。権力は、憲法の鎖によって、非行を行わないように拘束する必要がある」と言っている 。憲法の役割を端的に表現しているのである。安倍首相とトランプ大統領は、ゴルフをやる暇があるのなら、ジェファーソン起草にかかるアメリカ独立宣言の学習をする必要があるだろう。
 立憲主義の理解とその実践は、政治リーダーとしての最低限の遵守事項である。それを遵守させるのは私たちの努力と戦いである。それに失敗したとき、私たちは圧迫と隷従を強いられ、恐怖と欠乏に襲われるであろう。

◆自衛隊加憲について
 第2の問題は、非軍事平和主義を基調とする日本国憲法に軍事力を公然と書き込もうとしていることである。陸海空その他の戦力は保持しないとしている憲法9条2項の後に、「前条の規定は、わが国の平和と独立を守り、国及び国民の安全を保つために必要な自衛の措置をとることを妨げず、そのための実力組織として、法律の定めるところにより、内閣の首長たる内閣総理大臣を最高監督者とする自衛隊を保持する。」という条文を付加しようというのである。要するに、「自衛のための実力組織」を憲法上の存在にしようというのである。
 政府は「9条2項は陸海空その他の戦力の保持を禁止しているが、これは自衛のため必要最小限度を超える実力を保持することを禁止するものであり、自衛隊は必要最小限度の実力組織であるから同項の戦力ではない」としている 。他方、「自衛隊は戦力には当たらないと考えているが、自衛権行使の要件が満たされる場合には、武力を行使する組織であるから、ジュネーブ諸条約上の軍隊に該当する」ともしている 。
 政府は、自衛隊について、9条2項の「戦力」ではないが、国際法上は「軍隊」であるとしているのである。この苦しい説明は、9条2項を残したまま、自衛隊を憲法に書き込んだとしても、解消されることはない。なぜなら、2項がある限り、自衛隊は「戦力」ではないとの説明は求められ続けるからである。結局、自衛隊の憲法適合性についての論争に終止符は打たれないのである。安倍首相の思惑は外れることになるであろう。
 加えて、この条文が付加されることによって新たな問題も顕在化する。「戦力」は持たないとしておきながら、そのすぐ後に「自衛のための実力組織」を持つとすることは、結局、「軍隊」を持つことを内外に宣言することになるからである。「自衛のための実力組織」と「戦力」と「軍隊」は同義である。各国の戦力や軍隊は、自衛目的の実力組織だからである。戦力を持たないとする規範と「自衛のための実力組織」を保有するという規範が併存する最高法規など制定してはならない。矛盾する規範は規範としての力を持ちえないからである。憲法改正権の最終行使者は、私たち個々の国民である。

◆広島・長崎のホロコーストを再現するのか
 第3の問題は、核兵器に依存し続けることである。昨年7月7日、国連で採択された「核兵器禁止条約」は、核兵器の製造、実験、使用、使用するとの威嚇、移譲などを全面的に禁止し、核兵器の廃絶を規定している。「核兵器のない世界」に向けての法的枠組みが補強されたのである。けれども、日本政府は、この条約に参加しないとしている。加えて、この2月に公表された新型核兵器の開発や非核兵器による攻撃に対しても核兵器を使用するなどとする米国の「核態勢の見直し」を高く評価しているのである。米国の核の傘に依存して我が国の独立と安全を確保するというのである。広島・長崎のホロコーストの再現を容認する発想である。

◆核兵器と9条の関係
 ここでは、核兵器題と9条の関係について素描しておくこととする。核兵器がなくなったからといって、武力の行使や戦力一般がなくなるわけではない。そういう意味では、核兵器廃絶と武力行使の禁止や戦力不保持とは別の問題である。だから、核兵器廃絶運動と憲法9条擁護やその世界化運動とは、二つながらに必要ということになる。けれども、この核兵器廃絶と戦争放棄および戦力の放棄とは、全く別の問題でもないことを忘れてはならない。

 憲法改正が議論されていた1946年8月の貴族院で、幣原喜重郎大臣は「文明と戦争は結局両立しないものであります。文明が速やかに戦争を全滅しなければ、戦争が文明をまず全滅することになるでありましょう。」と言っている。その理由は「原子爆弾と云うものが発見された」からであるという。そして、「日本は今や、徹底的な平和運動の先頭に立って、その一つの大きな旗を担いで進んで行くものである。これは理念だけのことではありませぬ。すなわち戦争を放棄すると云うことになりますと一切の軍備は不要になります。」と答弁している。人類が核兵器を「発見」してしまったので、戦争によって文明が破壊される恐れがある。だから、戦争を放棄しなければならない。戦争を放棄すれば軍備はいらない、という論理である。徹底した非軍事の思想がそこにある。これが、当時の政府見解である。

