この抜き書きは、原爆投下と憲法9条との関係についてのものです。
現時点で、私が当たれたものを整理しています。
今後もこの問題意識に基づいて文献を紹介していきたいと考えています。
「核時代」となった今日、人類が核戦争と核兵器によって絶滅され、地球の墓地で死の永遠平和を弔われることを拒否し、生き残って発展する生の永遠平和を確立する。
(恒久世界平和のために 日本国憲法からの提言 1998年・日本評論社・8頁から)
幣原喜重郎の答弁 1946年8月貴族院
・改正案の第9条は、戦争の放棄を宣言し、わが国が全世界中最も徹底的な平和運動の先頭に立って指導的地位を占めることを示すものであります。今日の時勢になお国際関係を律する一つの原則として、或る範囲での武力制裁を合理化、合法化せんとするが如きは、過去における幾多の失敗を繰り返す所以でありまして、もはや我が国の学ぶべきところではありませぬ。文明と戦争とは結局両立しえないものであります。文明が速やかに戦争を全滅しなければ、戦争がまず文明を全滅することになるでありましょう。
(復刻版帝国憲法改正審議録 新日本法規出版・2017年・288頁)
・我々は今日、広い国際関係の原野に於きまして、単独にこの戦争放棄の旗を掲げて行くのでありますけれども、他日必ず我々の後についてくるものがあると私は確信しているものである。…原子爆弾というものが発見されただけでも、或戦争論者に対して、余程再考を促すことになっている、…日本は今や、徹底的な平和運動の先頭に立って、此の一つの大きな旗を担いで進んで行くものである。即ち戦争を放棄するということになるということになると、一切の軍備は不要になります。軍備が不要になれば、我々が従来軍備のために費やしていた費用はこれもまた当然に不要になるのであります。
(同上 320ないし321頁)
憲法改正が議論されていた1946年8月の貴族院で、幣原喜重郎大臣は「文明と戦争は結局両立しないものであります。文明が速やかに戦争を全滅しなければ、戦争が文明をまず全滅することになるでありましょう」と言っている。その理由は「原子爆弾と云うものが発見された」からであるという。そして、「日本は今や、徹底的な平和運動の先頭に立って、その一つの大きな旗を担いで進んで行くものである。これは理念だけのことではありませぬ。すなわち戦争を放棄すると云うことになりますと一切の軍備は不要になります」と答弁している。人類が核兵器を「発見」してしまったので、戦争によって文明が破壊される恐れがある。だから、戦争を放棄しなければならない。戦争を放棄すれば軍備はいらない、という論理である。徹底した非軍事の思想がそこにある。これが、当時の政府見解である。
(大久保賢一「核の時代」における安倍流改憲・「反核法律家」2018年夏号通巻95号)
当時の政府の解説
一度び戦争が起これば人道は無視され、個人の尊厳と基本的人権は蹂躙され、文明は抹殺されてしまう。原子爆弾の出現は、戦争の可能性を拡大するか、または逆に戦争の原因を収束せしめるかの重大な段階に達したのであるが、識者は、まず文明が戦争を抹殺しなければ、やがて戦争が文明を真剣に憂へているのである。ここに、本章(2章・9条)の有する重大な積極的意義を知るのである。 「新憲法の解説」・1946年11月
「新憲法の解説」(高見勝利編・岩波現代文庫・2013年)
平和問題懇談会の「三たび平和について」1950年。(愛敬浩二・立憲・平和主義の構想・「立憲的ダイナミズム」・岩波書店・2014年・251頁からの引用)
現代戦争(国際的には世界戦争、国内的には全体戦争、形態としては核戦争)の段階においては、平和が第一義的目標になった。どのような地上の理想も、世界平和を犠牲にしてまで追求するには値しない。よって、戦争を最大の悪とし、平和を最大の価値とする理想主義的立場は、戦争が原子力戦争の段階に到達したことによって、同時にこうどの現実主義的な意味を帯びるように至った。
