映画「ナージャの村」を見た。写真家・本橋成一が撮影したドキュメンタリー映画である。文化庁97年度優秀映画作品賞やいくつかの国際映画祭でグランプリに輝いたというが,何も知らなかった。
ナージャが住むドゥズチ村は,ベラルーシ共和国にある。隣国ウクライナ共和国には,国境近くにチェルノブイリ核発電所があった。大爆発を起こした1986年4月26日当時は,ソ連の時代であった。ベラルーシは,高度の汚染地帯となり,人の住めない500以上の町や村が地図から消えた。
ナージャの村もまた,強制移住区域に指定され,300所帯の村人たちはふるさとを離れて行かざるを得なかったなか,移住を拒み住み続ける人たちがいた。ナージャの家族がそうであった。
監督・本橋は語る。「ナージャの村には,ことさら放射能汚染を説明する映像はない。私は世紀末に起きたこの悲劇を通じて,それでもなお未来へと向かういのちあるものの営みを描いてみたかったのだ」と。
(映画では馬だったが)牛に鋤を付けて田畑を耕し,ジャガイモを植えて収穫し,キノコを採りに山に行き,鶏を野放しにして飼育し,ヤギを飼って乳を絞り生活していた戦後のわが家の生活がそのままに映し出されていた。豊かではないけれど,家族と村人の絆は強く,自然のなかで日々が淡々と流れ行く生活の様に往時を偲んだ。
監督が写真家なので,情景の選択,アングル,バランスの取り方の巧みさ,映像の美しさの故に,原発事故が引き起こした放射線汚染のため村が消え行く悲劇,ホットスポットのなかのふるさとを捨て切れない住民の思い,悲しみの深さが伝わる。それをずしりと受け止め得たのは,福島第1原発事故を経たからであろう。
ベラルーシは,ソビエト連邦共和国の最西端にあって,対ナチス・ドイツ戦争,大祖国防衛戦争で人口の3分の1の220万人を亡くしたが,うち140万人は,一般市民だった。戦争と核の被害について思いを馳せた。
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ポーランドは,ベラルーシの隣国である。ポーランドの第2次大戦の戦争犠牲者は600万人といわれている。
1981年,戒厳令が敷かれ軍政に移行する直前の8月,初めてポーランドを訪れた。ヒロシマに原爆が投下された36年後の8月6日,400万人の命を奪ったアウシュビッツ強制収容所にいた。
二足獣の悪事,悪行,悪虐を前に,いくら想像しようとしても捉え切れない犠牲者たちの苦悩の体験と受難,無念の思いに心を重ね,人間の尊厳が卑しめられた様を前に打ちのめされそうになっていた。平和を破壊する者たちと闘うことは人としての義務だと,背に荷を負うて帰国したことを,今,思い起こす。
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そのポーランド・シュチェチンで,今年6月,国際反核法律家協会(IALANA)の総会が開催された。チャーチルの「鉄のカーテン」演説に出てくるシュチェチンである。「バルト海のシュチェチンからアドリア海のトリエステまでヨーロッパ大陸を横切り鉄のカーテンが降りている」と。
3月11日起きた東日本大震災,福島第1原子力発電所重大事故後の総会となった。
事故直後の3月14日,元ICJ判事でありIALANAの会長ウィーラマントリーは,いち早く,世界の環境大臣宛に書簡を送った。
原発は,将来世代へ破局的な損害を与えること,太陽光その他の再生可能エネルギー源により世界が必要とするエネルギーを供給できるのにそれを無視していること,原子炉の存在はテロリストの標的になること,原子炉から出る廃棄物の総量は計測不能であり,かつ,安全に処理する方法はないこと,これらを知りながら原発を存続し拡散するのは,世代を越える人類からの環境の受託者として信託違反であり,子や孫への責任を放棄することになり,現存する国際法,環境法及び持続的発展に関する国際法の,あらゆる原則に違反する。政府当局者が新しい原発の建設を止めるため直ちに行動しなければ,将来世代に対する犯罪になると警告した。新たな原子炉の建設停止,代替エネルギーシステムの探求,原発の段階的廃止に向け直ちに行動する必要があると求めた。
ウィーラマントリーは,総会で,特別講演をした。「核兵器と核エネルギーはダモクレスの剣の2つの刃である。われらは,核兵器の研究と改良によってダモクレスの刃の鋭利な方を研磨していっそう危険なものにしている。この剣の鈍い刃もまた,原子炉の拡散と維持によって危険なレベルにまで研磨されつつある。剣をつるす脅威の糸は,少しずつ切り刻まれつつある。なぜなら,核保有国が増加し,インターネットで核兵器製造知識の入手が可能になり,原子炉廃棄物に由来する核兵器物質の入手が可能になり,さらにテロ組織の活動が爆弾取得を念願しているからだ。ダモクレスの剣は日々危険なものになりつつある。」と。
IALANAは,「できる限り早期に核兵器全廃条約のための準備作業が開始されるため,その努力を倍増することを決意し」(第1項),「日本のメンバーによる核兵器および核エネルギーの全廃の呼びかけを全面的に支持し」(第5項),「核エネルギーの世界規模での廃絶を呼びかけることを決定し,再生可能エネルギーとエネルギー生産の民主化にむけた完全な転換が必要である」(第6項)ことなどを議論の到達した結論として発表した。
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大津波が押し寄せる前,福島第1原発は,地震で自動停止し,格納容器,配管などが破損し,メルトダウンが始まっていた。破損状況の詳しい報道はない。今日現在まで補修されたという報道もない。新たに取り付けた循環装置で放射性物質を含む大量の水を高圧で送り込んでいるが,破損した箇所から今も同じように大量の水が漏れ続けているに違いない。そして,炉心熔融した残骸物を回収しない限り事故の収束はあり得ないのだが,その見通しは立たない。
地震大国日本の活断層と54基の原発の上にはダモクレスの剣が垂れている。復興が叫ばれるなかで,その糸が切れることを惧れる。
原発事故は,フクシマの人々をはじめ,計り知れない多くの人々に取り返しのつかない事態を招いている。多くの人々に不安と苦しみを与え続け,人の人生に深刻な影響を与えている。ナージャの村のように立ち入りを禁じられている地域が生まれている。
この国に核発電所は不要との認識が広まった。だが,国や電力会社の認識は異なる。彼らは,広範囲に放射性物質をばらまく悲惨な事態を引き起こしたというのに,その自覚は著しく欠如し,責任感がまるでない。被災者への早急な補償さえ未だせず,ましてや未来の人たちへの償いなど眼中にない。ウソの情報を出し,遅れた情報を出して恥じない。原発建設・再稼働をあきらめようとはしない。
ストレステストが原発稼動開始のチェックポイントとはならない。放射性核物質の処理技術が確立しない限りは(その見通しはなく,半永久的に),核発電所は停止すべきものである。使用済み燃料プールを併設していたなど話にもならない。
原発推進と安全のチェックを合わせ行う保安院の頭上にもダモクレスの剣が垂れ下がっている。保安院全員阿呆(ホアンインゼンインアホ)の回文は最大の皮肉であろう。核兵器と核発電所の全面廃絶を求める運動を強めよう。