外務大臣の談話
河野外務大臣は、10月30日、「大韓民国大法院による日本企業に対する判決確定について」と題する談話を出した。その要旨は以下の四項目である。
1 日韓両国は、1965年に締結された日韓基本条約および関連協定の基礎の上に友好協力関係を築いてきた。その中核である日韓請求権協定は、日本から韓国に無償3億ドル、有償2億ドルの資金協力を約束するとともに(1条)、両締約国及びその国民の財産、権利及び利益ならびに請求権に関する問題は「完全かつ最終的に解決」されており、いかなる主張もすることはできないとしている(2条)。
2 にもかかわらず、大韓民国大法院は新日鐵住金(株)に対し、損害賠償の支払い等を認める判決を確定させた。この判決は、日韓請求権協定2条に明らかに違反し、日本企業に不当な不利益を負わせるものであるばかりか、日韓の友好協力関係の法的基盤を根本から覆すものであって、極めて遺憾で、断じて受け入れられない。
3 日本としては大韓民国にこの立場を伝達するとともに、大韓民国が国際法違反の状態を是正することも含め、適切な措置を講ずることを強く求める。
4 直ちに適切な措置が講じられない場合には、日本として、日本企業の正当な経済活動の保護の観点からも、国際裁判も含め,あらゆる選択肢を視野に入れ、毅然とした対応を講ずる考えである。
談話の特徴
この談話の特徴は、第一に、韓国の大法院という司法機関(日本でいえば最高裁判所)が、日本企業に対して下した判決について、「極めて遺憾で、断じて受け入れられない」と極めて強い口調で非難していることである。第二に、韓国(政府)に対して国際法違反の状態の解消など「適切な措置」を講ずるよう求めていることである。第三に、「適切な措置」を講じなければあらゆる選択肢を行使するとしていることである。ここにいう「適切な措置」とはどのような具体的な行動であるかは示されていないが、日本企業に不利益を負わせないような措置であることは明らかである。例えば、新日鐵住金(株)に損害賠償金を負担させない措置であろう。
要するに、日本政府は韓国政府に対して、韓国の裁判所の判決が日本企業に不利益をもたらしているから何とかしろ、何とかしないなら何をするかわからないぞ、と迫っているのである。その理由は、判決が日韓請求権協定2条に違反しているからだということにある。
談話に対する疑問
この談話を読んでいくつかの疑問が湧いてくる。
第一に、この判決は「徴用工」であった個人が原告、その個人を使役していた日本企業を被告とする民事裁判において、韓国の司法機関が韓国法に基づいて下しているものである。従って、日本政府とは全く関係がない事案である。他国の裁判所が下した判決が自国の私企業に不利だからといって、当事者ではない政府が「断じて受け入れられない」などと言える根拠はどこにあるのかという疑問である。友好関係原則宣言が「いかなる国も、他国の主権的権利の行使を自国に従わせるために、経済的。政治的その他いかなる措置も使用してはならない」としていることに照らせば、日本政府が韓国の裁判所の判決に難癖をつけることは内政干渉であろう。
第二に、「適切な措置」を求められた韓国政府は何をどうすればいいのだろうか。韓国政府に韓国大法院の確定判決の効力を覆す権限はない。それは、日本でも同じことである。日本政府に最高裁の判決を覆す権限などはない。韓国政府が「司法部の判断を尊重する」というのは当然の対応である。にもかかわらず、日本政府は韓国政府に対して、確定判決があっても、日本企業に不利益が及ばないようにしろとしているのである。およそ三権分立の統治機構の在り方や、裁判というものを全く理解していない物の言い様である。
第三に、「直ちにいうことを聞かなければ裁判手続きも含めあらゆる手段をとるぞ」と上から目線で物を言うことは、外交関係の在り方として乱暴に過ぎないかというこということである。請求権協定3条は、両国政府に紛争が生じた場合の措置を規定しているのであるから、せめてそのことに言及すべきであろう。
なぜ、そのような物の言い様になるのか