マッカーサーの回顧
(河上暁弘・日本国憲法第9条成立の思想的淵源・2006年・専修大学出版局からの引用)
・当時の賢明な幣原首相は私を訪れ、日本国民は国際的な手段として戦争を廃絶すべきであると要請した。私がこれに同意すると、彼は私の方を向き直って、「世界は我々が実際に裁に即さぬ夢想家のように言って嘲り笑うでしょうが、百年後には我々は予言者と言われるようになっているでしょう」と言った(1955年1月26日・マッカーサーのロサンゼルスでのスピーチ 359頁)。(なお、丸山眞男は、1965年、「憲法第9条をめぐる若干の考察」で、「幣原は熱核時代における第9条の新しい意味を予見した」と書いているという(木庭顕・「憲法9条へのカタバシス」・みすず書房・2018年・8頁)。幣原は20年後には予言者と評価されていたようである。)
・もし世界がこの種の戦闘(二度の大戦)を行うとすれば、現代文明の自殺行為となるであろう。(マッカーサー・1951年3月5日・上院軍事外交委員会 同362頁)
・私は兵器の発達史を目撃してきた。世紀の転換期には、ライフルか銃剣か軍刀によって一人の敵を倒すことでした。それから十数人を殺すよう設計された自動小銃が現れました。その後重砲は数百人に死を降り注ぎ、さらに数千人を撃つ空爆に続いて、原子爆弾による殺傷は数十万に達しました。…しかし科学的全滅の勝利―この発明の成功―こそが、国際紛争の解決手段としての戦争の可能性を破壊したのです。(1955年1月26日・マッカーサーのロサンゼルスでのスピーチ 同・362頁)
時系列で整理したいくつかの見解
①日本国憲法が平和的生存「権」と規定したのは、平和的生存のための戦争という論理を否定する意味がある。政策に対抗し、政策を制約するのが、本当の憲法上の権利である。また、権利主体が「全世界の国民」とされていることも、「正義の戦争」の想定の下で相手国国民の生命の犠牲はやむを得ないとする論理と整合しない。それは、言うまでもなく、4000万人から5000万人の死者を出した第2次世界大戦における戦争被害と、ナガサキ、ヒロシマにおける絶対悪としての核戦争の経験からきている。(浦田一郎・「現代の平和主義と立憲主義」日本評論社1995年115頁)
②憲法9条の規範は、戦争による惨禍を経てきた人類が、武力によらざる国際紛争の解決への道を模索するなかで到達した最良の規範である。特にそれは、核兵器の登場した時代における人類が生き残るため唯一道を示す規範であり、普遍的価値を有する。
(池田眞規・1996年68巻2号)
③憲法は、国連憲章の目的と原則にしたがいつつ、国連加盟国一般より先んじた平和の原則を採用した。徹底した不戦体制にふみ切ったのは、原爆戦争の惨禍が決定的であった(深瀬忠一・恒久平和のための日本国憲法の構想・「恒久世界平和のために 日本国憲法からの提言」所収・1998年・日本評論社・45頁)
④第9条は、広島・長崎以降においては、軍隊と戦争が伝統的意義を失っていることを確認するものであった。
(杉原泰雄・憲法9条の現代的意義 「現在」におけるその必然性について・同前所収・107頁)
⑤国連憲章が1945年6月26日、サンフランシスコで作成されたとき、人類はまだ核兵器が何を意味するのか知らなかった。その国連憲章が最終的には武力による平和という考え方に立脚していたのに対し、8月6日(広島)と8月9日(長崎)という日付を挟んだ後の1946年日本国憲法にとっては、「正しい戦争」を遂行する武力によって確保される平和、という考え方をもはや受け入れることはできなくなった。…核兵器に訴えてまで遂行されるべき「正しい戦争」はもはやあり得ないという説明は、確かに一つの説明となるだろう。とはいえ、それだけでは十分ではない。「ハイテク戦争」や「きれいな戦争」を演出して行われるとき、「正しい戦争」を否定する論理は出て来ないからである。
