本稿のテーマ
2005年9月19日、中華人民共和国(以下、中国)、朝鮮民主主義共和国(以下、「北朝鮮」)、日本、大韓民国(以下、韓国)、ロシア連邦(以下、ロシア)、およびアメリカ合衆国(以下、米国)の代表者は、「平和的な方法による、朝鮮半島の検証可能な非核化」を一致して再確認している(注1)。その背景にあるのは、相互尊重及び平等の精神のもとで、朝鮮半島及び北東アジア全体の平和と安定を実現したいという意欲である。平和的方法で朝鮮半島の非核化が実現すれば、北東アジアの平和と安全に大きく寄与することは間違いない。私も、心から、その実現を望む一人である。
しかしながら、その後、この非核化のプロセスは遅々として進まないだけではなく、むしろ後退しているかのようである。「北朝鮮」は、その後も核実験を実施し、「飛翔体」の発射をしている。他方、米国と韓国は、大規模な軍事演習を展開し、「北朝鮮」の神経を逆なでしている。日本においては、「北朝鮮」の核とミサイルの脅威がある限り、米国の「核の傘」をはずすべきではないとの主張が、大手メディアからもなされている(注2)。
このような状況が継続すれば、朝鮮半島の非核化や北東アジア非核地帯などは何時になっても実現できないことになってしまう。そうすると、これらの否定的状況を解消し、朝鮮半島の非核化を前進させるために、私たちがどのような思考と行動をすべきかが問われることになる。
本稿では、「北朝鮮」が核兵器とミサイルの保有にこだわる論理と、合わせて「北朝鮮」脅威の論理を概観し、朝鮮半島の非核化と北東アジア非核地帯のために、私たちに求められていることは何かを素描してみることとする。
「北朝鮮」の論理
1.「北朝鮮」は、2009年の核実験について、「今回の核実験は、先軍の威力で国と民族の自主権と社会主義を守り、朝鮮半島と周辺地域の平和と安全保障に貢献するだろう。」としていた。「六カ国協議がなくなって非核化プロセスが破綻しても、朝鮮半島の平和と安全は先軍の威力で守っていく。」というのである(注3)。ここには、核とミサイルで「国家の自主権」と「民族の尊厳」を守るという姿勢を読み取ることができる。核を自国の安全保障の「切り札」とするということである。
2.加えて、「北朝鮮」には特別の不安がある。米国が北朝鮮敵視政策をとってきたことである。米国は「北朝鮮」を「ならず者国家」あるいは「悪の枢軸」と名指ししてきた。「北朝鮮」に対する先制攻撃を仕掛けようとしたこともある。「北朝鮮」にとって米国は最大の脅威なのである。「北朝鮮」にとって、米国の脅威は杞憂なのだろうか。それとも具体的対応が求められる現実の脅威なのであろうか。「北朝鮮」が米国に脅威を覚えることは、無理からぬところであろう。なぜなら、米国に睨まれれば、大量破壊兵器など持っていなくても持っているとされ、「テロの温床」だと決めつけられ、その政府は「非民主的な独裁政権」として圧倒的な軍事力で打倒され、国土は米国の占領下に置かれるのである。この事実は誰でも知っていることである。
3.その米国の強力を知っている「北朝鮮」は、「いわれるままにIAEAの査察に応ずることは、戦争の犠牲者になることであるという教訓を、イラク戦争は教えてくれた。」日本の論理、「強い国際世論も、大国の反対も、国連憲章も米国のイラク戦争を止めることはできなかった。物理的な抑止力、すなわちいかなる洗練された兵器による攻撃も完全に撃退できる抑止力を有していない限り、戦争を防ぎ、国家主権および国家の安全を守ることはできないことは、イラク戦争の教訓であった。」としているのである(注4)。
