はじめに
米国国防情報局(国防総省の諜報機関)の長官が、ロシアが低爆発力の核実験を実施している可能性があるとしている。ロシアは戦術核の最新鋭化を推進しており、その保有量全体は今後10年にわたり著しく増加するだろうというのである。中国については、実験場の通年運用を準備している可能性があり、今後10年で保有量は少なくも2倍になるというのである(「赤旗」5月31日付)。ロシアや中国がこの指摘を認めているとの報道はないけれど、米国政府の責任者がこの手のフェイクを流すとも思われない。そうすると、ロシアの現在の核弾頭保有数は6850発、同じく中国は270発とされているけれど(長崎大学核兵器廃絶研究センター)、これからの10年間でこの数字が大幅に増加することになる。
他方、米国は、今年2月13日に、臨界前(未臨界)核実験を行っている。臨界前核実験というのは、高性能火薬爆発の衝撃波を古くなった核兵器用プルトニウムにぶつけ、核爆発をおこす臨界状態の寸前でとめる実験で、核兵器の安全性、信頼性確保に必要な情報が得られるとされている。爆発が伴わないとしても、核兵器の使用を念頭に置いての実験である。北朝鮮は、この2月の実験について、「米国は表で対話を提唱しているが、力による問題解決を追及していることを自らから示した」と批判している(「赤旗」5月31日)。この実験が2回目の米朝会談の直前であったことからすると、北朝鮮の批判は無理もないであろう。米国の「俺は持つお前は捨てろ核兵器」路線に変更はないのである。
そして、核兵器の小型化を図るとしている核態勢見直し(NPR)やINF全廃条約からの脱退などからして、米国の核兵器依存は強まっているといえよう。再び、核超大国間の核軍拡競争が始まる兆候が見え隠れしているのである。
NPT再検討会議の議論状況
4月29日から5月10日までの間、国連で、来年のNPT再検討会議の準備会が開催された。その中で、米国は、「冷戦後、アメリカは核弾頭の88パーセントを削減した。核軍縮の成否は緊張緩和と信頼醸成にある。当時の条件が失われてしまった今、『新しい軍縮の言説』の構築が必要である」などとしている。ロシアは、「新START条約が、中距離核戦力(INF)全廃条約と同じ運命をたどることを望まない。ロシアは繰り返しこの条約の更新を主張してきた」などとしている。中国は、「核軍拡競争に参加したことはないし、今後も参加しない。核戦争に勝者はない。それは人類にとって超えてはならない一線である」などとしている。
米国の核弾頭保有数のピークは1966年の32040発という数字がある(アメリカンセンター)。現在は6450発とされているから(長崎大学核廃絶研究センター)、その差は25590発となり、計算上はピーク時の80パーセントは削減されていることになる。
このように、米国もロシアも中国も核軍拡をするなどとはしていない。むしろ、核弾頭の数を減らしたとか、新START条約は維持するとか、核戦争は人類が超えてはならないものであるなどと、あたかも核軍縮に理解があるように振舞っているのである。これらの言説は、核兵器禁止条約が採択され、その署名国や批准国が増えている状況の中で、自らも核不拡散のみならず核軍縮にも背を向けていないことを示すパフォーマンスであろう。
けれども、彼らは、絶対に核兵器禁止条約を推進するとは言わない。安全保障環境を無視して核兵器の削減や禁止はできないというのである。日本政府は「国民の生命と財産を守るのは政府の責任である。日本は核軍縮と安全保障を同時に求めていく」と演説している(各国の発言は河合公明氏の「反核法律家」への寄稿による)。要するに、彼らは、自国の安全を核兵器で確保するというのである。他国には核兵器を持つなとしながら自国は核を保有しその命運を核に委ねようというのである。私たちは、このような倒錯した論理がまかり通っている国際社会の異常さを確認し、それを改革しなければならないであろう。
「壊滅的人道上の結末」の意味すること
国連は核兵器禁止条約を採択している。この条約は、核兵器使用がもたらす「壊滅的な人道上の結末」を憂慮し、核兵器が二度と使用されないことを保証する唯一の方法は核兵器の廃絶であるとしている。この「壊滅的な結末」とは、対処できないこと、国境を超えること、人類の生存、環境、社会経済的発展、世界経済、食料の安全及び将来の世代の健康への重大な影響などを意味している(条約前文)。その上で、核兵器の開発、実験、製造、保有、占有、移譲、使用、使用するとの威嚇などを全面的に禁止している(1条各項)。ここには、核兵器に依存しての国家安全保障という発想は全くない。むしろ核兵器使用は国際法違反だとしているのである。このことが核兵器国や日本などが絶対容認できないポイントなのである。だから、核兵器国は この条約の発効を阻止しようとしているし、日本政府も署名や批准を拒否しているのである。
この条約は50か国の批准書寄託のあと90日の経過で発効することになる。現在70か国の署名、23か国の批准だからまだ発効に至っていない。2017年7月7日の採択から2年近くなるけれど、もう少し時間はかかりそうである。けれども、元々122か国(国連加盟国は193)の賛成で採択されているのだから、焦る理由はないであろう。
私たちに求められていることは、日本政府の姿勢をどうすれば変えられるのか、その知恵を絞ることである。核兵器を廃絶するといいながら核兵器禁止条約を忌避する日本政府を変えることができないようでは、「核兵器のない世界」は実現できないであろう。
私たちに求められていること
大国間の核軍拡競争の兆候がないわけではない。日本政府もその流れを押し止めようとはしていない。けれども、核兵器禁止条約を発効させようとする力も間違いなく働いている。そのことは、今回の準備会での議論状況からも明らかである。絶望や幻滅にとらわれることはない。希望の道は拓かれているのだ。確かに、巨大な力を持った者が、その力が物理的暴力であれ、金力であれ、自ら進んで投げ出すことなど想定できない。それは人間の本性かどうかはともかくとして、私たちが容易に確認できる現実である。彼らからその力をはぎ取るのはその力を凌駕する社会的力だけである。核兵器という究極の暴力を保有し使用する権限を持つのは、核保有国の政治的責任者である大統領や首相である(各国によって決定権者は異なる)。彼らがその立場にあるのは、国民の同意である。直接的であるか間接的であるかはともかくとして、核の発射ボタンを手に持つ者の正統性は国民の支持を根拠としているのである。だとすれば、その正統性を付与できる国民の意思の転換があれば、彼らの正統性を剥奪することも可能ということになる。非核の政府を求めるためには、非核の政府を求める有権者の多数派の形成が前提ということになる。そのために何が必要か。核兵器のいかなる使用も「壊滅的人道上の結末」をもたらすことを理解してもらうことである。その「壊滅的結末」の歴史的現実が、広島・長崎の原爆体験をはじめとするヒバクの実相である。その実相を理解してもらい、核兵器廃絶の意思を形成してもらうことである。平穏な日常が、理不尽に奪われる苦痛や被害は、多くの人と共有できるであろう。それは人道の基礎だからである。核兵器禁止条約も、「ヒバクシャの容認できない苦痛と被害」を基礎としている。世界は、核兵器国などの抵抗はあるけれど、間違いなく核兵器と決別しようとしている。核兵器は必ず廃絶できる。それは人間が作ったものだからである。そのためには、再び核軍拡競争など許してはならない。