2021年という年
2021年1月22日に、核兵器禁止条約が発効する。そして、3月11日で、福島原発事故から10年を経過することになる。今年は、「人類と核の関係」を考えるうえで、大きな画期となるであろう。
核兵器禁止条約は、核兵器の使用はヒバクシャに「容認しがたい苦痛と被害」をもたらしたし、人類社会に「壊滅的人道上の結末」をもたらすとしている。そして、それを免れるためには核兵器の禁止と廃絶が必要だとしている。この条約が法的な効力を持つ意義を確認しておきたい。
核兵器は無差別、残虐、大量殺傷を目的とする「最終兵器」であり、原発は電気エネルギーを確保するための装置である。その違いを忘れてはならない。けれども、そこには人類が対抗策を確立できていない放射能被害という共通テーマが伏在している。
フクシマ原発事故により、直接的あるいは間接的死傷はもとより、生業や故郷の喪失、家族の離散など重大な被害が発生し、現在も継続している。原発事故による被害の特徴は、放射線に起因するがゆえに、被害が広範囲で深刻になることである。そして、その対処方法が物理的にも時間的にも制約されることにある。フクシマ原発事故に起因する苦痛と被害も容認しがたいし、「非人道的側面」を否定できないのである。
原発は、核分裂物質と核分裂反応を利用する装置であるがゆえに、放射能という本質的危険を内包している。そして、間違いを犯さない人間も故障しない機械もありえないので、重大事故の発生は避けられないのである。更にいえば、電気エネルギーを安全に確保する代替手段は存在するのであるから「地獄の業火」に依存しなければならない理由もない。原発の存在にはリスクを伴うが、その廃止にリスクはないのである。
そして、原発のリスクを解消できないとすれば、核兵器のリスクも解消できないことになる。原発稼働の結果発生するプルトニウムは核兵器の原材料となるからである。原発は核兵器同様、可及的速やかに、人類社会の負の遺産として、退場させなければならない。
政府と電力会社の姿勢
政府は、福島原発事故は収束している。原発はベースロード電源である。安全性が確認できた原発から再稼働するとしている。電力会社も、原発の廃止をその方針としていないし、一刻も早い再稼働を狙っている。加えて、損害賠償額は徹底的に争っているし、賠償費用を電気料金に上乗せしようともしている。そこには反省も恥じらいもない。無責任と強欲が透けて見える。要するに、彼らは、原発事故などなかったかのように振る舞っているのである。
更に、政府は、核兵器禁止条約に署名も批准もしないと断言している。アメリカの「核の傘」によってわが国の安全保障を確保しているのだから、核兵器禁止などは論外だというのである。加えて、米国の核兵器先制不使用政策には反対し、敵基地攻撃を企画している。自衛のためには核兵器に依存するし、場合によっては、外国領土での武力行使を行うというのである。原爆被害の実相も憲法9条の非軍事平和規範も無視されているのである。
ここに見られるのは、過酷事故を含む原発の危険性の無視と核兵器の容認である。その背景にあるのは、「利潤追求」と「力による支配」の貫徹である。人々の生命や生活よりも、資本の利潤と国家の暴力が優先されているのである。「我亡き後に洪水は来たれ」という声が聞こえるようである。核兵器や原発の廃止を求めることは、政府と巨大資本の方針と正面から対峙することを意味している。一筋縄では太刀打ちできない権力との対抗であることを忘れてはならない。
核兵器と原発の廃止の可能性
けれども、絶望も悲観も不必要である。核兵器も原発も人間が作ったものだからである。コロナも含め疫病の蔓延や気候危機は、人間の営みに起因している側面があるけれど、人間の製造物以外の存在がかかわっている現象である。それらに比べれば、核兵器や原発は人間の知恵と技術の産物であるから、その対処は容易であろう。
当面、核弾頭をミサイルから取り外せばいいし、原子炉を停止すればいいだけの話である。核弾頭は9ヵ国の1万3千発強だし、稼働中の原発は31ヵ国の442基 (日本原子力産業協会HP) である。核弾頭は、ピーク時には約7万発あったけれど、現在はその2割程度に減少している。原発を止めることなど造作もないことであろう。現に、日本の原発すべてが停止していたことがある。やる気になればできるのである。政府と電力資本にやる気がないだけの話である。
政府の方針の転換は選挙で議会の構成を変えれば可能である。電力会社は法律によってコントロールできる。要するに、私たちが、誰を国会に送り出すかということにかかっているのである。逆にいえば、人々がその選択をしない限り、その日は来ないことになる。
まとめ
「この時代のこの国では、国民の感情が全てである。それがあれば、何も失敗することはない。それに反しては、何も成功できない」とリンカーンは言ったそうだ。この言葉のとおりであるとすれば、「国民の感情」にどう働きかけるかがポイントとなるであろう。このポイント(分岐点)は、資本主義的生産様式を転換しようということではない。核兵器に頼らない国家安全保障政策を考えよう、核分裂反応に頼らないで電気エネルギーを確保しようという提案である。
核に頼っていては、「壊滅的人道上の結末」の危険性から解放されないし、その危険性が現実化すれば、私たちの日常が根底から転覆されてしまうことになる。
核兵器と原発は別のものではあるが、両方とも危険で不要なものである。だから、核との決別は喫緊の課題である。それを阻む政府や資本との対抗も不可欠である。2021年をそういうたたかいの年にしなければならない。
(2021年1月7日記)