4.「北朝鮮」は、国際世論や国連憲章を信頼しても、自国の安全保障を確立することなどできないと考えているのである。国連憲章を信じられないのは、それがあっても米国の武力行使を阻止できないからである。その下にある安全保障理事会や米国の影響から免れることのできない六カ国協議ではなお更頼りないのであろう。「北朝鮮」は、国際社会なるものが、米国の武力行使を制止できないことを知っているのである。その国際社会に自国の命運を託すことはできないと考えているのである。
5.ところで、「北朝鮮」は、オバマ政権発足後の政策動向を見極めた上で、オバマ政権の対朝鮮敵視政策にはいささかの変化もない。我々を敵視する相手と向き合っても、生まれる物は何もない。朝鮮が自ら選択した思想と制度を消し去ろうというのが米国の朝鮮政策の本質だ。朝鮮を『暴政』、『不良国家』などと前政権の敵対的な発言をそのまま受け継いでいる。」としている(注5)。オバマ大統領が「核兵器のない世界を目指す」などといっても、米国政府の北朝鮮に対する政策は何ら変化がないと評価しているのである。そこで「核抑止論」が復活したのである。「核兵器の保有はわが国の安全保障に不可欠である」との思考と行動である。
6.ところで、この「核抑止論」は、米国も日本も採用している政策である。オバマ大統領は「各兵器のない世界を目指す」と言うものの、核兵器がなくなるまでは核抑止力は持つとしているし、日本政府も米国に「核の傘」をはずさないでくれとしているのである。核兵器に自国の安全保障の「切り札」の役割を与えるということでは、米国や日本と北朝鮮とは同一の姿勢なのである。核兵器の必要性や有効性を認めているものが、相手には持つなと言えるであろうか。少なくも対等な当事者間では通用しない論理であろう。そこで出てくるのが、次に述べる、「北朝鮮」は独裁国家で予測不可能だから、核兵器を持たせてはならない、という議論である。
日本の論理
1.ここでは、大手メディアの一つである「毎日新聞」の見解を検討する。「毎日新聞」2010年1月4日付社説は次のように述べている。 冒頭に、「核兵器廃絶を願う心の原点は、今も広島と長崎にある。」として、「世界にあまねく平和が訪れるのはいつの日か。」とした上で、「01年の同時多発テロの背景には、米国やイスラエルへの憎悪があった。強い憎しみはテロ組織による核兵器使用や原発への攻撃にもつながりかねない。」、「北朝鮮の独裁者は核開発にしがみつき、ルール違反を繰り返す。」、「核技術や核物質の国外流出という可能性も否定できない。」という「冷戦時代とは異質な危険」を指摘する。そして、「オバマ大統領の『核兵器のない世界』という提言には、新たな脅威に対処する現実的な願いが込められている。」として、オバマ大統領に対して、「核テロを防ぐという目的の最優先と、同時に核軍縮を進めようとする意志」が見て取れる、「特に核軍縮は核兵器廃絶に向けた具体的な一歩として歓迎できる。逆風もあろうが、粘り強く努力してほしい。」とエールを送っている。続けて、「NPTは『不平等条約』との批判を免れない。核兵器国に課せられた誠実な核軍縮交渉の義務は無視されてきた。…今年の会議では国際的に一定の道筋をつけるべきだ。…核兵器国が誠実な態度を見せなければ、核テロ防止に不可欠な国際合意は得られまい。何より重要なのは核廃絶に向けた国際合意の再建なのである。」と論を進めている。
2.ここまで、特に問題のない当たり前のことを述べているにすぎない。問題はこの後である。それは「北朝鮮の核消えてこそ」ということである。その内容は、米国では北朝鮮はしばらく核を放棄しそうもない、という議論が主流となっているようだが、北朝鮮に核が残るような結末は容認しがたい。オバマ大統領の核軍縮は支持するが、北朝鮮の脅威が実際に存在する以上、米国の「核の傘」に守られていることは不合理と考えない。同盟国から「北朝鮮の核放棄はあきらめよう」と言われたくない。北朝鮮からの核拡散を防ぐだけでは根本的な危険が残る。北朝鮮の完全な核廃棄こそが、「核なき世界」への第一歩である、というものである。
