「世界滅亡」まで残り2分!!をどう解消するか
日本反核法律家協会 事務局長
弁護士 大久保 賢一
「終末時計」の意味すること
アメリカの科学誌「ブリティン・オブ・ジ・アトミック・サイエンティスト」が「終末時計」を発表し、世界滅亡まで残り2分だとしている。この科学誌は1945年設立され、1947年以来毎年「終末時計」を公表しているが、2分前という最悪の事態は、米ソが水爆の開発競争を激化させた1953年と米朝が核の威嚇で応酬していた2018年の過去2回だという。いくつかの理由が述べられている(「赤旗」・1月25日付)。①核兵器や気候変動という人類が直面する二大脅威が、トランプ米国大統領をはじめ指導者のばらまく嘘で増幅され、解決がより困難になる「異常が日常化する事態」に突入していること。②現在、米ソ冷戦期と同程度の核の脅威があるのは、ロシアからの攻撃などではなく、「手違い」やテロによる核爆発、サイバー攻撃の可能性があること。③米朝が核戦争に突入する可能性は下がったが、非核化がなお進んでいないこと。④トランプ大統領がイラン核合意から離脱し、ロシアとの中距離核戦力(INF)全廃条約を破棄するなど「世界規模の軍備管理プロセスの完全崩壊に向けた深刻な一歩」が進められていることなどである。私は、そこに、アメリカが低爆発力核弾頭(TNT換算5ないし7キロトン・広島型15キロトン)の製造を開始したこと(「赤旗」2019年2月1日付)を付け加えておきたい。アメリカは本気で核兵器を使用するつもりだと思うからである。
これをどう受け止めるか
さてそこで、この発表をどう受け止めるかである。この発表にかかわっている人たちは決して無責任な人たちではない。また、そこで述べられている理由も説得的である。「異常が日常化する事態」などは日本にもみられるし、核の脅威についての認識は「核兵器禁止条約」が指摘する「核兵器が継続的に存在することによりもたらされる危険(事故、誤算または意図的な核兵器の爆発)」と共通している。朝鮮半島の非核化の進捗状況も予断を許さないし、「軍備管理プロセスの崩壊」も危惧されている。私には「オオカミ少年のたわごと」と済ませることはできない。この問題提起に対して、「何ができるのか」を考えなければと受け止めている。ここでは、核兵器の問題について少しだけ考えてみたい。
73年前の帝国議会
「終末時計」が始まる前の1946年8月の帝国議会。幣原喜重郎大臣は、核兵器を念頭に「破壊的武器の発明、発見がこの勢いを持って進むならば、次回の世界戦争は、一挙にして人類を木っ端みじんに粉砕するに至ることを予想せざるを得ない」としていた。同年11月に内閣が発行した「新憲法の解説」は、「原子爆弾の出現は、戦争の可能性を拡大するか、または逆に、戦争の可能性を収束せしめるかの重大段階に到達したのであるが、識者は、まず文明が戦争を抹殺しなければ、やがて戦争が文明を抹殺するであろうと真剣に憂えている」としていた。「核の時代」において戦争で物事を解決しようとすれば「文明が抹殺される」と予見されていたのである。そして、戦争で物事を解決しようとすれば終末が訪れる、それを避けようとすれば、武力の行使は絶対にしてはならない。そのためには、戦力を持たない、交戦権を放棄するのが一番であるとして日本国憲法9条が制定されたのである。それを推進していたのは政府である。まだそこには「正常な日常」があったようである。
ラッセル・アインシュタイン宣言
「終末時計」が2分前とされた1953年の2年後。バートランド・ラッセルとアルバート・アインシュタインは「たとえ、水素爆弾を使用しないという協定が結ばれていたとしても、もはや戦時には拘束とはみなされず、戦争が起こるやいなや双方とも水素爆弾の製造に取り掛かるであろう。なぜなら、もし一方がそれを製造して他方が製造しないとすれば、それを製造した側は必ず勝利するからである」と宣言している。多くの賛同者を得たこの宣言は冷戦時代のものであるが、核兵器の特性についての鋭い指摘は何ら色褪せていない。米ソの冷戦はすでに過去のものとなっているけれど、人類は核戦争の脅威から免れていないのである。米国とロシアは、再び、核軍拡競争に踏み出したのである。「終末時計」は、それに加えて、「手違い」やテロ、サイバー攻撃の可能性を加えている。これは、2009年4月、オバマ大統領(当時)が「核兵器のない世界」を言い出した背景とも通底する指摘である。これらも踏まえ、「核兵器禁止条約」は「核兵器のない世界の達成と維持は世界の最上位にある公共善」としていることを想起すべきである。「核兵器禁止条約」の発効が待ち遠しい。
核兵器の廃絶と戦力の廃絶
戦争に勝つということを目標とする限り、核兵器は対抗手段がないがゆえに有効である。けれども、それが使用されれば「人類の終末」が待っている。そして、核兵器に関する協定など、政治指導者が変われば踏みにじられてしまうことは、現在の事態が証明している。ここに、中途半端な軍縮や軍備管理に止まらない「核兵器全面廃絶」を希求しなければならない理由がある。
加えて、戦争という制度が存続する限り、核兵器の応酬と人類の存続の危機が継続することになる。ここに、核兵器廃絶を希求するものは、戦争の廃絶、その担保としての戦力の放棄をも合わせて希求する必要性がある。軍事力の強弱、即ち戦争で物事を解決しようとすれば「最終兵器」である核兵器を手放せないこととなり、それが使用されれば、勝者も敗者もない「壊滅的な人道上の結末」(核兵器禁止条約)がもたらされることになる。核兵器のない世界を望むのであれば、戦争の廃棄をも主張してこそ、より説得的となるのである。
日本国憲法9条は、戦争や武力行使の放棄に止まらず、戦力と交戦権を放棄している。核兵器の廃絶と日本国憲法の世界化は、同時に求めなければならない課題なのである。
まとめ
和田進神戸大学名誉教授は、広島、長崎の悲惨な実相は、「人類は一つ」というメッセージを生み出し、世界に伝え、核戦争阻止・核兵器廃絶の国際連帯を生み出した。「核兵器廃絶と憲法9条」の関係は、憲法9条を生み出した大きな要因の一つが核兵器の出現であり、同時に9条・平和的生存権の世界的樹立の物質的基盤は、核兵器の廃絶を求める「世界の平和を愛する諸国民」の連帯した運動にあるという弁証法的な関係にある、としている。(「法と民主主義」2018年10月号)。私は、この見識に全面的に同意する。そして、広島、長崎の核のホローコーストを踏まえ、核兵器も戦争もない世界を実現しようとする営みこそが「終末時計」を進めさせず、元に戻す方法だと確信している。
2019年2月3日記