8月9日、長崎の平和式典で、被爆者代表の田中煕巳さんが「平和への誓い」を述べている。田中さんは、その中で「紛争解決のための戦力を持たないと定めた日本国憲法第9条の精神は、核時代の世界に呼びかける誇るべき規範です」としている。憲法9条は単なる精神ではないとか、誰が呼びかけるのか主語があいまいだ、などと赤ペンを入れたいところもあるけれど、私は、田中さんが「核時代」という言葉を使い、憲法9条を世界に呼びかける誇るべき規範であるとしていることに最大限の共感を覚えるのである。田上富久長崎市長も「平和宣言」で、「『戦争をしない』という日本国憲法に込められた思いを次世代に引き継がなければならないと思います」と日本国憲法に触れているけれど、田中さんのように、9条を世界に呼びかけようとまではしていない。同じ場所にいた、安倍首相のあいさつには「核兵器のない世界」という言葉はあるけれど、憲法についても、核兵器禁止条約についても言及はない。彼はこの国の首相として不適格である。
13歳の時に長崎で被爆し、自身は奇跡的に生き残ったけれど、五人の身内の命を奪われた田中さんは、原爆は「人間が人間に加える行為として絶対に許されない」としている。田中さんにとって「核時代」とは、人間が絶対にしてはならないことが行われ、またいつ行われるかわからない時代なのであろう。田中さんは、その時代を転換するために、憲法9条の世界化を呼びかけているのである。
私と田中さんとの付き合いは20年ほどになる。1999年5月11日から15日まで、ハーグで開催された「ハーグ平和アピール市民会議」の準備を一緒に始めたことがきっかけだった。当時、田中さんは日本原水爆被爆者団体協議会(日本被団協)の事務局長だった(今は代表委員)。田中さん、そして故池田眞規弁護士と飲む酒は旨かった。池田先生はあまり飲まないけれど、田中さんと私は次の日まで残るほど飲んだものだった。被爆者を原告として米国政府を相手に裁判を起こそうなどと持ち掛けて、「もう10年前に言ってもらえたらな…」などと語り合ったものだった。
なんでそんな話をするかというと、池田先生はことあるごとに「被爆者は預言者である」として、被爆体験の悲惨さに怒り、被爆者が再びヒバクシャを作らないと決意していることに賛辞を送り、核兵器廃絶と憲法9条の大切さを説いていたからである。例えば「ハーグ平和アピール市民会議」では、「世界の人々はこの悲惨な殺りくの世界から戦争のない世界を創ろうと考えている。現在の人類の最大の悲願は核兵器と戦争の廃止である。人類共通のこの悲願の実現は、戦争と核による世界の犠牲者の訴えに基づいて闘われてきた。今世紀の戦争の犠牲者とその家族・友人はまだ全世界にいる。」などとしていたのである(「核兵器のない世界を求めて」・日本評論社・164頁)。
そして、2007年3月、池田先生が田中さんたちと立ち上げた「ヒバクシャ9条の会」の呼びかけ文には「戦争の放棄、戦力の不保持、交戦権の否認を定めた9条は、『ヒロシマ・ナガサキを繰りかえすな』の願いから生まれました。被爆者にとって生きる希望になりました。」と記されているのである(同書286頁)。
私は、田中さんの今回の「平和の誓い」には、池田先生との交流が底流にあったように思うのである。日本国憲法9条の誕生が、核のホロコーストだけに淵源があるとは思わないけれど、それを無視することは絶対にできないであろう。見ず知らずの人々に殺し合いを強いる国家権力を制御する憲法規範を維持することができなければ、人々は「最終兵器」の使用によるカタストロフィー(壊滅的結末)を迎えることになるかもしれない。それを避けるためには、核兵器廃絶と憲法9条の世界化が求められているのである。ヒバクシャ国際署名と改憲阻止3000万人署名の双方を成功させなければならないことを再確認する田中さんの「平和への誓い」であった。