大久保賢一
今、ガザで起きていること
現在、イスラエルはガザで激しい軍事作戦を展開している。ハマスの戦闘員や軍事基地が攻撃対象だとされているけれど、軍服を着ていないハマス戦闘員もいるだろうから居住者全員が攻撃対象となりうるし、地下に軍事施設があるという理由で病院も攻撃対象とされている。結局、ガザに居住する人は無差別に殺傷され、建物や施設はすべて破壊の対象にされているのである。
加えて、生活物資はイスラエルの管理下に置かれているので、ガザは日常生活を送れない状況になっている。元々、ガザはイスラエルが管理する「天井のない監獄」だったけれど、その監獄で水や食料の提供すら止められているのである。監獄が処刑場にされているかのようである。
イスラエルは、この軍事行動の理由はテロリストであるハマスに対する「自衛権の行使」や「人質の奪還」などとしている。けれども、ハマスは国家主体ではないので「自衛権の行使」と言えるかどうかは疑問だし、仮に自衛のためだとしても余りにも均衡を逸しているであろう。この武力の行使を「自衛権の行使」で正当化することは出来ない。
また、「人質解放」に最も有効な手立ては「戦闘の停止」や「終戦」であり最終的には「敵意の解消」である。イスラエルの軍事行動はむしろ逆の結果をもたらすであろう。
ガザの人々には、殺されるか、追放されるかという選択肢しかないかのようである。いずれにしても、ガザでの生活の継続は不可能になるであろう。そして、イスラエルは、それを狙っているのである。ハマスを根絶するという目標で考えれば、ガザからパレスチナ人を放逐することが根本的な方法だからである。
ジェノサイド条約に照らして
ジェノサイド条約は1948年に採択され、1951年に発効している。第2次世界大戦直後の条約であることに注目して欲しい。日本語では「集団殺害罪の防止及び処罰に関する条約」である。ジェノサイドとは集団殺害という意味である。
この条約は、集団殺害は国連の精神と目的に反する文明世界と相容れない国際犯罪であり、人類に多大な損失をもたらすので、その忌まわしい苦悩から解放されるためには国際協力が必要だとして制定されたのである。イスラエルもこの条約の批准国である。
そして、集団殺害とは、国民的、民族的、人種的、または宗教的な集団の全部または一部を破壊するために行われる殺人、重大な加害、生活条件の破壊、出生の妨害、子どもの強制移住などと定義されている。
イスラエルの軍事行動は、このジェノサイド(集団殺害)に該当するとして、世界各地で大規模な抗議行動が起きているのである。
私も、イスラエルの行為は「忌まわしい苦悩」だと考えている。イスラエルの軍事作戦は、戦争犯罪というだけではなく、ジェノサイドとして断罪されなければならない。
なぜイスラエルは軍事行動を継続するのか、なぜそれが可能なのか
イスラエルの行動に対する国際的非難には厳しいものがある。けれども、イスラエルは軍事行動を止めようとはしない。その直接的動機は、ハマスの一掃を口実にしてガザからパレスチナ人を放逐するという野望である。ガザを後顧の憂いなく支配したいという思惑である。ネタニヤフ首相は、「ハマス殲滅後のガザの支配はパレスチナ人ではない」として、その野望を隠そうとしていない。
そして、それが可能なのはイスラエルを制御する力が存在しないからである。制御を期待される国連安全保障理事会では、イスラエルとハマスの戦闘の停止を求める決議案が提起されるけれど、アメリカの拒否権発動によって否決されている。アメリカがイスラエルを支持しているがゆえに、イスラエルを制御するための国連安保理の政治的意思は形成されていないのである(ただし、国連総会は「人道的な即時停戦決議」を採択している)。
パレスチナのリヤド・マンスール国連大使は「何百万人ものパレスチナ人の命が危機にさらされている」、採決の結果は「破滅的」だと述べている。私もそのとおりだと思う。
そこで問題は、アメリカはなぜそこまでイスラエルに肩入れするかである。逆に言えば、なぜ、イスラエルはアメリカをそこまで味方にできるのかということである。私には、その問題について全面的にコメントする能力はない。そこで、ここでは、文明史家である西谷修東京外語大学名誉教授の日本アジア・アフリカ・ラテンアメリカ連帯委員会の機関紙『アジア・アフリカ・ラテンアメリカ』12月1日号に掲載された「ガザ・ハマス問題の『最終的解決』にでたイスラエル」という論稿を参考にしながら、この問題を考えてみることにする(とりわけ、核兵器に焦点を当てる)。
イスラエルはアメリカの説得を拒否した
西谷さんは、「イスラエルは米軍関係者との非公式協議で市民の犠牲を抑制して欲しいという米軍に対して、日本を降伏させるために広島・長崎に原爆を落としたことを引き合いに出してガザ攻撃を正当化した」と書いている。
確かに、アメリカは原爆によって、広島では市民の41.6±3パーセント、長崎では27.4%の人を殺しているので、イスラエルからすれば「あんたには言われたくないね」ということなのであろう。このやり取りは「目糞、鼻糞を笑う」という類の醜悪なものだとは思うけれど、イスラエルの「ガザを殲滅する」という決意の強固さは確認できる。
