オバマ大統領の「核兵器廃絶」演説を歴史の転換点に
2009年5月11日
日本反核法律家協会理事会
オバマ大統領は、4月5日、プラハで、核兵器を使用した唯一の国としての「道義的責任」に触れ、核兵器廃絶のために、米国が指導的役割を果たすと宣言した。これまで、米国は、原爆投下を「戦争早期終結」や「被害の極小化」あるいは「植民地早期解放」などを理由として正当化し、「核抑止論」に基づいて核兵器の先制使用戦略を採り続けてきた。このような米国のこれまでの態度からすれば、この演説は、米国の核政策が大きく転換されつつあることを意味している。核兵器廃絶を求めている当協会は、オバマ大統領が「核兵器廃絶」を宣言したことを歓迎し、その公約の実現に期待する。
しかしながら、当協会は、オバマ大統領の演説に諸手を挙げて賛成するものではない。大統領演説には、まだ克服されなければならない課題が見受けられるからである。
まず第一に、彼の核兵器廃絶の動機は、核兵器使用の犯罪性や非人道性ではなく、核兵器の拡散、とりわけ国際テロリストや米国に非協調的な国家への拡散の恐怖である。当協会は、核兵器の使用は、単に道義的な問題ではなく、国際法に違反し且つ人道にも反する最悪の犯罪行為であると考えている。彼の演説にはその点が欠落している。また、核拡散抑止の強調は、核軍縮を後回しにしてしまう特徴を備えている。そのことは、彼が、「核兵器が存在している限り、米国は敵を抑止し、同盟国の安全保障のために核兵器を保持し続ける」としていることに端的に現れている。彼にとって、核兵器は、国策遂行上のカードであり続けているのである。この「核抑止論」こそが、核兵器廃絶を拒んできた元凶であることを忘れてはならない。「悪魔の凶器」が国家安全保障の「切り札」という愚かな信仰にとらわれたままでは、核兵器廃絶は永遠の彼方に遠ざかるであろう。彼が、原爆投下を「道義的責任」の自覚に留めないで、「核抑止論」の呪縛から解放されるためにしなければならないことは、原爆の実相を知ることである。広島・長崎を訪れ、被爆者の証言を聞くことである。そうすることによって、彼の核兵器廃絶の決意はより強化されるであろう。
第二に、彼の核兵器廃絶の構想の中には、核兵器の使用や使用の威嚇だけではなく、その開発や実験、保有や移譲なども含めて禁止する「核兵器廃絶条約」の実現についての提案が含まれていない。既に、国連には、コスタリカやマレーシア政府によって、「モデル核兵器条約」が正式な討議文書として提出されている。核兵器廃絶のための不可逆的なシステムを構築しようとするのであれば、単に政治指導者の政治的合意に止まらないで、それを目的とした国際条約を制定しなければならない。彼の演説の中にはこの点が欠落している。彼が、本気で核兵器廃絶を実現しようというのであれば、「核兵器廃絶条約」のプランを提示する必要があるし、既にあるプランの活用に触れるべきなのである。
第三に、彼は原子力の「平和利用」について何の留保もしていない。むしろ、核の平和利用のために「核燃料バンク」の提案をしている。核エネルギーはクリーン・エネルギーであるのかどうか、それは不明確というべきであろう。人類が核エネルギーをいまだコントロールできていない状況の中で、原子力の平和利用について何の留保もしていないという態度には同意できない。
このように、当協会は、オバマ大統領のプラハ演説には、いくつかの重要な問題点があると考えている。
しかしながら、当協会は、彼が、米国の大統領として、初めて「核兵器廃絶」を公約したことは、歴史の大きな転換点となる可能性があると考えている。最大の核兵器保有国の政治指導者が「核兵器廃絶」を公約したことは、その動機の不徹底や「核抑止論」の残滓、プロセスの不十分さや核エネルギーの平和利用についての曖昧さがあるとしても、核兵器廃絶の道程の大きな前進である。そのことは、核兵器の先制使用を視野に入れてまで米国の政治的意思を貫徹しようとしてきた歴代大統領の言動と比較すれば明らかであろう。
当協会は、オバマ大統領に対して、被爆の実相をリアルに見聞し、(1)核兵器使用の犯罪性と非人道性についての認識を深めること、(2)「核抑止論」の愚昧さを自覚すること、(3)「核兵器廃絶条約」の制定にイニシアチブを発揮すること、(4)核エネルギーに依存しないエネルギー政策を選択すること、などを要望するところである。
同時に、彼が主張する核兵器廃絶に向けた具体的努力、とりわけ2010年のNPT再検討会議の成功については、誠実に協力をしたいと考えている。
オバマ大統領の核兵器廃絶を約束したプラハ演説を「歴史の転換点」とすることができるかどうかは、私たちの主体的努力にも依存しているのである。
当協会は、「核兵器廃絶条約」の期限を区切っての制定に向けて、最大限の努力をすることを決意する。