3.この主張を整理すると次のようになる。ⅰ)広島と長崎に核廃絶を願う心の原点がある。ⅱ)現在の国際情勢には、冷戦時代とは違う「異質の危険」、「新たな脅威」がある。一つには、テロリストへの核の拡散であり、二つには、北朝鮮の独裁者の核への執念である。ⅲ)テロリストへの核拡散を防止するためには、核兵器国の誠実な姿勢が必要である。今年のNPT再検討会議では核軍縮に道筋をつけるべきだ。ⅳ)北朝鮮に対しては、核拡散ではなく「完全な核廃棄」を求める。核兵器廃絶を念願してオバマ大統領の核軍縮の努力は支持するが、北朝鮮の「完全な核廃棄」が「核なき世界」の必須の第一歩である。
4.ここから見えてくるこの主張の特徴は、広島と長崎の被爆体験を枕に振り、核廃絶を目指すような姿勢をとった上で、オバマ大統領の「核なき世界」に向けての核軍縮努力は支持するし、核兵器国の誠実な対応も期待するとしているが、その結論としては、北朝鮮の「完全な核廃棄」がない限り、同盟国アメリカの「核の傘」が必要だ、というものである。
5.これは、北朝鮮が「核の全面廃棄」をしない限り、オバマ大統領の「核軍縮」に協力できないとしていることを意味している。このような北朝鮮の「完全な核廃棄」を「核軍縮」や「核廃絶」の前提条件とする言説は、少なくも二つの問題を抱えている。一つは、北朝鮮が覚えている米国や日本、韓国などの脅威を放置したままに、北朝鮮に「核武装解除」を迫ることになるということである。二つ目は、北朝鮮がいうことを聞かない限り、自分は何もしないとして、自ら率先しての「核廃絶」の努力を遠ざけてしまうということである。
6.「核廃絶」、「核軍縮」、「核不拡散」などが、対等な国家間の交渉事案であることを理解していれば、一方が他方に対して、一方的に「武装解除」を迫るなどという発想は出で来ないはずである。また、「唯一の被爆国」として、北朝鮮に要求するだけではなく、自分が何ができるかを考えるべきであろう。にもかかわらず、この主張のような論理が展開されるのは、この主張が明確に述べているとおり、北朝鮮は「ルール破りを繰り返す」独裁者による国家であり、その脅威は現実である、という牢固とした観念が背景にあるからである。結局、この主張は、「核廃絶」をいいながら、北朝鮮に対する嫌悪や敵意、恐怖感が先行してしまい、「核なき世界」への道に新たな混乱と困難をもたらす役割を果たしているのである。これでよくも「核廃絶に踏み出す時だ」などと標題をつけられたものだと呆れてしまう。
7.ただ、この主張も「核廃絶の心の原点」が広島・長崎の被爆の実相にあるとし、NPTに基づく核保有国の核軍縮の努力の必要性を指摘し、オバマ大統領の姿勢を支持している限りにおいては、正しい方向を示している。したがって、この主張の問題点は、北朝鮮とどう向き合うかということになる。
「北朝鮮」とどう向き合うか
1.金正日国防委員長が好きか嫌いか、北朝鮮の民衆の生活と人権がどうなっているのか、人それぞれの見解があるであろう。けれども忘れてはならいことは、北朝鮮は独立した主権国家であり、国連加盟国である、ということである。また、北朝鮮の脅威をどのように把握するかも、いくつかの見解が成立するであろう。加えて、主張は、北朝鮮を「ルール破りを繰り返す国」としているが、核兵器の開発、実験、保有、配備、移譲、使用などを全面的に禁止する国際ルールは確立していないし(だからその確立が求められているのである)、現実に、米国も日本も核兵器に頼って「安全保障」を確保しているのである(核抑止論)。米国も日本も、北朝鮮が自国の核兵器に「安全保障」を依拠することを責める立場にはないのである。自国の都合だけを言い立て、他国の立場に配慮しないことは、いたずらに対立を深め、最悪の場合軍事衝突ということにもなりかねないであろう。