(樋口陽一・立憲主義展開史にとっての1946年平和主義憲法 継承と断絶・同前所収・140~141頁)
⑥究極の暴力というべき核兵器をコントロールすることは・立憲主義・民主主義にとっての最大の課題というべきであろう。(君島東彦・核廃絶とNGOの役割・「松井康浩弁護士喜寿記念 非核平和の追求」・1999年・12頁)
⑦憲法9条が「正しい戦争」という観念それ自体を否定しているのは、立憲主義展開史の中での断絶を画そうとしているのです。1945年6月(国連憲章)と1946年11月(日本国憲法)の間には、1945年8月の広島・長崎という人類史的体験があったことが、ここで思い出されるべきでしょう。さらに、大日本帝国自身が冒した国内での抑圧と国外での侵略の体験に照らして、9条は神権天皇から象徴天皇への移行(1条)及び政教分離(20条・89条)とともに、日本社会をタブーから解放し、権力批判の自由を作るものとして不可欠だったのです。
(樋口陽一・憲法再生フォーラム編・改憲は必要か・岩波新書・2004年・16頁)
⑧日本国憲法は、徹底した平和主義を採用しました。あえて不器用なまでに平和にこだわった背景には、人類初の「核兵器を使った殲滅戦」の経験、ヒロシマ・ナガサキの経験がありました。いったん戦争や武力の行使、戦力といった「手段」の有効性を認めれば、軍の論理の自己増殖は最終的に核武装へと逢着する。日本はその体験と認識に立って、徹底した平和主義を採用したわけです。
(水島朝穂 同上154頁)
⑨戦後日本の国の形を作り上げていたものに平和主義があったが、この平和主義は15年戦争の悲惨に対する深刻な反省並びに広島、長崎の被爆体験から生まれた「体験的平和主義」であった。
(千葉眞・法律時報2004年76巻7号)
⑩憲法9条は非核・平和の国際的課題を達成するうえでも積極的意義を持つものといえよう。核兵器の廃絶は人類共通の課題であり、とりわけ広島・長崎の体験を持つ日本はこの課題に世界の先頭に立って取り組むべき使命を持っている。
(山内敏弘・法律時報増刊憲法改正問題・平和主義と改憲論・日本評論社・2005年・12頁)
⑪憲法9条の成立をもっぱら右のような偶然の契機(日本政府、占領軍司令部、極東委員会の天皇の地位をめぐる三つ巴の関係。毎日新聞のスクープで急がなくてはならなくなったことなど)の重なり合いに過ぎないと見るのは大きな誤りである。そこには日本国民の長い戦争体験、とくにヒロシマ・ナガサキの原爆の受難、サイパンや満州や沖縄のように国民を巻き込んだ壊滅的な戦闘、東京を始めとする大空襲などが、生々しい傷口を広げたまま、人々の生活の中に息づいていた。…強大な軍事力が国民を守らず、逆に国民の生活をも幸福をも奪うものだという痛烈な認識を共有していたのである。あのような馬鹿げた戦争は二度としたくないという日本国民の実感は、まさに憲法9条に具体化されたといってよい。
(小林直樹・「平和憲法と共生六十年」・慈学社出版2006年107頁)
⑫(⑦を引用したうえで)特殊日本的な歴史的事情と結びつけて、憲法9条をとらえる視座こそ、立憲主義展開史の中で生じた断絶を認識し、今後同じ過ちが繰り返されないように立ち上がり、啓蒙する主体として、日本国民を導くものとなるであろう。
(麻生多聞 平和主義の倫理性―憲法9条解釈における倫理的契機の復権 2007年
日本評論社 201頁)
⑬原爆体験は、憲法前文と第9条の非軍事平和思想に被爆者の魂を吹き込んだ。被爆者の絶対的非軍事平和思想で人類と日本の安全を守る道を探求する。被爆者は核時代の預言者であり、人類の宝である。
