◆トランプとプーチンの危険性
トランプ米国大統領は、1時間のうちに3回、「米国は核兵器を保有しているのに、なぜ使用できないのか」と外交専門家に質問したという(毎日新聞1月30日付夕刊)。理解力が欠落しているか、使用することに躊躇(ためら)いがないかどちらかであろう。いずれにしても物騒な話である。その彼は「力による平和を維持する」ために、「最強の軍隊を堅持する」としている(「米国国家安全保障戦略」)。そして、核弾頭の運搬手段(大陸間弾道弾、戦略原子力潜水艦、戦略爆撃機)を強化し、小型核兵器と核巡航ミサイルを導入し、非核攻撃に対しても核兵器で対抗しようとしている(米国「核態勢見直し」・NPR)。この「核態勢の見直し」は「ロシアや中国に加えて、北朝鮮やイランの核保有の野心や、核を使ったテロは継続的な脅威だ」としている。北朝鮮やイランの核兵器に対する野心やテロリストも脅威とされているけれど、対抗すべき主要な対象(「戦略上の競争相手」)はロシアや中国とされているのである(米国「国家防衛戦略」)。
他方、ロシアのプーチン大統領は、複数のミサイルが米国を攻撃する動画をバックに、「探知されにくい低空域の巡航ミサイル(新型ミサイル)は、ほぼ無制限の射程距離に核弾頭を運ぶ。あらゆるミサイル防衛システムに対して『無敵』だ」と演説している(「一般教書演説」)。ミサイル防衛など役に立たない核兵器を持つとの宣言である。米ロの政治リーダーには、核兵器使用についての政治的・道徳的歯止めはないかのようである。そこに二人の度し難い危険性がある。
◆核兵器をめぐる状況
世界の核兵器15000発の内、5000発はロシアが、4700発は米国が保有しているとされる。その核超大国双方が、核兵器の近代化を競い、実際に核兵器を使用することを検討しているのである。彼らは、核不拡散条約(NPT)や核兵器禁止条約(TPNW)などを、全く無視しているのである。
核兵器禁止条約は、昨年7月7日、国連会議において、122カ国の賛成(国連加盟国193カ国の約60パーセント)で採択され、核兵器の開発、実験、使用、使用するとの威嚇、授受などを全面的に禁止し、核不拡散条約を補完して、「核兵器のない世界」への法的枠組みを用意している。ところが、彼らは、核兵器保有国の核不拡散条約上の義務である核軍縮に向けての誠実な交渉や、その完結など全く念頭にないのである。結局、核兵器に依存してその国家意思を実現しようとしているのである。核超大国は、「核兵器のない世界」を遠ざけるだけではなく、冷戦時代のように核の応酬による「相互確証破壊」(MAD)への道を歩もうとしているかのようである。私たちは、その現実をしっかりと見ておかなければならない。なぜなら、彼らが、その掲げる方針に従って核兵器使用に突き進んだ場合、私たちには「壊滅的な人道上の結末」が襲い掛かるからである。そのような事態はまさに悪夢である。「核兵器のない世界」の実現が先なのか、新たな核兵器使用が先なのか、人類社会は大きな岐路に立たされているのである。
◆核兵器の特性の再確認
人類が核分裂エネルギーを兵器として使用し始めた時、「核の時代」が始まった。1945年8月6日がその日である。以来、人類と核との関係が問われ続けている。それは「核と人類は共存できない」とする人々と、核兵器を国家安全保障の「守護神」とする人々との間での闘争として継続している。この闘争の局外者でいることは許されない。なぜなら、核兵器は、性別、年齢、職業、学歴、収入・資産、思想・信条などとは全く関係なく、人々に襲い掛かるからである。「みんな死んじゃう」のである。「核戦争など私には関係ない」との態度が許容される余地は全くないのである。
であるがゆえに、私たちは、核兵器の使用が人類社会に何をもたらすのかについて、しっかりとした知識を持ち、対処方法を考えなければならないのである。