2.このままでは、北東アジアにおいて、核兵器の応酬が現実化する恐れがある。米軍再編によってグァムに移転した米軍爆撃機が北朝鮮に攻撃を加え、北朝鮮のミサイルが届かない米国は核の反撃を受けないが、同盟国日本は核ミサイルの反撃を受けるという最悪の事態が想定されるのである。そのシナリオの中で、北朝鮮も壊滅的打撃を受けるであろう。北朝鮮は、それを望むわけではないが、自国の独立や民族の尊厳がなくなるのであれば、滅亡を選ぶということなのであろう。その際には、韓国と日本にも大きな傷跡が残るであろう。「死なばもろとも」という言葉を思い出す。まさに「瀬戸際外交」を展開しているのである。北朝鮮がこのような「覚悟」をしているのであれば、いかなる軍事力も抑止力として機能しないであろう。
3.他方、北朝鮮に対する先制攻撃を仕掛けようという意見も現れている。「敵基地基 攻撃論」といわれる議論である。やられる前にやってしまえ、という発想である。北朝鮮のミサイルを日本に到着する前に打ち落としてしまうという計画もある。「ミサイル防衛(MD)計画」である。これらの発想の共通項は、北朝鮮との関係を武力で解決しようとすることにある。この発想は、行き着くところ、核戦争も辞さないということにも繋がるであろう。
今、求められていること
私は、このような最悪の事態は絶対に回避しなければならないと考える。そのために求められることは、第一に、国連憲章の根本理念である「国家主権の平等」と「各国人民の自決と同権」を基礎において事に当たることである。北朝鮮の政権がどのようなものであれ、他国がそれに干渉することは、国際法上許されていないのである。そのことを前提として、北朝鮮敵視を改め、北朝鮮の不安を取り除くことである。北朝鮮の不安を取り除くことは、とりもなおさず、「北の脅威」を取り除くことに繋がるであろう。このような政策転換が行なわれて始めて対等平等な協議が可能となるであろう。第二に、軍事力で問題を解決するという姿勢を放棄することである。北朝鮮に対する軍事力の行使をしないことを約束することである。国連憲章は、「政治的独立に対する武力の行使」を禁止している(2条4項)。米国が、北朝鮮に対して、アフガニスタンやイラクにしたような事はしないと約束すればよいのである。米国が国連憲章を尊重すればよいだけの話である。また、戦争により殺され、傷つき、あまたの不幸を強制されるのは、いつの時代も人民大衆である。日本は、憲法9条を国際社会の規範とするよう努力しなければならないのである。第三に、北朝鮮の核兵器を恐れるのであれば、核兵器廃絶のための国際的な政治的・法的枠組みを早急に確立することである。核拡散を防ぐ根本的な対策は、完全な核軍縮であり、核兵器を廃絶することである。それを目標として、当面、核兵器の先制使用はしないことを宣言し、北東アジアを非核地帯とし、「核兵器禁止条約」の制定を目指すことである。北朝鮮の核実験とミサイル発射実験を阻止できるのは、北朝鮮に対する制裁でも軍事力依存でもない。そのような対応は、むしろ事態を危険な方向に導くことになる。根本的な対処策は、核兵器とミサイルに依存しなくても「自国の自主性と民族の尊厳」、即ち「国家と国民の安全保障」を確保できるという信頼を相互に醸成することである。それが実現しない限り、最悪のシナリオを書き直すことはできないであろう。国連憲章・国際法の遵守と、日本国憲法9条の国際規範化が求められているのである。
(注1)2005年9月19日・6カ国協議共同声明
(注2)2010年1月4日付・毎日新聞社説
(注3)2009年5月27日付・朝鮮新報
(注4)浦田賢治他・「地球の生き残り」日本評論社・2008年・62頁
(注5)2009年5月11日付・朝鮮新報