イスラエルのアミハイ・エリヤフ遺産相は核兵器使用をほのめかして閣議への出席を禁止されたけれど、ガザを完全支配下に置こうとすることでは「閣内不一致」はないであろう。
イスラエルはアメリカの「説得」を拒否して、ガザ殲滅作戦を継続しているのである。その拒否の理由の一つがアメリカの核兵器使用なのである。アメリカの核兵器使用がこのような形でガザに「忌まわしい苦悩」をもたらしていることを記憶しておきたい。
テロリストには何をしてもいいという発想
西谷さんは、アメリカがイスラエルに強く出ない理由として、アメリカのユダヤ人コミュニティの圧力とか、ナチスから守って作らせた国だからなどという理由以外に、イスラエルが遂行するのが「テロとの戦争」だからだとしている。
「テロとの戦争」は、アメリカが打ち出した「敵は国家ではなくテロリストだ。テロリストは人間ではないから、何としてでも殲滅しなければならない。戦争を規制する国際法など関係ない。地の果てまで追いつめて抹消する」という論理であり、イスラエルはハマスとの関係でその論理を援用しているというのである。イスラエルの論理は、ハマスは「テロリスト」として駆除し、ハマスを生み出すガザの住民は「テロの温床」だというのである。
そして、根はもっと深いとも言っている。イスラエルのパレスチナ人の地上からの抹消という発想は、アメリカという国家の成り立ちと同型だというのである。アメリカは、先住民をほぼ抹消して「自由の国」を作った。アメリカが建国のためにやったことをイスラエルが、現在、再現しているというのである。
ヒロシマ・ナガサキに原爆を落とし、その後も抑止力をかざして世界に君臨しようとするアメリカは、イスラエルの「先住民(土俗民)」の殲滅を認めざるをえないのだという指摘である。イスラエルの行為を否定することは、自国の建国ストーリーを否定することになるからできないというのである。要するに、アメリカは自国が行ってきたことをイスラエルにするなとは言えないという分析である。
アメリカの頑なな停戦決議拒否の態度を見ていると「なるほどそういうことだったのか」と頷きたくなる分析である。そして、西谷さんがここでもアメリカの広島・長崎への原爆投下にこだわっている姿勢には強く共感している。イスラエルとアメリカの行動を分析する上で、原爆投下という歴史的に絶対に無視してはならない「忌まわしい苦悩」に着目しているからである。
ロシアとイスラエルの核使用威嚇と核抑止論の虚妄
プーチン・ロシア大統領はウクライナ侵略に際して核兵器使用の威嚇を行っている。イスラエルの大臣は核兵器使用を仄めかした。武力の行使を行っている国家が核兵器使用の威嚇を行いながら、軍事行動を展開しているのである。核兵器使用の威嚇が、第三国の敵国への支援の手を鈍らせるという効果も含め、自国の攻撃に役立てているのである。核兵器は軍事行動の「担保的な役割」を果たしているのである。核兵器が「戦闘の道具」ではなく「平和のための道具」などというのは全くの虚妄だということがよくわかる事態である。
他方、ロシアは核兵器保有国ではあるが、ウクライナの離反やNATOの「東方拡大」を防ぐことは出来なかった。イスラエルが核兵器保有国であることは「公然の秘密」であるが、ハマスの「越境攻撃」を防ぐことは出来なかった。ロシアもイスラエルも、核兵器は保有しているけれど、自国の安全を確保できなかったので「自衛戦争」に出ているのである。核兵器保有は敵の行動を抑止できていないのである。岸田文雄首相はその著書『核兵器のない世界へ』で「核兵器は必要最小限度の護身術」などとしているけれど、そんな発想は反省して撤回したほうがいいと思う。
今、私たちの前で展開されているのは、核兵器は自国の安全を保障しないけれど、他国を攻撃する道具だという現実である。別の言い方をすれば、核兵器は「平和をもたらす道具」などというのは途方もないウソで「戦争の道具」であるという現実である。核抑止論の虚妄が可視化されているのである。役に立たないどころか、危険なものはさっさとなくさなければならない。
結び
私は、ロシアのウクライナ侵略やイスラエルのガザ殲滅作戦を前にして、そこはかとない無力感を覚えている。加えて、核抑止論の虚妄が明らかになりつつあるのに、まだ、核兵器に依存しようとしている国家(日本も含む)が存在することに怒りを覚えている。
けれども、ロシアやイスラエルの行動に抗議する勢力も厳然として存在しているし、先日の核兵器禁止条約第2回締約国会議では、核抑止論との決別が力強く宣言されている。決して、強者の思惑通りに事態は進んでいないのである。
そして、何よりも、私たちには嘆いている暇はないのである。全人類が力を合わせなければ「青い星」が砕け散るかもしれないのに、いたずらに対立を煽り立て、奈落への道を進もうとする勢力との戦いが続いているからである。(2023年12月13日記)