以下、核兵器についてのいくつかの「公的見解」を紹介しておく。「公的見解」というのは、政府、議会、裁判所という公的機関による見解や社会的に影響力のある団体・個人による意見という意味である。出典は、特に断りがない場合は、被団協の50年史「ふたたび被爆者を作るな」(あけび書房)に依拠している。また内容に変更がない範囲で要約していることをご了承願いたい。
①1945年8月6日、最初に核兵器を使用したトルーマン米国大統領は、「原子爆弾は宇宙に存在する基本的な力を利用した革命的な破壊力を持つものであり、それが、極東に戦争をもたらした者たちに対して放たれた」、と声明している。その声明では「原子エネルギーを解放できるという事実は、自然の力に対する人類の理解に新しい時代を迎え入れるものである」ともされている。トルーマンは、原爆がどのような原理に基づく兵器であるのかも、その殺傷力や破壊力も十分に理解していたのである。そのうえで、原爆を投下したのである。まさに、人類の「新しい時代」が始まったのである。
②1945年8月10日、日本政府は、その原爆投下に対して「米機の新型爆弾に対する日本政府の抗議文」を発出している。抗議文は、「新奇にして、かつ従来のいかなる兵器、投射物にも比し得ざる無差別性残虐性を有する本件爆弾を使用せるは人類文化に対する罪悪なり、…帝国政府はここに自らの名において、かつまた全人類の名において、米国政府を糾弾するとともに即時かかる非人道的兵器の使用を放棄すべきことを厳重に要求する」としている。当時の日本政府は、全人類と文明の名において、核兵器の放棄を要求していたのである。それは、正しい姿勢である。ただし、現在の政府は、このようなことをしたのは戦時下だからであって、今は違う見解であるとしている。
③1946年8月30日、貴族院の本会議で、幣原喜重郎国務大臣は「われわれは今日、広い国際関係の原野に於きまして、単独でこの戦争放棄の旗を掲げて行くのでありますけれども、他日必ず我々の後に続いてくる者があると確信しております。…原子爆弾と云うものが発見されただけでも、戦争論者に対して、再考を促すことになっている。…日本は今や、徹底的な平和運動の先頭に立って、その一つの大きな旗を担いで進んで行くものである。単に是は理念だけのことではありませぬ。すなわち戦争を放棄すると云うことになりますと云うと、一切の軍備は不要になります。軍備が不要になれば従来軍備のために費やしていた費用というのも当然不要になります。」と答弁している(新日本法規出版「復刻版 帝国憲法改正審議録 戦争放棄編」)。幣原喜重郎の日本国憲法9条誕生に果たした役割は大きい。
④1946年11月に政府が発行した「新憲法の解説」(高見勝利編・「新しい憲法の話」・岩波現代文庫)には次のような記述がある。「一度び戦争が起これば人道は無視され、個人の尊厳と基本的人権は蹂躙され、文明は抹殺されてしまう。原子爆弾の出現は、戦争の可能性を拡大するか、または逆に戦争の原因を収束せしめるかの重大な段階に達したのであるが、識者は(幣原喜重郎のこと)、まず文明が戦争を抹殺しなければ、やがて戦争が文明を抹殺してしまうことを真剣に憂へているのである。ここに、9条の有する重大な積極的意義を知るのである。」当時の政府はこのような解説本を作成し配布していたのである。この内容で、反核・平和の教育が進められていたら、現在の状況は大きく変わっていたであろう。
⑤1955年1月26日、連合国最高司令官であったダグラス・マッカーサーは、「私自身の人生の範囲内でも、私は兵器の発達史を目にしてきました。ライフルか銃剣か軍刀によって一人の敵を倒すこと。十数人を殺すよう設計された自動小銃。重砲は数百人に死を降り注ぎました。さらに数千人を打つ空爆に続いて、原子爆弾による殺傷は数十万人に達しました。そして、科学は、破壊力を数百万単位に押し上げました。この成功こそが、国際紛争の実際的な解決手段としての戦争の可能性を破壊したのです。」とスピーチしている(河上暁弘「日本国憲法第9条成立の思想的淵源の研究」)。日本で幣原の見解が無視されているように、米国でもマッカーサーのこのスピーチは生かされていないようである。
