1 在韓被爆者問題に関わって24年
1994年4月、日本に強制連行されてきたことの証拠としての広島の三菱重工業(株)(以下、三菱という)の工場へ強制連行された元徴用工被爆者の未払い賃金の供託書名簿の閲覧手続へ同行を依頼され、そのことに協力し、その後在韓被爆者問題、ひいては在外被爆者問題に関わるようになる。
1995年12月、三菱に強制連行されたこと、日本で原爆に被爆させられたが、日本国外に居住しているために、被爆者援護から排除されたことが違法であるとして、三菱と日本国を被告とする訴訟の代理人として活動する。 1998年10月には、在韓被爆者郭貴勲さんが、日本国から出国することにより被爆者健康手帳が失権される取扱いを違法とし、日本を出国しても健康管理手当受給権が認められるべきことと求める訴訟の代理人となった。
これらの訴訟で、被爆者の権利を失権させたことが違法であると訴訟で、認めさせ、在外被爆者が、日本に居住する被爆者と同等の援護を受けるようになることを寄与できた。
2 在韓被爆者の運動の経緯
1967年に、在韓被爆者が韓国原爆被害者協会を結成して、日本政府に対して、援護、補償を求める声を上げ始める。
1970年代には、日本に原爆による疾病の治療を求めて孫振斗氏が来日する。日本の市民団体が支援し、裁判で争い、最高裁で勝訴し、被爆者健康手帳の交付を受けることができる。
1990年代後半から、裁判で闘うようになり、2002年12月、在韓被爆者郭貴勲さんの訴訟で勝訴確定する。2003年3月、日本が在外被爆者を援護の対象とするようになる。その後、2008年に被爆者援護法を改正し、日本国外から、被爆者健康手帳の交付申請ができるようになる。2014年9月、最高裁で在外被爆者が、日本国外で支払った医療費の請求を求める訴訟で勝訴する。
このような動きに呼応し、韓国でも被爆者を支援する法律が制定された。
3 在韓被爆者の核兵器に対する思い
原爆に被爆してきたことで、都市がまるごと破壊され、自らも健康被害に苦しみ、その結果、満足に働けない状態が続くなどの苦しみを受け、核兵器の廃絶を求める気持ちが強い。
しかし、在外被爆者の中でも、韓国に住む被爆者に対して、韓国内では、原爆は日本の植民地支配・侵略・占領を終了させた兵器としての位置づけがなされており、被爆の被害、健康影響などについての理解はなかなか深まらなかった。現状では、多少修正されつつあると思われるが、韓国の人々の核兵器に対する見方は、日本の市民と異なっていたと思われる。
4 朝鮮半島での核兵器をめぐる状況
2018年現在、第2次世界大戦の結果として、分断国家のままでいるのは、韓国と朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮という)のみである。国際法的には、朝鮮戦争は休戦状態に過ぎず、2018年6月の米朝首脳会談が行われるまで、朝鮮半島では、北朝鮮がNPTを離脱した後、核兵器の開発を進め、核実験を行うなど緊張が高まっていた。
しかし、2018年になってから、韓国と北朝鮮の間の緊張緩和が進んできた。2018年4月には、板門店宣言が発せられ、朝鮮戦争を終結させる方向への流れがでてきた。
他方で、韓国は、日本と同様に米国との同盟関係にあり、核兵器依存国である。
5 韓国の被爆者が米国の原爆投下責任を問い続けている
韓国の被爆者は、大日本帝国の植民地支配の下で、日本が始めた戦争にかり出され、そこで、原爆の被爆を受けた。その意味の二重の意味の被害者である。韓国の被爆者は、米国の原爆爆撃による被害に対して、米国の原爆を正当化しようとする人々からも「リメンバー・パールハーバー」と言われずに、被害を主張をできる。
韓国の崔鳳泰弁護士が、2000年ころから、被爆者の事件に関わるようになり、米国の原爆爆撃を国際法上違法であることを認めさせようという運動が続けられ、米国での提訴も検討してきたが、なかなか難しく、現在、韓国の裁判所で、調停の手続を進めているが、送達をめぐって問題になっているようである。
6 東北アジアの非核地帯化に向けて
中国とロシアに囲まれたモンゴルは、一国で、非核地帯を宣言している。
国際赤十字が、「核兵器の非人道性」という論点に着眼し、広島・長崎の人々からすると何を今さらとの思いもあったが、このことへの国際的な認識の高まりが、昨年7月に核兵器禁止条約の国連での採択につながった。
北朝鮮が核兵器を保持すること、大陸間弾道弾を持つようになったことがはっきりしてから、米朝首脳会談が開かれた。この動きに対し、日本国内のメディアは、成果はあまりなかったような報道をしている。しかし、少なくとも朝鮮戦争を終結させる方向に向かうような状況が生まれている。また、米韓軍事演習の中止も決まった。
日本は、北朝鮮に対して、拉致問題の解決を迫るが、このことは、過去の植民地支配の清算をどうするのかという論点に跳ね返ってくる。この点についての構想や解決なく、拉致問題だけの解決はあり得ないことを日本の人々はもっと理解する必要があるのではないか。
韓国との間では、1965年の日韓請求権協定を締結し、政府間での一応の解決はなされたとはいえ、1990年代以降、個人の請求権をめぐる訴訟が起こされ、日本の最高裁はこの論点について、裁判で訴求できない権利になったとしたが、個人の請求権自体が消滅したとはしなかった、その意味で未解決のまま残されているといってよい。この点についての、韓国の大法院(最高裁)も同様の見解をとり、日本の最高裁と違い、訴権も消滅していないとの判断をしている。
朝鮮戦争が終結に向かう状況の中で、日本と北朝鮮の間の植民地支配の問題点を整理して、解決のための方向性を示し、また、韓国との間でも植民地支配をめぐっては被害者個人についての未精算の問題があり、これらを解決していく方向を示すことで、東北アジアでの紛争要因が減少し、ひいては、日本や韓国が米国の核に依存せず、北朝鮮も核にしなくてもよい状況が生まれ、東北アジアの非核地帯化に向かっていけるのではないと感じている。