 1946年11月3日、日本国憲法が公布される。政府は、その公布に合わせて「新憲法の解説」を発行している。そこでは、9条の意義について「一たび戦争が起これば人道は無視され、個人の尊厳と基本的人権は蹂躙され、文明は抹殺されてしまう。原子爆弾の出現は、戦争の可能性を拡大するか、または逆に戦争の原因を収束せしめるかの重大な段階に達したのであるが、識者は、まず文明が戦争を抹殺しなければ、やがて戦争が文明を抹殺してしまうことを真剣に憂へているのである。ここに、本章(第2章戦争放棄)の有する重大な積極的意義を知るのである。」と解説している。ここに識者とは、幣原喜重郎のことである。

 日本共産党の志位和夫委員長は、この「新憲法の解説」を引用しながら、「憲法9条には、戦争を二度と引き起こしてはならないという決意とともに、この地球上にどこでも核戦争を絶対に引き起こしてはならないという決意が込められていることを強調したい。」と解説している 。制憲議会の衆議院において、日本共産党の野坂参三議員が、「われわれはこのような平和主義の空文を弄する代わりに、今日の日本にとって相応しい、また実質的な態度を取るべきであると考えております」として、憲法草案に反対したことと対比すれば、大きな変遷を見てとることができる。野坂の発言には「核の時代」という認識が欠落していたが、志位の解説には、それが存在しているのである。「核兵器のない世界」の実現は人類にとっての死活的な喫緊の課題であるという問題意識と憲法9条擁護の連結である。

 この日本国憲法の徹底した平和主義の背景について、樋口陽一先生は、「国連憲章が1945年6月26日、サンフランシスコで作成されたとき、人類はまだ核兵器が何を意味するのか知らなかった。その国連憲章が最終的には武力による平和という考え方に立脚していたのに対し、8月6日(広島)と8月9日(長崎)という日付を挟んだ後の1946年日本国憲法にとっては、「正しい戦争」を遂行する武力によって確保される平和、という考え方をもはや受け入れることはできなくなったとしている 。樋口は「武力による平和」を否定しているのである。幣原の立論と通底しているといえよう。

◆小括
 人類は核兵器を持ち、その数は約15000発といわれている。ピーク時の6万発からは減少したとはいえ、まだまだ人類の破滅には十分な数である。「人類は賢くないな核兵器」という川柳が笑えない深刻さがここにある。人類にとっての脅威は、北朝鮮の核やミサイルだけではない。ロシアは5000発、米国は4700発の核兵器を保有している。米国も日本も、北朝鮮の核兵器には目くじらを立てているけれど、自分たちの核依存は当然であるとしている。何とも身勝手この上ない立論である。核による脅しで自国の安全を確保しようという発想は、結局、核拡散と人類社会の滅亡の危険性を増大させているのである。
 トランプ米国大統領は武力による平和を公言し、核兵器使用の敷居を下げようとしている。安倍首相は、それに追随するどころか、むしろ煽り立てている。核に依存し、軍隊という暴力装置を憲法上の存在としようとする安倍政治との戦いは、日本と世界の行く末に直結した課題である。そのことは、日本国憲法の出自の時からの宿題であることを想起しておきたいと思う。