⑥1955年7月9日の「ラッセル・アインシュタイン声明」は、「水素爆弾による戦争は実際に人類の終末をもたらしかねない。もし、多数の水素爆弾が使用されるならば、全面的な死滅が起こるであろう。これはただ少数の者にとってのみ即死であるが、多数の者にとっては病患と崩壊との緩慢な苦しみなのだ。そして、およそ将来の世界戦争においては必ず核兵器が使用されるであろうし、そのような兵器が人類の存続を脅かしている事実から見て、われわれは世界の諸政府に、彼らの目的が世界戦争によっては促進されえないことを悟り、このことを公然と認めるよう要請する。したがってまた、われわれは彼らに、彼らの間のあらゆる紛争問題の解決のための平和的手段を見出すよう要請する。」としている。トランプ大統領、プーチン大統領、金委員長、安倍首相に熟読してもらいたい声明である。
⑦1963年12月7日、東京地方裁判所は、「原爆裁判」(原爆被爆者が国に対して、原爆投下に係わる損害賠償を求めた裁判)で、「広島、長崎に対する原子爆弾による爆撃は、無防守都市に対する無差別爆撃として、当時の国際法から見て、違法な戦闘行為である。原子爆弾のもたらす苦痛は、毒と毒ガス以上の物といって過言ではなく、このような残虐な爆弾を投下した行為は、不必要な苦痛を与えてはならないという戦争法の基本原則に違反している。」と判決している。この判決は、原爆投下は、無差別攻撃であるという観点からも、不必要な苦痛を与えてはならないという観点からも、当時の国際法(戦時下において禁止される戦闘行為を定めた法律)に違反しているとしているのである。核兵器禁止条約の魁(さきがけ)となる法的判断である。
⑧1994年12月9日成立した 原子爆弾被害者に対する援護に関する法律(被爆者援護法)の前文にはこうある。「昭和20年8月、広島市及び長崎市に投下された原子爆弾という比類のない破壊兵器は、幾多の尊い生命を一瞬にして奪ったのみならず、たとい一命をとりとめた被爆者にも生涯いやすことのできない傷跡と後遺症を残し、不安の中での生活をもたらした。」当時の国会は、このような認識を持っていたのである。この法律は、原爆被爆者が国に対して「原爆症認定」などを求める法的根拠を提供している。
⑨1996年7月8日、国際司法裁判所の勧告的意見(国連総会の国際司法裁判所に対する「核兵器の使用はいかなる状況でも許されるか」という諮問に応えた判断)は、「核兵器は、原子の融合または分裂からエネルギーを得る爆発装置である。核兵器は、膨大な熱とエネルギーを放出するばかりか強力で長期にわたる放射線をも放出する。核兵器は潜在的に破滅的なものである。核兵器の破壊力は時間的にも空間的にも閉じ込めておくことができない。核兵器はあらゆる文明と地球上の生態系の全体を破壊する潜在力を持っている。」としている(「核兵器使用の違法性」・早稲田大学比較法研究所叢書)。核兵器の特性についての定義的規定として理解しておきたい見解である。
⑩2001年6月5日公表された「21世紀被爆者宣言」は次のようにいう。
「あの日、1945年8月6日、9日。アメリカが投下した二発の原爆は、広島・長崎を一瞬にして死の街に変えました。生きたまま焼かれ、肉親を助けることもできず、いったんは死の淵から逃れた者も、放射線に冒されて次々に倒れていきました。人の世とは思えない惨状でした。 ”原爆地獄”から生き残った私たちも今なお心と体の苦しみにさいなまれつづけています。原爆の放射能被害は世代を越えていつまで及ぶのでしょうか。」被爆者の想いが凝縮された宣言といえよう。
