はじめに
安倍首相が、通常国会の施政方針演説の「おわりに」の部分で、「憲法は、国の理想を語るもの、次世代への道しるべであります。私たちの子や孫の世代のために、日本をどのような国にしていくのか。大きな歴史の転換点にあってこの国の未来をしっかりと示していく。国会の憲法審査会において、各党の議論が深められることを期待しています」としている。
私は、この部分を読みながら、いくつかの感想を持った。
まず、施政方針演説の最後の部分で「改憲問題」に触れていることについてである。彼の野望は2020年に「新憲法」を施行することだから、この時期の演説の「おわりに」でとってつけたような言い方をしているのは、いささかトーンダウンではないかという感想である。改憲について強い執念を持っている首相としては、このような触れ方は不本意なのではないだろうか。もちろん,その著書「美しい国へ」で「闘う政治家」を自認する安倍首相のことだから何をしでかすかわからないけれど、彼が描いていたスケジュール通りには事が進んでいないことは間違いない。これは、「安倍流改憲」を許さないたたかいの成果である。最後まで油断せずに奮闘しなければならない。
立憲主義の無理解
それはそれとして、この安倍首相の憲法観は看過できない問題を含んでいる。憲法の存在理由は、国の理想を語るものでも、次世代への道しるべでもなく、権力者にその権限行使の正統性を付与し、他方では、その権限の限界を画することにあるからである。安倍晋三を首相という権力者にし、その権限を付与しているのは憲法である。安倍晋三は憲法によって首相となっているのだから、その憲法に従うのは当然なのである。それをあれこれと難癖をつけて変えてしまうなどということは身の程知らずの所業なのである。憲法についての基本的な理解を欠く人間が政治権力を握っていることは、この国の最大の不幸である。
15年前、私は、小泉純一郎首相(当時)が、自衛隊のイラク派遣について「世界の平和と苦しんでいる人々のための行動であり、憲法の理想を実現する道だ」として、憲法前文の意味を正反対に引用している施政方針演説を批判した際に「その国の宰相を見ればその国の民度がわかる」と書いたけれど(自由法曹団通信・2004年2月1日号)、それに勝るとも劣らない事態が再現されているのである。
なぜ安倍首相はそのように考えるのか
安倍首相は「私たちの国日本は、美しい自然に恵まれた長い歴史と独自の文化を持つ国だ。そしてまだ大いなる可能性を秘めている。…日本の欠点を語ることに生きがいを求めるのではなく、日本の明日のために何をなすべきかを語り合おうではないか」としている(「美しい国」128頁)。安倍さんにとっての国とは、自然や歴史や文化で特徴づけられているが、政治的、経済的、社会的諸矛盾は完全に捨象されている。むしろ、それらは「欠点」として語ってはいけないこととされているようである。
このことと関連して、愛敬浩二さん(名古屋大学・憲法)は「安倍晋三も国家を語る際、『統治機構としての国』ではなく、『悠久の歴史を持った日本という土地柄』という言い方をする。そして、『土地としての国』への帰属意識が、『愛国心』の基礎になると論じる」としている(「社会契約は立憲主義にとってなお生ける理念か」・岩波講座憲法Ⅰ・35頁)。憲法学にとっての国家とは「民族という自然の所与を前提としてものではなく、逆に自然の帰属主体からいったん解放された諸個人が取り結ぶ社会契約というフィクションによって説明される」(樋口陽一)とされているので、安倍さんのいう国家は、憲法学の到達点を理解していない国家論だという指摘である。それは、安倍さんの立憲主義に対する無知と無理解の指摘でもある。安倍さんからすれば、こんなことを言いたてる憲法学者などは不倶戴天であろうが、私からすれば、せめてその程度の理解はしていて欲しいと思うのである。
天賦人権説は全面的に見直す
安倍首相の国家観によれば「愛国心」は導き出せるけれど、「社会契約」は無視されることになる。このことは安倍さん個人の見解ではなく、自民党改憲草案の基調でもある。自民党の日本国憲法改正草案Q&Aによれば、改正草案は「天賦人権に基づく規定を全面的に見直した」としている。国家は個人の人権を保障するためという観念は「我が国の歴史、文化、伝統を踏まえない西欧の思想」として排除されているのである。天賦人権思想が否定されれば社会契約などはお呼びでないことになる。
愛敬さんは、「社会契約は立憲主義にとって、そして立憲主義を奉ずる憲法学にとって、今なお『生ける理念』である」としている(同前47頁)。この見識と安倍さんや自民党の憲法観は対極にある。安倍さんが憲法学者を敵視し、憲法学者が安倍改憲を容認できない根本的理由はここにあるように思われる。安倍さんや自民党は近代の啓蒙思想を根底から覆そうとしているのである。
小括
私は、国家は私の生命、自由、幸福追求権を保障するための機関だと理解している。そのために、法律には従うし、納税もしている。一人で生きられる自信もないので社会の形成は不可欠だし、無政府状態による混乱も避けたいと思っている。けれども、国家によって生命や自由を奪われることなど絶対に避けたいところである。そのために立憲主義を深いとこで理解したいと考えている。憲法改正をめぐる闘争は深い論点を抱えているようである。