原爆の使用の結果は 人間の尊厳の徹底した冒涜・破壊であった。
1945年6月26日、「われら連合国の人民は、一生のうちに二度まで言語に絶する悲哀を人類に与えた戦争の惨害から将来の世代を救うために」という言葉で始まる国際連合憲章に署名し、「国際関係において武力による威嚇又は武力の行使を慎む」ことを確認しました。それは、人類史上、初めて戦争の違法を宣言した大きな事件でありました。ところが、国連憲章に署名した米国は、署名のインクが未だ乾かない僅か42日後の8月6日に、すでに戦争遂行能力を失った日本の都市広島に対して、原子爆弾を使った攻撃を行いました。その結果は、1発の原子爆弾の核分裂により生じた巨大な衝撃波の破壊力は10秒で街の建造物を壊滅し広島市は消えてしまい、摂氏3000度の熱線は壊滅した建造物を含む市内のすべてを焼き尽くし、そこで生活していた人々は焼き殺され、過酷な火傷を受けて、その年の暮れまでには20万人が死亡しました。さらに核分裂により生じた初期放射線による死亡が続出し、また残留放射線により、人間の体内に入った放射性物質は、様々な後遺症をもたらし、その障害の発生は限りなく、現在でも発病し続けています。原爆の使用による被害は、まさに言語に絶するこの世の地獄であります。
この世の終末の地獄を体験した被爆者は、「人間の尊厳をすべて奪った原爆の仕打ち」に対する怒りを、「人間を返せ」と言う叫びで表現するしかありませんでした。
原爆を投下した者に対して、被爆者は「このような残酷な爆弾を使ったのは人間のすることではない、悪魔だ」と言い放ち、慨嘆します。
そして原爆ですべてを失った被爆者たちは、原水爆被害者団体協議会を結成し、戦争を開始した日本政府に対し「ふたたび被爆者をつくるな」「核兵器の廃絶の実現をせよ」「原爆被害を国は補償せよ」という要求を掲げ、原爆を投下した米国に対して「原爆被爆者に謝罪せよ」「原爆を二度と使うな」と要求して、現在まで半世紀以上闘いを続けています。
原爆の使用は国際人道法に違反する、という法的判断は正当である。
原爆の使用は、国際人道法に違反することは明白であります。それは、1963年12月7日、東京地方裁判所が「米国の原爆投下を国際人道法に違反する」という判決をした原爆判決(下田事件)及び1996年7月8日、国際司法裁判所の核兵器の使用の違法性に関する勧告的意見で示した法的判断で極めて明瞭であります。しかしながら、核兵器保有国は、国際人道法に違反するという法的判断を無視して、核兵器の保有を続けています。国連加盟国のうち、核保有国とこれに同調する若干の非核保有国を除けば、大多数は核兵器の使用の国際人道法違反という法的判断を支持し、核兵器の廃絶条約に賛同しています。
核兵器不拡散条約で保有を認められている核兵器保有国ですら、核軍縮についての誠実な交渉することを条約で義務付けられており、国際司法裁判所の勧告的意見では、さらに「その交渉を妥結する義務」を勧告されているのであります。この点において、いずれの核保有国も極めて不誠実であります。この不誠実を支持しているのは、核兵器の製造・保有・改良・保存により巨額の利益を取得している巨大な影のグループの存在であります。核兵器が禁止されたら米国の核関係の大小の企業の株は大暴落となり、米国経済は危機的となります。だから、彼らもその存続に必死であります。
核兵器の廃絶を妨害する巨大グループを自然消滅させる方法を考える
核兵器保有国に対して、核兵器を自発的にまたは実力で放棄させることは困難であります。そこで、核兵器で利益を得る巨大なグループを自然消滅させる方法として考えられる方法は、二つあります。
その第一は、非核地帯条約で非核化された地域を地球上に拡大することによって、核兵器を使用できる地域を縮小してしまう方法であります。現に地球の南半球は、非核地帯条約加盟の締約国によって非核化されているのであります。これを北半球に拡大して全世界に広げるのです。
その第二は、世界のエリア毎に、戦争が出来ない仕組み(各地域に小型国連)を造る方法です。典型的な例が、国連であり、EUであり、東南アジア友好協力条約国の目指す共同体構想などであります。東北アジアでは、露、中国、北朝鮮、韓国、日本、米国の六ヶ国協議会であります。六ヶ国協議会の本来の目的である「朝鮮半島の非核化」が実現すれば、この協議会の存在を続けることによって、将来において六ヶ国共同体構想の実現を目指すことも可能になるでしょう。このような方法を、欧州、南米、アフリカ、中東、東南アジア、東北アジアなどのエリア毎に、エリア内の国々が相互に外交交渉によって実現すれば、各国の軍隊も核兵器も無用の長物となり、核も戦争もなくなる、という方法です。
日本国憲法の非軍事の理念を世界の規範にすれば戦争はなくなる。
前述の戦争が出来ない仕組みを、世界のエリア毎に構築するためには各国が日本国憲法の非軍事規範を採用することが有効であります。