⑪2017年7月7日採択された「核兵器禁止条約」前文は、「核兵器のいかなる使用も壊滅的な人道上の結末をもたらす。それを避けるためには、核兵器が完全に廃絶されることが必要であり、そのことがいかなる場合にも核兵器が二度と使用されないことを保証する唯一の方法である」、「核兵器使用の壊滅的な結末とは、適切に対処できないこと、国境を超えること、人類の生存、環境、社会手経済的な発展、世界経済、食糧の安全及び現在と将来の世代の健康に重大な影響を与えることなどである」、「核兵器のない世界を達成し、維持することは、世界の最上位にある公共善である」などとしている(『反核法律家』92・93合併号)。核兵器使用の被害者(ヒバクシャ)の「受忍しがたい苦痛と被害」に留意した前文である。
◆小括
核兵器が初めて使用されてから72年以上の年月が経過している。世界は、核兵器を全面的に禁止し、その廃絶へと向かいつつある潮流と、あくまでも核兵器に依存する凶暴な勢力との激しい闘争が展開されている。先にも述べたように、「核兵器のない世界」の実現が先か、新たな核兵器の使用が先か、予断が許されない状況にある。「核兵器のない世界」の実現は、人類にとって、死活的でありかつ緊急の課題なのである。私たちの採るべき選択は、いかなる理由であれ、核兵器の使用などさせない方向である。先人たちが、この間、核兵器についてどのように考えてきたのかを再確認し、新たな知恵を絞り、核兵器に依存する者たちとの戦いに勝利しなければならない。
◆北朝鮮の核兵器について
北朝鮮の核やミサイルも問題である。その核兵器もなくさなければならいないことは当然である。問題はどのようにその方向に向かうかである。まず事実関係から確認しておくと、北朝鮮の核弾頭保有数は15ないし20とされている。その絶対数や運搬手段などからして、米ロなどとは比較にならない規模であることは明らかである。「核兵器のない世界」を展望するとき、北朝鮮の核だけに目を奪われていては、その本質を見失うことになるのである。
そして、核兵器の近代化を図る米国やそれを「高く評価する」日本が、北朝鮮に対して核兵器を放棄しろと迫るのは、没論理的な強者の圧力でしかない。むしろ、北朝鮮を頑なにするだけであろう。「俺は持つおまえは持つな核兵器」などと言う論理は通用しない。「俺も捨てるからお前も捨てろ」という論理だけが説得力を持つのである。そのことを忘れ、いたずらに「圧力」だけを言い立てる安倍首相の姿勢は、朝鮮半島の緊張を高め、不測の事態を招きかねないであろう。
その態度との対比で、文在寅韓国大統領の果たしている役割は大きい。彼の最優先課題は、朝鮮半島での武力の衝突を避けることだという。この課題設定は正鵠を射ている。その彼の努力は、南北会談にとどまらず、米朝の政治的トップの会談を実現しつつある。米朝首脳会談について、楽観的見通しなど持てないけれど、会談が継続している間は武力衝突は回避されているであろう。朝鮮戦争の完全終結と米朝関係の正常化が実現することを祈りたいと思う。
もちろん、朝鮮半島の非核化が実現したからといって、「核兵器のない世界」が実現するわけではないが、北東アジアに非核地帯が実現することは、その実現への貴重な一歩となるであろう。
◆最後に
「核兵器のない世界」を実現するためには、どんなに困難であっても、超大国の核依存体質を変えなければならないのである。そのためには、核兵器が人類に何をもたらしたのか、何をもたらしているのか、何をもたらすことになるのかを、核兵器保有国・依存国の民衆と共有することから始めなければならいであろう。民衆の意思で、国家の意思を転換することは可能だからであるし、また、その方法しかないからである。そのための有効な運動として、ヒバクシャ国際署名を大きく成功させることが求められている。