この様な内政干渉まがいの、三権分立制度についての無理解丸出しの、不穏当な言辞の談話が出された背景には、日韓請求権協定2条についての「両締約国及びその国民の財産、権利及び利益並びに請求権に関する問題は完全かつ最終的に解決されており、いかなる主張もすることはできない」という日本政府の解釈がある。
第2条の要旨は次のとおりである。
1.両締約国は,両締約国及びその国民の財産,権利及び利益並びに請求権に関する問題が,完全かつ最終的に解決されたことを確認する。
2.一方の締約国及びその国民の財産,権利及び利益であってこの協定の署名の日に他方の締約国の管轄の下にあるもの並びに同日以前に生じた事由に基づく請求権に関しては,いかなる主張もすることができない。
確かに、この条文には、財産、権利、利益、請求権に関する問題は「完全かつ最終的に解決された」、署名の日より前に生じた事由に基づくものは「いかなる主張もすることができない」と書かれているのである。であるが故に、河野大臣は、個人的請求権は消滅しているのかいないのかという質問に対して「もう既に完全かつ最終的に終わっている」としているのである(11月2日記者会見)。河野大臣はこの条文を機械的に解釈して談話を発表しているのであろう。もちろん、日本政府がどのように解釈するかについては政府の権限であって、その当否について私がとやかく言う筋合いはない。
談話の致命的誤り
問題は、この日本政府の解釈に、韓国の裁判所は拘束されるのかということである。この条文の解釈は、このような解釈しかありえないのかという問題でもある。
「徴用工」裁判は「徴用工」であった個人が、自らを使役した日本企業の不法行為責任を韓国の裁判所で追及した裁判である。その裁判をする上で、韓国の裁判所は日韓請求権協定の解釈を迫られたのである。それは、この裁判の性質上避けられない作業であろう。
そもそも、条約であれ法律であれ私人間の契約であれ、一義的に解釈できない事態に遭遇することは当然にありうることである。人々の営みは多様であり、従ってまた紛争も多様だからである。裁判は、事実認定と法の当て嵌めであるから、何が法であるかの解釈が求められる場合がある。その最終的な解釈は、各国の司法部門つまりは裁判所の任務である。それは、三権分立制度を採用する国家に共通するシステムである。韓国の裁判所には、国会が制定した法律についても、政府が締結した条約についても、法的紛争を解決する上で必要であれば、その解釈をする権限と責任があるのである。
韓国大法院には、その責務を果たし権限を行使する上で、日本政府の解釈を忖度しなければならない義務はない。むしろそのようなことはしてはならないのである。逆に、日本政府には韓国の裁判所を拘束する条約解釈の権限などないのである。
韓国大法院には、日韓請求権協定2条について、日本政府と同じ解釈をしないからといって、日本政府に責められなければならない理由はない。もちろん韓国政府が日本政府に責められる理由もない。
日本政府は、自分の解釈と違うからといって、他国の国家機関の条約解釈を国際法違反などと決めつけるのは避けるべきである。この裁判は韓国内の問題であり、そもそも国際法が問題になる局面ではないのである。かくして、この外務大臣談話には、国際法はもとより三権分立や外交関係の基本をわきまえていないという致命的欠陥が見られるのである。
ではどうするか
外務大臣談話の問題点は以上のとおりである。けれども、日本政府と韓国政府との間に紛争が生じていることは確かである。このまま放置することは避けなければならない。ネトウヨを喜ばせるだけで、誰の利益にもならないからである。
日韓請求権協定3条1項は「この協定の解釈及び実施に関する両国間の紛争は、まず、外交上の経路を通じて解決する」としている。そして、その経路で解決しなかった場合に備えて、第三国の政府が指名する仲裁委員も含める仲裁手続きが規定されている(同条2項・3項)。更には、両国は仲裁委員会の決定には服することとされているのである(同上4項)。まずは、この条文を活用しての解決が求められるところである。国際司法裁判所への提訴もありうるだろうけれど、条約に定められた解決手続きの活用から始められるべきであろう。