はじめに
先日亡くなった加藤典洋さんが、「今後、われわれ日本国民は、どのような様態のものであっても、核兵器を作らず、持たず、持ち込ませず、使用しない。」との条項を憲法9条に書き込もうという提案をしている(『戦後入門』・ちくま新書・2015年10月)。加藤氏の9条改憲提案は、これだけではなく、第1項はそのままにして、第2項で日本が保持する陸海空その他の戦力(自衛隊)は、一部を国連待機軍として国連の指揮下に置き、交戦権は国連に譲渡する。第3項でその余の軍隊組織は国土防衛隊に編成して、国境に悪意を持って侵入するものを防衛する。治安出動は禁じられ、内外の災害救助にあたるとされている。第4項は、先の核兵器条項で、第5項は外国の軍事基地、軍隊、施設は国内のいかなる場所にも許可しない、というものである。この改憲案の特徴は、自衛隊を解体し、一部を国連の指揮下に置き、一部は治安行動をとらない国土防衛隊することと合わせて、核兵器に依存しないことと米軍の撤退を提案していることである。加藤さんのこの著書は、この結論を導き出すために書かれているのである。私は、改憲という手法は不要だと考えているけれど、第4項と第5項の提案には大賛成である。第2項と第3項については反対だけれど、自衛隊の解体が現実的日程に上がった時に、そのような方法もありうることまでは否定しない。それはともかくとして、ここでは、加藤氏の「核の廃絶と非核条項」の提案について考えてみたい。なぜなら、加藤氏が、私の言説をこの本の中で紹介してくれているからである。
加藤氏の大久保説の引用
加藤氏は、反核市民団体が核廃絶のためのロードマップをどのように考えているかという文脈の中で、「ある反核法律家協会の活動家」の言説として私の見解を次のように紹介している。「反核運動がこれまで米国など核大国の核使用の可能性に対し、ベルリンの壁崩壊後だけでいっても、91年の湾岸戦争、94年の朝鮮半島危機、98年のイラク危機と三度まで抑止力として働いてきた事実を踏まえながら、その先に核兵器の使用禁止、廃絶にむけた国際法の確立を目標のひとつに掲げています。同時にNPT内部の新アジェンダ連合、非同盟諸国、平和市長会、非核運動のNGOなど各種団体との共同行動によって核廃絶をめざすというのが彼らの考える工程表の大枠です。違法化により核兵器禁止に持ち込もうという考えです」(同書465~466頁)。加藤氏は、私の「核兵器の違法性確立のために」という言説(日本反核法律家協会のHP所収)に着目してくれたようである。私は、加藤氏の目配りに感謝している。
2006年からの動き
加藤氏が引用したのは、私の2006年のバンク―バーでの世界平和フォーラムにおける発言である。その後、核兵器廃絶をめぐる国際社会の動きに大きな変化があることを忘れてはならない。加藤氏の本は2015年10月の発行だから、2017年7月7日の「核兵器禁止条約」の採択について触れられていないのは当然である。けれども、この条約も一朝一夕に採択されたわけではなく、一定の準備期間が必要であったことはもちろんである。核兵器使用の違法性という観点で振り返れば、1963年、東京地方裁判所は、米軍の原爆投下は国際法上違法であるとの判決を出している。1996年、国際司法裁判所は核兵器の使用や威嚇は、一般的に国際法に違反すると勧告している。1997年と2007年、国連では、核兵器の開発、実験、保有、移転、使用、威嚇などを全面的に禁止する「モデル核兵器条約」が討議文書とされている。2010年のNPT再検討会議は、核兵器使用の「壊滅的人道上の結末」(非人道性)への関心と国際人道法を含む国際法の順守を呼び掛けている。2013年には、核兵器の「壊滅的人道上の結末」に関する国際会議が開催されている。これらが、「核兵器禁止条約」への源流となっているのである。
加藤氏は、2009年のオバマ大統領のプラハ演説や、2013年の原爆式典で、田上富久長崎市長が、日本政府が「核兵器の非人道性を訴える共同声明」に賛同しなかったことを批判していることには触れているけれど、ここに列挙したような経緯については叙述していない。私は、加藤氏が私の2006年のスピーチに触れてくれているのであれば、その後の私の論考もトレースして欲しかったと思う。とりわけ、日本反核法律家協会が作成している2013年2月のオスロ会議への提言集(協会のHP所収)などを参照してもらえれば、国際社会の核兵器廃絶の動きについてもう少し踏み込んだ叙述が可能だったのではないだろうかと惜しまれてならない。
加藤氏の提言の積極性
それはともかくとして、加藤氏が、核兵器を作らない、持たない、持ち込ませない、の非核三原則に加え、核兵器を使用しないことを憲法に書き込もうとする姿勢には大いに共感している。それは、加藤氏が、憲法9条の平和理念の淵源の一つとして、1945年の8月の原爆投下を上げ、更には1917年11月のロシア革命直後の「平和に関する布告」、1918年の「14カ条の平和原則」に触れていることなどからして、加藤氏の平和への熱い想いを共有できるからである。けれども、私は、そのために憲法改定という手続きは不要だと考える。それは、非核三原則を「政治宣言」にとどめず、「非核法」とすれば法的には十分だと考えるからである。かつて、伊藤真弁護士が、「大久保さんは、日本の核武装を禁止するために憲法改定は必要だと考えますか」と問うてきたことがあった。私は即座にそれは不要だと答えたけれど、もしかすると伊藤さんの質問の背景には、この加藤氏の言説があったのかもしれない。私は、加藤氏の熱い想いは共有するけれど、改憲の必要性は認めない。合わせて指摘しておくと、米軍基地撤去のためには、日米安保条約10条に基づき、条約の廃棄を通告すれば足りる。これもまた改憲手続きは不要である。核兵器や米軍との決別に改憲が必要だという言説は、むしろ、人々を迷路に導き入れることにもなりかねないであろう。私は、そのことに留意しながら、この著作に触れたいと思う。