日本国憲法の理念は、「戦争の惨禍の極限である核戦争の惨禍」を体験した日本の被爆者の「人間として生きたいという人間の叫び」を具現した理念であります。これは同時に核による人類の自滅を免れるための警告的な基本理念でもあります。
そこで被爆者の目で日本国憲法を見ます。まず、前文において「政府の行為によって、再び戦争の惨禍が起こることのないようすることを決意し」と述べ、「全世界の国民が平和のうちに生存する権利を有することを確認」し、その上で、第九条において戦争、及び武力による威嚇又は行使は永久に放棄し、戦力は保持しない、交戦権は否認する、という規定が続きます。これらを総合すると、「国家の安全を軍事力に依存することはしない」で、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」して、「国際社会において名誉ある地位をしめる」という徹底した平和主義の憲法です。まさに、核時代においては、戦争は絶対にしてはならない、という被爆者の願いを具現したものであります。
したがって、憲法のこの理念は、核時代における世界のすべての人々の利益に合致する点で、世界に普遍的に共有できる理念であります。
私たちは、1999年5月に開かれたハ-グ平和市民会議(100ヶ国1万人参加)に参加し、「日本国憲法の非軍事思想を世界の規範に」という冊子1000冊を会議に持込み、宣伝しました。その結果、閉会総会で「公正な世界秩序のための10の基本原則」という行動文書が発表され、その第一原則に「各国議会は日本国憲法第9条のように政府が戦争をすることを禁止する決議を採択すべきである」と掲げられ、その文書は総会に招待されたアナン国連事務総長に交付されました。
私たちは、世界は被爆者の叫びを具現した日本国憲法の理念を受け入れる時代に入ったことを実感しました。
平和憲法をないがしろにする日本政府の政治を変革する運動の必要
世界で最良の平和憲法を持ちながら、日本の歴代政府は戦後一貫して憲法の理念を無視し、破壊し続け、国民はこの流れを阻止することが出来ませんでした。その主たる原因は、日本を事実上支配する米国が自国の国益に基づいて、日本政府に対し憲法理念を無視した政治要求を強制した結果でありました。敗戦後、日米講和条約とセットにして日本政府に締結を強要された日米安全保障条約のために、日本は半永久的に全国各地に米軍基地を提供する義務を負うことになりました。米国はこの代償として、日本に対し、天皇の戦争犯罪を免責し、経済復興の援助を提供しました。そして半世紀を経た現在も、日本の米国への従属関係は依然として維持されています。特に日本政府は、一貫して、日本の安全を、米国の核抑止力に依存しているのです。被爆者にとって、被爆者を苦しめてきた悪魔の兵器で日本を守ってもらう、という矛盾に深い悩みを持ち続けています。しかも、戦後、米国が朝鮮及びベトナムで行った大規模な戦争の特別需要と米国との貿易のお陰で、日本の支配層は巨額な利益を得て経済大国になり、米国との友好関係を深めてきました。
被爆者と共に平和運動に参加する私たちは、平和憲法の理念を規範として核兵器も戦争もない世界を実現するには、日本の安全を米国の核抑止力に依存する日本政府の核政策と米国の国益のために憲法をないがしろにする日本政府の政策を変えさせる運動をしなければなりません。一方、私たちは、国際的な核兵器廃絶運動の成果が、日本政府の対米従属政策を変える力にもなると考えられるので、この二つの運動は密接な関係があると考えます。
核兵器のない世界は、被爆者の体験の記憶遺産を共有して確実となる。
2012年5月、被爆者の原爆体験の記憶を、記憶遺産として人類が永久に共有するために、ノ-モアヒバクシャ・記憶遺産を継承する会が法人として発足しました。しかし、原爆被爆者の平均年齢が78歳となり、減少が続いており、被爆者の活動力が弱まり始めています。この会はやがて被爆者が途絶えた後において、被爆者の記憶遺産を、非被爆者がどのように受継ぐかという重要な課題に取組み、それを乗り越えなければなりません。これを変革と発展の兆しとみることもできます。
被爆者の声は、核兵器のない世界の実現には必要不可欠だからです。
核兵器のない世界を造るには、法の支配によるべきである、という考え方が有力であります。しかし、各国が核兵器廃絶条約という法に合意して署名したから、と言って法を破ればそれまでであります。戦争となれば、勝つために法を破って争って核兵器を造るでしょう。
核兵器の廃絶を合意した「法の支配」を、より確かなものとする保証は、これからの人類が、被爆者が「二度と被爆者をつくるな」と叫んだ記憶遺産を共有することであります。これ以外に核廃絶の確かな保証はありません。これが、核戦争の被害国日本からの訴えであります。