問題の所在
先のNPTの最終合意文書は、国連事総長の「強固な検証システムに裏打ちされた核兵器禁止条約の交渉」と「相互に補強しあう別々の条約の枠組みに関する合意の検討」の提案に留意するとしている。核軍縮の(政治的)努力だけではなく、核兵器のない世界を実現し、維持する上で必要な(法的)枠組みの確立の必要性が合意されたのである。この合意は、国連事務総長の提案に留意するというレベルであるし、「核兵器禁止条約」の早期交渉開始の総会決議に対する核兵器保有国の態度などに照らせば、「核兵器のない世界」を実現し、維持するための「法的枠組み」が一朝一夕に確立できるとは思われない。しかしながら、「核兵器禁止条約」や「相互に補完し合う別々の条約の枠組みの合意」という「法的レベル」での枠組みの確立の方向性が合意されたことは、従前の核兵器国の態度に変化の予兆が見えてきたものとして、歓迎したい。
従前の核兵器使用、使用の威嚇に関する核兵器国の態度
国際司法裁判所で、「核兵器の使用や使用の威嚇は国際法に違反するか」が議論された際、核兵器国の基本的態度は「国際法に違反しない」というものであった。その理由の一つは、核兵器の使用や使用の威嚇を直接的に禁止する国際法はないというものであり、二つには、各国の安全保障政策は、各国固有の判断に委ねられるべきであり、その制約は国家主権を侵害するというものであった。ここでは、核兵器の非人道性は国家主権の不可侵性の背景に退けられていたのである。ちなみに、日本政府の姿勢は、「国際法の精神に背反するが違法ではない」というものであった。ところが、今般のNPTの最終文書は、不十分な形ではあるが、「核兵器禁止条約」の制定や「別々の条約の枠組み」に言及したのである。私たちは、ここに、良い方向への変化を見つけることができるであろう。そうすると、私たちの課題は、「核兵器のない世界」を実現し、維持するための「法的枠組み」を確立することになる。第1に、「核兵器禁止条約(NWC)の早期交渉開始であり、第2に、国際的、地域的に「条約の枠組み」を確立することであり、第3に、各国の実情に応じて「非核法」の制定することである。ここでは、地域的取極めである「非核地帯条約」について述べる。
非核地帯条約について
非核地帯条約とは、一定の地域における関係国が、その地域内での核兵器の製造、実験、配備、使用などを禁止し、核兵器国はこの地域での核兵器の使用を禁止する条約である。現在、中南米、南太平洋、東南アジア、アフリカ、中央アジアなどが「非核地帯条約」による「非核兵器地帯」となっている。
そして、今回のNPT再検討会議の最終文書は、「適切な地域に非核兵器地帯を追加して設立ことが奨励される」、「消極的安全保証を含む、全ての非核地帯条約における法的拘束力のある関連議定書の発効に向けて協力するよう奨励される」としている。新たな非核地帯の創設と既存の非核地帯条約の法的拘束力を強化しようという合意である。地球上の全ての地域が非核兵器地帯となければ、少なくも、核兵器の製造、実験、配備、使用は禁止されることとなり、残るのは、廃棄と再製造などの阻止ということになる。非核兵器地帯の追加は、「核兵器のない世界」の実現に大きく貢献するであろう。
「北東アジア非核地帯条約」の実現に向けて
「北東アジア非核兵器地帯」の実現に向けて、既に、市民社会からモデル案が提唱されている。このモデル案によれば、北東アジアとは、日本、大韓民国(韓国)、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の領域であり、これら3国(地帯内国家という)は、この地域内で、核兵器の研究、開発、実験、製造、保有、配備、使用などを行わないこととし、近隣核兵器国である、中国、ロシア、米国は、この地帯に対して、核兵器及び非核兵器による攻撃も威嚇も行わないこととし、核兵器搭載艦船や航空機の寄港、着陸、領空通過、領海の一時通過を禁止するとしている。
この「北東アジア非核地帯条約」に向けては、市民社会に止まらず、日本や韓国の国会議員の中にも賛同者があり、実現に向けて鋭意努力がなされている。しかしながら、日本政府はこの条約の実現に対しては消極的である。日本の安全は、米国の「核の傘」によって確保するとの姿勢を崩していないからである。
ところで、先のNPT再検討会議は、北朝鮮に対し、2005年9月の共同声明に従い、あらゆる核兵器と核計画の廃棄とNPT体制への復帰を求める一方で、6者協議への強固な支持と「外交的手段」による包括的解決の達成を誓っている。
朝鮮半島や北東アジアの平和と安定は、北朝鮮に対して「制裁の強化」や「軍事的圧力」で実現できるとは思われない。国連憲章にいう「各国主権の平等」と「非軍事的手段による解決」こそが求められているのである。6者協議という対立から対話への道が開かれているのであるから、それを閉ざすのではなく、「北東アジア非核地帯条約」を展望した議論が求められているのである。ぜひその実現を求めていきたいものである。