(2018年3月25日記)
≪参考資料≫
尚、本文で引用しなかった核兵器と憲法9条を連結している言説をいくつか紹介しておく。
①憲法は、国連憲章の目的と原則にしたがいつつ、国連加盟国一般より先んじた平和の原則を採用した。徹底した不戦体制にふみ切ったのは、原爆戦争の惨禍が決定的であった。(深瀬忠一・恒久平和のための日本国憲法の構想・「恒久世界平和のために 日本国憲法からの提言」所収・1998年日本評論社45頁)
②第9条は、広島・長崎以降においては、軍隊と戦争が伝統的意義を失っていることを確認するものであった。(杉原泰雄・憲法9条の現代的意義 「現在」における差の必然性について・同前所収・107頁)
③日本国憲法は、徹底した平和主義を採用しました。あえて不器用なまでに平和にこだわった背景には、人類初の「核兵器を使った殲滅戦」の経験、ヒロシマ・ナガサキの経験がありました。いったん戦争や武力の行使、戦力といった「手段」の有効性を認めれば、軍の論理の自己増殖は最終的に核武装へと逢着する。日本はその体験と認識に立って、徹底した平和主義を採用したわけです。(水島朝穂・憲法再生フォーラム編「改憲は必要か」岩波新書2004年154頁)
④国連憲章と日本国憲法は多くの共通点があります。第2次世界大戦を踏まえ、戦争をなくそう、武力行使をなくそうとしていることです。一方で、平和実現の方法に違いがあります。国連憲章は最後の手段として武力の行使を認めています。重要な違いの理由として、核兵器の存在、使用の経験の問題があります。大部分の連合国が原子爆弾を知らない段階で憲章の原案は作成され、採択したのも広島・長崎への投下前です。核戦争は想定していないということです。原爆の存在は人類の存続を脅かすという認識は武力を徹底的に否定する論理の基礎になったと思います。(松井芳郎・しんぶん赤旗2016年8月15日付)
⑤戦後日本の国の形を作り上げていたものに平和主義があったが、この平和主義は15年戦争の悲惨に対する深刻な反省並びに広島、長崎の被爆体験から生まれた「体験的平和主義」であった。(千葉眞・法律時報2004年76巻7号)
⑥憲法9条の規範は、戦争による惨禍を経てきた人類が、武力によらざる国際紛争の解決への道を模索するなかで到達した最良の規範である。特にそれは、核兵器の登場した時代における人類が生き残るための唯一の道を示す規範であり、普遍的価値を有する。(池田眞規・同前1996年68巻2号)
⑦憲法9条の成立をもっぱら右のような偶然の契機(日本政府、占領軍司令部、極東委員会の天皇の地位をめぐる三つ巴の関係。毎日新聞のスクープで急がなくてはならなくなったことなど)の重なり合いに過ぎないと見るのは大きな誤りである。そこには日本国民の長い戦争体験、とくにヒロシマ・ナガサキの原爆の受難、サイパンや満州や沖縄のように国民を巻き込んだ壊滅的な戦闘、東京を始めとする大空襲などが、生々しい傷口を広げたまま、人々の生活の中に息づいていた。…強大な軍事力が国民を守らず、逆に国民の生活をも幸福をも奪うものだという痛烈な認識を共有していたのである。あのような馬鹿げた戦争は二度としたくないという日本国民の実感は、まさに憲法9条に具体化されたといってよい。(小林直樹・「平和憲法と共生六十年」慈学社出版2006年107頁)
⑧国家組織における広い意味での権力分立を維持することによる「自由」の確保の要請に加えて(国内平和)、最終兵器としての核兵器が存在する以上、戦力は中長期的には国際紛争の解決や安全保障のための有効な手段とはならない、という安全保障政策としての選択とによって根拠づけることによって、9条解釈論を維持することの方が、「安全」の供給につながるはずと、いい続けてきたのが戦後憲法学の歩みであり、戦後の統治力学のもとでは、護憲派の光栄ある使命であった。(石川健治・軍隊と憲法・「立憲的ダイナミズム」所収・岩波書店2014年129頁)
⑨第2次世界大戦末期には、核兵器が開発され、広島、長崎だけでも三十数万人の死傷者を出している。以降、世界は、周知のごとく、「人命」を大量虐殺する兵器の出現で確実に、「核」の脅威にさらされる時代に入っている。人類が学ぶべき最高の教訓は、各国が「軍事力による安全保障方式」を完全に放棄し、世界平和実現の英知と人類共生の理念の下、あらゆる国際的な平和政策または制度を模索し、構築することが必要である。(上田勝美・世界平和と人類の生命権確立・「平和憲法の確保と新生」所収・北海道大学出版会2008年)
⑩日本国憲法が平和的生存「権」と規定したのは、平和的生存のための戦争という論理を否定する意味がある。政策に対抗し、政策を制約するのが、本当の憲法上の権利である。また、権利主体が「全世界の国民」とされていることも、「正義の戦争」の想定の下で相手国国民の生命の犠牲はやむを得ないとする論理と整合しない。それは、言うまでもなく、4000万人から5000万人の死者を出した第2次世界大戦における戦争被害と、ナガサキ、ヒロシマにおける絶対悪としての核戦争の経験からきている。(浦田一郎・「現代の平和主義と立憲主義」日本評論社1995年115頁)
⑪究極の暴力というべき核兵器をコントロールすることは・立憲主義・民主主義にとっての最大の課題というべきであろう。(君島東彦・核廃絶とNGOの役割・「松井康浩弁護士喜寿記念 非核平和の追求」所収12頁)
核兵器禁止条約
モデル核兵器条約(MNWC)、これまでの核兵器条約案
マーシャル諸島共和国の核兵器国に対する提訴
原爆裁判・下田事件判決
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