(ヒバクシャ9条の会呼び掛け文・2007年3月・「核兵器のない世界を求めて」・2017年・日本評論社・287頁)
⑭第2次世界大戦末期には、核兵器が開発され、広島、長崎だけでも三十数万人の死傷者を出している。以降、世界は、周知のごとく、「人命」を大量虐殺する兵器の出現で確実に、「核」の脅威にさらされる時代に入っている。人類が学ぶべき最高の教訓は、各国が「軍事力による安全保障方式」を完全に放棄し、世界平和実現の英知と人類共生の理念の下、あらゆる国際的な平和政策または制度を模索し、構築することが必要である。「核兵器の時代における先進的な立憲主義」
(上田勝美・世界平和と人類の生命権確立・「平和憲法の確保と新生」所収・北海道大学出版会・2008年)
⑮原子爆弾の出現によってもはや文明と戦争は両立できなくなった。文明が戦争を抹殺しなければ、やがては戦争が文明を抹殺してしまう。それならば文明の力で戦争を抹殺しよう。戦争を放棄し、陸海空一切の戦力を放棄しよう。それを世界に先駆けて実行しよう。ここから私たちが誇る、世界に誇る日本国憲法9条が生まれたのです。
(志位和夫・「綱領教室」第3巻・新日本出版社・2013年・100頁)
⑯一切の戦争、武力行使・威嚇を否定した上で、それを手段レベルにまで徹底して、武力の不保持と戦力行使を支える交戦権を否認するという選択を行ったのである。そこには、憲法9条と「広島・長崎の核ホロコースト」との間の「直接的連関」が存在したとみることがではよう。
(水島朝穂・安全保障の立憲的ダイナミズム・「立憲的ダイナミズム」・岩波書店・2014年・4頁)
⑰国家組織における広い意味での権力分立を維持することによる「自由」の確保の要請に加えて(国内平和)、最終兵器としての核兵器が存在する以上、戦力は中長期的には国際紛争の解決や安全保障のための有効な手段とはならない、という安全保障政策としての選択とによって根拠づけることによって、9条解釈論を維持することの方が、「安全」の供給につながるはずと、いい続けてきたのが戦後憲法学の歩みであり、戦後の統治力学のもとでは、護憲派の光栄ある使命であった。
(石川健治・軍隊と憲法・同上・129頁)
⑱国連憲章と日本国憲法は多くの共通点があります。第2次世界大戦を踏まえ、戦争をなくそう、武力行使をなくそうとしていることです。一方で、平和実現の方法に違いがあります。国連憲章は最後の手段として武力の行使を認めています。重要な違いの理由として、核兵器の存在、使用の経験の問題があります。大部分の連合国が原子爆弾を知らない段階で憲章の原案は作成され、採択したのも広島・長崎への投下前です。核戦争は想定していないということです。原爆の存在は人類の存続を脅かすという認識は武力を徹底的に否定する論理の基礎になったと思います
(松井芳郎・しんぶん赤旗2016年8月15日付)
⑲ヒロシマっていうのは、まさにホロコーストの場になってしまったわけですが、ホロコーストの犠牲を負ってしまったことの意味を紡いでいかなきゃいけない。犠牲になってしまったけれども、9条ができたというのは非常に大きな物語になっているわけで、このことを抜きにして憲法を作ることはできなかった。
(石川賢治・2017年7月22日・広島弁護士会の「憲法施行70周年、今、ヒロシマができること」―なぜ、今の憲法を守る必要があるのか―と題する講演)
⑳原子爆弾の出現で、もはや文明と戦争は両立できなくなった。文明が戦争を放棄できなければ、やがては戦争が文明を抹殺してしまう。戦争を放棄し、陸海空軍一切の戦力を放棄しましょう。世界に先駆けて実行しようと9条が生まれたのです。
(笠井亮 「前衛」2017年9月号・27頁)